シリアでは父の日を祝う習慣はあまり一般的ではない。しかし、身の危険を感じ、妻子をアラブ首長国連邦に残して英スコットランド・グラスゴーに逃れたシリア人ジャーナリストのサアッドにとって、父の日は特別な意味を持っている。
家族が再び一緒に暮らすために奮闘していること、電話でしか子どもたちの声を聞けないつらさ、祖国で命を落とした母について語ってくれたサアッド。
父の日に送る、紛争によって家族を引き裂かれた難民の父親たちの物語。
「父の日がつらい」戦争・紛争で引き裂かれた家族たち:難民たちの「父の日」①
記者:Alison Gilchrist
6歳の娘は夜中にこっそり電話をかけてくることもあるんです。妻の携帯電話を使ってね
シリアでは父の日を祝う習慣はあまり一般的でない。しかし、シリア出身で現在スコットランドのグラスゴーに住んでいるジャーナリストのサアッドにとって、父の日は特別な意味を持っている。
自身がボランティア活動をしているビッグイシューのグラスゴー事務所で、コーヒーを飲みながらサアッドは携帯電話に保存した6歳の娘の写真を見せてくれた。少女がカメラに向かってほほえんでいる。
この写真を撮ったのは、シリアで家族と最後の時間を過ごしたときのことだ。6歳の娘は今、アラブ首長国連邦(UAE)でサアッドの妻と息子と一緒に暮らしている。こっそり電話をかけてくることも多いという。
「妻が眠っている夜中に電話をかけてくることもあるんです。妻の携帯電話を使ってね」
母国で築いた財産、仕事、そして母。「突然このクレイジーな紛争が始まって、私は何もかも失いました」
サアッドがシリアを逃れたのは、自分の身に危険が迫っていることを知ったからだ。当時、ジャーナリストとしてUAEで活動していたサアッドは、就労ビザを更新するためにシリアに帰国してからアサド政権派の組織に追われるようになった。
身の危険を感じたサアッドは観光ビザをどうにか取得して英国に向かい、入国するとすぐに難民申請を行った。
「突然この紛争、このクレイジーな紛争が始まって、私は何もかも失いました」とサアッドは言う。
「財産を失ったのも痛かった。これまで必死に働いて築いたのですから。その上昨年、この紛争で母も亡くしました」
「愛する子どもたちと遠く離れているのは身を切られるような思いです」
現在グラスゴーに住んでいるサアッドだが、妻と2人の子どもをスコットランドに呼び寄せる手段が見つけられずにいる。
「UAEで仕事をしていたときは妻も子どもたちも連れていってました」とサアッドは言う。「私がビザのためにシリアに帰国したとき、家族はUAEに残したままでした。シリアより少しは安全だから」
いつかシリアに帰国する日が来るとは、サアッドは思っていない。
「母が生きている頃は帰国に対しての希望も持てたのですが」
「シリアに戻るという希望はもう捨てました。スコットランドにいるほうが気が楽ですし、安全です。ここで一から人生をやり直さないと。そう思ってます」
スコットランドで家族と再び暮らすために申請もしているが、父と子が離れ離れの暮らしが続くことで、家族、特に子どもたちはつらい思いをしているという。
「お金があったときは娘も息子も学校に通わせていました」とサアッドは言う。「UAEでは学校に通わせるのに学費を払わないといけないんですが、私たちにはそのお金もなくて。それで子どもたちはもう学校には行ってないんです」
「情況はとても厳しいですが、希望は捨てていません」
家族と呼び寄せるため、つい最近、申請を行ったばかりだが、家族と再び会えるのがいつになるかはわからない。
「子どもたちにはどう言えばいいか。別れてからもう1年が経つんですよね?」とサアッドは言う。「子どもたちは私に会いたがっているし、私もつらい。愛する子どもたちと遠く離れているのは身を切られるような思いです」
INSP.ngoのご厚意による
「死ぬわけにはいかなかった。家族も死なせるわけにはいかなかった」家族と離れ離れの逃避行。:難民たちの「父の日」 ③
ビッグイシュー・オンラインのサポーターになってくださいませんか?
ビッグイシューの活動の認知・理解を広めるためのWebメディア「ビッグイシュー・オンライン」。
提携している国際ストリートペーパー(INSP)や『The Conversation』の記事を翻訳してお伝えしています。より多くの記事を翻訳してお伝えしたく、月々500円からの「オンラインサポーター」を募集しています。