世界中のストリートペーパー販売者による「路上で雑誌を販売する人たちが若いころの自分に手紙を書いてみた」の企画にあわせ、ビッグイシュー日本の販売者、坂田さん(77)にも「25歳の自分へ」をテーマにエッセイを書いてもらった。
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西暦1967年、昭和42年5月、そこには確実に青春とともに私の25歳があったはずなのに、52年前の私を思い出そうと思っても何も浮かんでこない。まるで何事もなかったかのように霧の中にぼんやりとうなだれている私が見えるだけで、夢も希望も見失った青春の抜け殻が転がっているだけである。
1967年の日本はと言えば、60年安保闘争も終わり、アメリカのおしりにつかまってゆく道を選び、右肩上がりの経済成長を始めたばかりの頃である。東京オリンピックを見事に成功させ、オリンピック後の不景気もなんとか乗り越えて、70年の大阪万博に向けて頑張っていた時期である。
半面、私の25歳はどうかと言うと、大学2年の春から長年続けてきたバレーボールが9人制から6人制に変わり、「チビはいらない」と告げられ大変ショックを受け、何が何だかわからないままにいろいろあっての25歳だったような気がします。しかし何もしなかったわけではなく、仕事やアルバイトもいろいろ変えて、自分の進路を探していたようで主に音楽活動をしていたようです。
その後は後悔と無念の人生を送ることになるのですが、25の時は私なりにいろいろ頑張っていたんだなあと少しずつ思い出してゆく私でした。戦後の日本は何もないところから始まりましたので、チャンスは至るところに転がっていたはずなのに、それをつかみ切れなかった自分が悔しくてなりません。
失敗を恐れず、失敗しても挫けず、何度でも挑戦し続けろと言いたい。
なぜならあなたの未来は日本の東に広がる太平洋のように、大きく深くあらゆる可能性を秘めた海なのですから。
胸に情熱を、心にほほえみを、頑張れ。