100年前に世界中で大流行した「スペイン風邪」。
このキーワードでの検索数はこれまで月に数千回程度だったが、新型コロナウイルス感染症の流行に伴い数十万回に増えたという。(「Ubersuggest」サジェストによる)
パンデミックで9割以上の美術館が休館、週に1千万から7千万円の赤字の館も
重大な危機が頻発しているこの世界において、文化的資源や歴史的な貴重品(史跡、記念碑、歴史ある庭園や公園、美術館やギャラリー、伝統的文化の担い手たちの無形資産 )を守り抜くには、持続的な安全防護やメンテナンスが必要である。しかし今、深刻なパンデミックとそれに続く感染予防策が、文化遺産セクター内、とりわけ中小規模の組織や事業に、大きな不安と長期に及びかねない連鎖反応を引き起こしている。
欧州博物館組織ネットワーク(NEMO)が発表した調査*1 ならびに考古遺産管理国際学術委員会(ICAHM)などの組織内でのやり取りによると、欧州の博物館・美術館の大半が休館しており、大幅な収入の落ち込みを背負っていることが分かっている。NEMOの調査には4月3日までに41ヶ国から650の美術館が回答、うち92%が休館していると回答した。
*1 参考:NEMO publishes initial results of survey on the impact of the corona crisis on museums in Europe
ウィーンの美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)、アムステルダム国立美術館・市立美術館など大きな美術館では 週に100,000-600,000ユーロ(約1170万円 – 7020万円)の赤字を出している。ほとんどの団体において、雇用維持されているスタッフは約7割のみである。
アムステルダムのゴッホ美術館も休館中(6月1日まで) Shutterstock
文化遺産セクターの英国政府に向けた説明によると、観光地エリアにある美術館(私立、国立ともに)のここまでの損失は75-80% に及ぶとのこと。文化遺産系の慈善事業の収入も80-90%落ち込んでいるとの報告も上がっており、その多くが数週間以内に破産してしまうとの見通しだ。
カンボジアのアンコールワット遺跡の4月の収益は、昨年の同時期と比べて99.5%減となった*2。
*2 参考:例年は700万ドル(約7億5千万円)の収益だが、2020年4月は29,368ドル(約314万円)。チケット購入した外国人は654名のみだった。 Angkor Wat records a 99.5 percent drop in monthly revenue
修復作業が続いていたノートルダム寺院でも、火災発生から1年を目前にして、ウイルス感染症対策により作業が中断に。1ヶ月半の中断を経て、4月末にようやく建設作業員たちが現場に戻ってきたところだ*3。
REUTERS/Gonzalo Fuentes
*3 マクロン大統領は5年以内の修復を約束しているが、被害状況や悪天候により作業は思うように進捗していない。Builders return to France’s famed Notre Dame Cathedral in Paris
とりわけひどい状況に置かれているのは 、孤立した場所で暮らしている先住民コミュニティの文化の担い手たちだ。彼らはまだ、オーストラリアの森林火災やアマゾン熱帯雨林火災など、直近の大惨事から立ち上がりきれていない状態だったのだから。ソーシャルディスタンスを実践できる術を持たないため、感染リスクが非常に高く、自分たちの文化的遺産を保管することも難しい。
人間には文化遺産を利用し享受する権利がある
コロナ危機によって、「美術鑑賞」という体験が今後どう変わっていくのかを考えてみたい。
NEMOの調査報告によると、ソーシャルディスタンス対策で休館となった美術館の60%以上がオンラインの世界で存在感を高めているが、オンライン活動用の予算を増やした美術館は13.4%のみだった。「バーチャル美術館」「バーチャルツアー」へのアクセス数についてのデータはまだ十分ではないものの、この分では今後大きく伸びるだろうと見ている。
「文化遺産の意図的破壊に関するユネスコ宣言」(2003年)の序文には次のように述べられている*4。
文化遺産は文化的アイデンティティおよび社会的結束を示す大切な構成要素であるから、それらを意図的に破壊することは人間としての尊厳や人権に悪影響を及ぼしかねない。
*4 参照:「文化と発展|国連広報センター」
文化遺産の利用および享受することの人権は国際法でも定められており、国際連合人権理事会の決議(2016年)にもこうある。
文化遺産の破壊または損害を与えることは、文化的権利の享受に好ましくない、取り返しのつかないインパクトをもたらしかねない。
世界人権宣言の第27条にも明言されている。
すべての人は自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する。
ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にて作品を鑑賞するマスクをした来館者。ドイツの美術館はすでに再開しているが、貴重な収蔵品の安全性を確保していく必要がある
Sebastian Kahnert/dpa-Zentralbild
パンデミックをアーカイブ化する動き
文化遺産セクターではすでに新型コロナウイルス感染症を「保存」する取り組みも始まっている。後世の人々がこの歴史的な出来事を理解するには、事実に基いたエビデンス、写真アーカイブ、その時代の人々が作った物(人工遺物、アーティファクト)を必要とするであろうと考えてのことだ。
後世の人たちは、新型コロナウイルス感染症が私たちの世界にどんな影響を及ぼしたのかを理解する手段を必要とするだろう。我々が今、スペイン風邪や黒死病(ペスト)のときはどうだったのかを振り返るように。
英政府の公共団体「ヒストリック・イングランド」は、アーティストや一般市民が撮影した「ロックダウンの記憶」の写真を募集(#PicturingLockdown)、アーカイブカタログを作り、オンライン閲覧も可能とする計画だ。考古学者らが運用しているTwitterアカウント @Viral_Archive でも、ハッシュタグ #ViralShadows (ウイルスの影)で同様の取り組みを進めている。
スミソニアン協会の国立アメリカ歴史博物館では、新型コロナウイルスに特化した「収集タスクフォース」を立ち上げた。N95マスク(微粒子用マスク)や手作りの布製マスクなどのウイルス防御グッズ、(物品不足を示すための)空になった箱、患者が描いた絵などの収集を進めている。
パンデミックを受けてスミソニアン協会は運営するすべての美術館を休館とした Shutterstock
オーストラリア国立博物館では、自身の体験・ストーリー・意見ならびにパンデミックを撮った写真を広く国民から募集、キュレーターが「自国の歴史においてすでに決定的瞬間となっているこの出来事について、国が “語る力” を強化させていく狙いだ。ニューサウスウェールズ州立図書館でも、「(パンデミックの)ストーリーを後世に語り伝えるもの」として、ステイホーム期間中の生活模様を撮った写真を募集している。
「市民科学*5」はその作業に多くの人員を必要とするものの、一般人を巻き込む上でうってつけの方法だ。オンラインアクセス増につながるし、美術館を訪れてみようと思わせることで今後の赤字削減にもつなげていけるだろう。
*5 一般市民が科学研究に参加・協力すること。
懸念されるオーストラリア「文化遺産」への取り組み優先度
今回のパンデミックが起きたタイミングも新たな課題を突きつけている。国によっては深刻な干ばつ、壊滅的な火災シーズン、洪水に襲われた直後であり、その整備や環境保全の取り組みもろくにできない状況で発生したからだ。
オーストラリア連邦政府の報告によると、2018-19年度、同国が観光業から獲得した直接GDPは608億オーストラリアドル(約4兆円)。前年度より3.5%増と、国のGDPを上回る伸び率を見せた。観光業の直接雇用者は、国全体の労働人口の5%にあたる66万6千人。観光収入・雇用の中心的存在なのは美術館や遺跡である。
政府は「文化遺産はオーストラリアの独自性をつくり上げるもの」と約束してはいるが、農業・水・環境局における位置づけからは、優先順位付けが十分でないように思われる。
アート・文化分野で起きているすったもんだ*6 の状況を考えれば、私たちの文化遺産の未来も不透明である。
*6 2019年11月、豪政府のポートフォリオから「アート・文化分野への資金提供などの支援」が消え、インフラ地域開発省の管轄下に置かれることとなった。アート・文化分野の多くの団体が資金難に直面している。またGrattan Institute社の予測によると、パンデミックによりクリエイティブ・舞台芸術分野で雇用されている人の75%が失職するとされている。
※ こちらは『The Conversation』の元記事(2020年5月6日掲載)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
著者 Anna M. Kotarba-Morley
Lecturer, Archaeology, Flinders University
(編集部追記)
上述の美術館の再開予定はそれぞれ以下のとおり(5月20日時点)。
ウィーンの美術史美術館:2020年5月30日
アムステルダム国立美術館:2020年6月1日
アムステルダム市立美術館:未定
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