ビッグイシュー・オンライン編集部より:ISILでの日本人人質事件に関連して、多くの方が「自己責任」についてのブログ記事やツイートを投稿しています。「自己責任」という言葉に対して意義を唱える意見をまとめてみました。
日本のおかしな「自己責任論」に対するたくさんの反論
昨今ネットで使われてる「自己責任」という言葉の意味がなんか変だな(フランス民法とかの文脈にないし)と思っていたが、これは昭和時代の頃までの「自業自得」の言い換えで出てきたんじゃないか。
— finalvent (@finalvent) 2015, 1月 24
たとえいくら無鉄砲な行動でも「その人危険を顧みずにそっちへ言ったんで、うちの国は知りません。どーぞどーぞ」という態度を国家が取ったら舐められるだろうし、政府も当然奔走している。自己責任の一言で片付ける人は国が手を煩わさず見捨てるべきだと思っているかもだがその辺りはどう考えるのか。
— 宋美玄 (@mihyonsong) 2015, 1月 24
生活保護や貧困を自己責任論で片付ける人も、貧困の連鎖や学業や就労のモチベーションが失われることが社会全体に与えるマイナス面については論じようとしない。重大な問題を論じる時に「誰のせい」というところから抜け出さなければ何も進まないのだけど、好きだよね、責任の所在。
— 宋美玄 (@mihyonsong) 2015, 1月 24
今回の人質事件で「自己責任」と彼らを切り捨ててはいけないことだと思う。海外では様々なことが起こりえる、守られていても殺される時だってある。どんな人でもあっても切り捨てず、最後まで国は対応してほしい。そして国の関係者が「自己責任」という言葉を使わないことを願う。
— NPO法人D×P 今井紀明(共同代表) (@NoriakiImai) 2015, 1月 20
川で溺れている仲間を助けない人達がいる。「なぜ助けないか」と聞くと「遊泳禁止看板を無視した。自己責任だ」と。
— 宋 文洲 (@sohbunshu) 2015, 1月 26
いまの「自己責任」は現代の村八分だ。自分達と異なる行動する村人への制裁にすぎない。
— 宋 文洲 (@sohbunshu) 2015, 1月 26
「自己責任」と投げ出す人が多いと知って悲しい。それなら生活保護も義務教育も警察も自衛隊も政府も、要らない。日本に生まれたのも自己責任だろう。
— 宋 文洲 (@sohbunshu) 2015, 1月 23
スポーツなどで国際的に活躍すると、「同じ日本人」として思いっきり共感するのに、紛争地帯で拘束されたりすると、いきなり「自己責任」と言って突き放してしまう冷たさは何なのか。
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2015, 1月 22
自己責任論を主張しているひとは、(1)テロに屈するのはだめだ→(2)つまり見捨てるってことだ→(3)でもそんなおれたちが正しいと納得したい→(4)自己責任論だ!という気持ちの流れなのだろうけど、心を軽くするために(2)から(3)にジャンプするのはよくない。
— 東浩紀 hiroki azuma (@hazuma) 2015, 1月 25
2人が拘束された情報をキャッチしていながら、数カ月にわたって無視し続けたのは、「自己責任だ」「放っておけ」という空気が外務省内で支配的だったからだという。省内には「いい迷惑だ」とまで言い放つ職員もいたそうだ(日刊ゲンダイ)http://t.co/paPtjMsniu
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2015, 1月 26
自己責任つー言葉が一人歩きしとる。ならば不摂生からの急病で救急車を呼ばれたら断るべきだし、北方のカニ密漁船が露警備隊に撃ち殺されるのを海保は眺めてるべきだし、寝タバコで失火した奴は骨も残らず焼き尽くされるべきだし、自衛隊も警察も消防も、真っ白な国民の生命自由財産だけ守る団体でええ
— 牟田口廉也(fake)(空腹実現党総裁) (@renya_mutaguchi) 2015, 1月 25
自己責任による厄災は放置していいを突き詰めると放火以外の火災には消防も救急も警察も出動しなくていいってことになるな。
— ナスカの痴情ェ (@synfunk) 2015, 1月 23
海外の人質事件で自己責任だという人がいるが、だから政府が救済しなくていいわけではない。日本国内の貧困問題も同じ。自己責任を叫ぶ人の怖いところは、政府の役割を個人の問題にすり替えて免責してしまうこと。
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2015, 1月 21
貧困支援の現場でも、貧困に至った要因に同情の余地があれば救済し、なければ救済しないという取り扱いが昔からずっとされてきた。ようやく生活保護法制定で、貧困に至った要因に関係なく救済するという新時代に入った。それでもなお、議論を逆行させる自己責任論は、人類の巨大な敵なのだと思う。
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2015, 1月 22
自己責任論でも明らかなように、もう私たちの社会は、『なぜ困っている人に手を差し伸べなければならないのか』を再度議論しなければならない局面を迎えているみたい。社会福祉でも同じ。社会福祉原理論を丁寧に伝えなければならない。
— 藤田孝典 (@fujitatakanori) 2015, 1月 25
株で損したのはノムラ君がそそのかしたからだと言ってたら個人投資家の時代も始まらないため「自己責任」という「ヒトのせいにしないルール」が常識化したのであり、山賊にとっ捕まって「助けて!」と叫ぶこともできない人を聞こえもしない遠くから「自己責任だろ!」と言ってみるための言葉ではない。
— オバタカズユキ (@obatakazu1) 2015, 1月 24
「自己責任」って、福祉の分野では「自己決定」「自己指向」と同義で、当事者が主体的に自ら考え判断し、自らの責任において選択していくことを意味するって聞いた。本人の意思を尊重して自由度を広げるということで、「何かあったらおまえのせいだぞ」という意味とはまったく違う。
— 香山リカ (@rkayama) 2015, 1月 23
そもそも「自己責任」って、他人に向けて使う言葉じゃないと思うんですよね。もし仮に使えるような間柄があるとすれば、よほど権力関係にある相手だとか、直接的な利害関係者くらいではないかと思います。
— たられば (@tarareba722) 2015, 1月 24
「自己責任」というのは本人が「いやいや自分が悪いんですから」と(そうでなくても謙遜して)言うものであって、これを他人が言うと途端に「自分で蒔いた種だから自分で何とかしろ」と冷淡な響きの言葉になってしまう。イラクの事件の頃から多用されるようになったような気がするがどうなんだろう。
— 三宅雪子 (@miyake_yukiko35) 2015, 1月 23
日本人が「自己責任」て言い出したのは進歩なんだよ。もともと隣組の「連帯責任」国家で、小学校でも、誰かが教室を汚したら学級委員の子が先生に殴られたりしてたんだから。この程度でも進歩なわけよ、この国は。
— Yuko Ohnaka (@YukoOhnaka) 2015, 1月 24
「自己責任」と主張する人に一言言っておきたいのは「じゃあ、あなたは一体何の責任を負ってるんですか? あなたの人生、全てあなた一人で責任を負ってきたつもりですか?」ということだ。
— 赤木智弘@お前も流星にしてやろうか (@T_akagi) 2015, 1月 21
せせこましい自己責任論というのは、いかに自分が人に助けてもらって生きているかというのを自覚していない時点で、幼稚な認識なのよ
— パラダイスさん (@paradisemaker) 2015, 1月 22
自己責任て無敵ワードに見えて、実は、思考停止ワードだよな。
— フミコ・フミオ (@Delete_All) 2015, 1月 21