田中修さんが語る「雑草」の生命力:タンポポは直径1メートルに成長する

(2008年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第91号より)

雑草の生きる秘訣を田中修さんに聞く:みんなで一緒に花を咲かせる「雑草の生き方」

都会の喧騒の片隅で、か弱く生きている雑草にも生き方の秘訣がある。
『雑草のはなし』の著者、田中修さん(甲南大学理工学部教授)に巧妙な雑草の戦略を聞いた。

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都会の負け組?分相応に生きるタンポポの潜在能力

アスファルトの割れ目など、都会のわずかなすき間から顔をのぞかせる雑草。人に望まれず、踏みつけられ、引き抜かれたりしながら、都会の片隅で遠慮がちに、ひっそりと芽吹いている姿は、さながら都会の負け組のように見えなくもない。

だが、そうした小さく弱々しい姿は、雑草の本来の姿ではない。田中修さんは、「普段の私たちが目にしないだけで、例えばタンポポでも本当はもっと大きく育つ能力を持っているんです」と話す。道端では、タンポポは小さな葉っぱを展開する存在に過ぎないが、しっかりと肥料を与えて育てると、1枚50㎝もの大きな葉っぱが放射状に広がり、直径1mもの大きな草花に成長するのだという。

また、畦や道端などで人や車に踏まれながら生きているオオバコも、「大葉子」と書くわりには、それほど葉が大きくない。が、日当たりが良く、土地の肥えた、人に踏まれることのない場所だと、オオバコは観葉植物になるぐらい立派に育ち、まるで別の植物に見違えるような姿になる。タンポポもオオバコも、本当はすごい潜在能力を持っていながら、それを自慢げに披露するでもなく、控え目に生きている。

「ほとんどの雑草がそうですが、彼らの生き方はいじましいぐらいに身分相応なんです。タンポポは外見が小さくても、地下ではゴボウのように太い根が地中のどこまでも伸びていて、簡単に引き抜くことができない。大事な芽の部分も地表スレスレにあって、動物にいくら葉をかじられても、芽だけは残るような仕組みになっている。つまり、誇らしげに大きく育つより、とにかく生き抜こうとしているのです」
 

なぜ、春に花が咲くのか?雑草は仲間の繁栄を優先する

厳しい環境の中で、誰にも頼らず、自分の力で生き抜く雑草には、雑草なりの生きる戦略がある。

一番わかりやすいのは、トゲやにおい、毒などで動物から身を守る戦略だろう。また、雑草の中には人や車に踏みつけられるほど強い植物になるものが多いが、その仕組みも科学的に実証されている。植物は触られると感じて、エチレンという気体を出し、それが太くて強い植物に成長させるのだ。

極めつけは、小さな雑草のタネに秘められた戦略だ。それは、「なぜ春に花咲く草花が多いのか」という疑問とも関係している。

「人間は花の美しさばかりに気をとられて忘れがちですが、花は生殖器であって、タネをつくるために花を咲かせている。では、なぜ春にタネをつくるのかというと、暑さに弱い草花たちはタネの姿になって夏の暑さをしのぐために、2ヶ月前に夏の到来を感じとって花を咲かせるようになっているんです」

雑草のタネは発芽する「時」と「場所」も精巧に計る。秋に結実したタネは間違っても、良い日差しに誘われて秋に発芽したりはしない。自分の身体で寒さを感じ「今、冬が通過した」ということを感知してから春の暖かさを感じとり、芽吹くのだ。

また、雑草のタネは光を感じることで、自らが発芽して成長できる環境にいるかどうかも見極める。「タネは土の奥深くで十分な光が感じられなければ、土が掘り返されるまで、じっと発芽のチャンスをうかがいます。光の感知は、栽培植物には要求されない、雑草特有の能力」と田中さんは説明する。

そして、雑草は、何よりも仲間とのつながりを大事にしている、と田中さんは強調する。草花はある特定の季節、あるいは特定の時刻に仲間と一緒に花を咲かせる。とくに雑草には、朝に咲くツユクサやオオイヌフグリ、夕方に咲くツキミソウなど、特定の時間に咲き、1日以内にしおれる一日花が多い。

「そもそも草花は自分だけキレイな花を咲かせても、仲間が一緒に咲いてくれなければ、花粉もつかないし、強いタネも残せないんです。だから、彼らは温度や光、夜の長さを計って、同じ季節、同じ時刻に『みんなで一緒に花を咲かせよう』と決めている。実りを多くするためには自分だけの繁栄はありえない、仲間とのつながり、仲間の繁栄が何より大切なんです」
 

雑草のたくましさは、多様性にあり

どこにでも生える雑草は、「たくましい」といわれる。だが、一株の雑草が、寒暖や乾燥、湿気といったすべての環境に耐えられる性質を持っているわけではない。例えば、同じタンポポの種類でも、乾燥に強いものもいれば、乾燥に弱くて死んでいくものもいる。つまり、雑草の多様性が、彼らをたくましく見せている要因なのだ。そして、その雑草の多様性は、花粉を虫や風に遠くまで運ばせて、常に自分とは違う性質の子どもをつくる生殖の工夫によって担保されている。

こうした雑草たちのさまざまな戦略を見てみると、都会の雑踏の中を誰にも頼らずに生き抜き、片隅で芽を出している彼らは、実は都会の勝ち組であることがわかる。

そして、田中さんは、逆に雑草の目線から見た人間の姿をこんな風に想像してみせる。

「雑草は人間や動物のように動き回ることができないのではなく、実は動き回る必要がないんですね。水と二酸化炭素と光さえあれば、栄養分を自分でつくれますし、生殖の相手を探すのも虫や風任せ。暑さや寒さもタネでしのげる。だから、雑草がもししゃべることができたら、たぶん、食べ物や生殖の相手を探して毎日ウロウロしなきゃいけない人間はかわいそうな生き物やな、と言うと思いますよ」

(稗田和博)
Photo:中西真誠

たなか・おさむ
1947年、京都生まれ。京都大学農学部卒業、同大学院博士課程修了。スミソニアン研究所博士研究員などを経て、現在、甲南大学理工学部教授。著書に、『雑草のはなし』、『ふしぎの植物学』中公新書、『入門たのしい植物学』講談社、など多数。