こんにちは。ダイバーシティカップに参加したみなさんは、きっとこの冊子を手に取って、いろんなことを思い出されたかとおもいます。あの開放感、たくさん走ったこと、(きっと)あまりにすぐに来る体力の限界に出合ったこと、悔しかったこと、なんともいえぬ充足感。体とともにやってくる、深い気づきや、出会い。何よりも、新しい自分の可能性との出合い。
当日、その場にいなかったみなさんも、きっと似たような経験があるのではないかと思います。面倒だなあと思って参加した、子どもの頃のキャンプ。なぜか思った以上のつながりや、友情みたいなものを感じたり。頭で考えていたらきっといやだった、みんなで歌を歌うとか、テントを建ててみるとか。それらが、終わってみれば、体と気持ちが一致して、とてもすっきりとその場にいて、なんだかいろんなものが素直に受け取れて、そして心地よかったような感覚。
今回、私も、実はプレーする予定ではなかったんです。ただ、実行委員会の一人として、また、ビッグイシュー基金の理事の一人として、やっぱり体感しないとね!って、楽しみに「観に行った」はずでした。それが、ひょんなことから、「一緒にプレーしますか?」と言われて、実は、もう嬉しくてうれしくて、「はい!」と答えて、野武士ちゃんぷるチームに加えていただきました。「ほんとうに、いいのかなあ」とか、最初は戸惑いながら。
最高の体験でした。受け入れてくださった、チームのみなさん、ありがとうございました。21世紀に入って初めてフットサルのプレーでした(笑)。当事者として体験したことの多くは、この報告書で他の参加者が仰ってくれています。あっという間に息があがる。そんな中、自由に交代ができるルールだから、経験者から素人まで、それぞれの参加の仕方があった。
ボールを夢中で追いながら、見えないつながりが見え始めて、息が合ってパスが通ったとき、何とも言えない感動がある。初めて出会った人たちが、とても大切に思えてくる。頭で考えたことでいっぱいのぼくらの毎日では、なかなかない一体感や居場所が浮かび上がってくる。
私がいたチームの場合、ゲームの前後半やゲーム後にあるミーティングが本当に素晴らしかった。コーチが、みんなに今の状態を尋ねる。円になったぼくらの中から、素直な感想や良い言葉が出る。スポーツと言えばいつも、経験者がすごくって、いつも追いつけない壁があったように思います。勝つことも素晴らしいけれど、それ以外の大切な要素を、ここではシンプルに共有していたと感じます。
本当は、誰もが、何かのマイノリティなんだよね。そんなことを、あのダイバーシティカップの一日を振りかえって思います。学校でも、職場でも、ほんとうは何かの疎外感を感じている。電車の中で、大勢の中で、別の場所で、自分だけかもしれないと思って打ち明けず、できるふりをして「マイノリティじゃないよ」って顔をして、過ごしているかもしれない。他所から来た者として、女性として、経験の浅い者として… でも本当は、みんな何かのマイノリティで、だからこそ、何かの課題や気づきに出合っている当事者で、そして、そのことがより素晴らしい世界をつくっていくのに、すごく意味のあることなんじゃないか。
よりよい社会をつくるとか、仕事でもイノベーションを起こすとかいうけれど、そんな肩肘張ったことばかりでなく、それぞれの多様さを、こんな感じで自然に知って、ふつうに受け入れあっていく。できれば、体を思い切り動かし、気持ちのいい空間で。
そこにとても大事なヒントがあるように思う。それには、こういう、ありのままでいい空間がとても大切なんだろうなあと、(曇りでも)気持ちのいい代々木公園の空とダイバーシティカップの雰囲気を思い出しながら、思っています。
また、次のダイバーシティカップでお会いしましょう!
NPO法人ビッグイシュー基金理事
井上 英之
慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘准教授
〇ダイバーシティカップの報告書(抜粋版)は下記からご覧いただけます。
https://bigissue.or.jp/wp-content/uploads/2018/09/diversity.pdf