詩人アーサー・ビナードさんとともに、福島県内の東京電力福島第一原発事故の被災地を歩き、考え、語らい、参加者全員が詩を作る体験型ワークショップが11月16日に開かれた。国内外からの参加者はこの日、何を感じ、どんなふうに表現したのだろうか。
全員避難で助かった請戸小学校
〝ことばの旅〟のはじまり
詩人アーサー・ビナードさんとともに歩く被災地の案内役は、「おれたちの伝承館」(福島県南相馬市小高区)館長の中筋純さん。発災直後から被災地で取材を続ける写真家でもある中筋さんは「これはある種のミステリーツアー、〝ことばの旅〟です」と挨拶。
福島県内をはじめ、千葉、東京、愛媛、そして米国からも訪れた参加者はメモとペン、カメラなどを片手にマイクロバスに乗り込んだ。
最初に、津波で死者・行方不明者157人と甚大な被害が出た浪江町の請戸地区へ。津波で請戸共同墓地が流されたため、新たに請戸地区が見下ろせる大平山の高台に造られた大平山霊園から津波被害地を見た。
「ここでは原発事故のために津波救助活動が中断され、救助隊が退避。津波で流された人が瓦礫の下で救助を求めながら息絶えた、原発事故の被害者の方々が眠っている場所。僕はグラウンドゼロ(爆心地)として、いつもここに来て黙祷を捧げています」と中筋さんは話した。
海の手前には、津波の後も残った請戸小学校(※1)が見える。津波発生当時、学校に残っていた2年から6年までの児童82人と教職員は大津波警報と同時に学校から1・5㎞離れたこの大平山へ避難した。大人たちが山頂までの道に不案内な中、野球のトレーニングで山に登ったことのある児童が先導。地域の人たちも協力し、車椅子の児童も含め全員が助かった。その経路を指差す中筋さん。
アーサーさんが震災後に訪れた請戸小学校の印象を語り始めると、参加者の1人、南相馬市小高区の同慶寺住職、田中徳雲さんも原発事故後の状況を語り始め、参加者はその話を聞きながら、この場所で発見したことなどを話す。それぞれの言葉がつながっていくかのようだ。
請戸小学校の隣の土地で、重機がガガー、ガガガっと音をたてて動いている。「あそこに建設されているのがパークゴルフ場。ヘリポートや防災施設としても活用すると言われていますが……巨額の予算が動く復興事業でよくわからない公共工事が進められていて、これも原発事故がもたらした一つの風景。津波と原発事故に遭ったこの場の意味を考えたら、防災のこと、原発のこと、いろいろと勉強できます。それぞれが思いをはせられる学びの場ではないでしょうか」という中筋さんの説明に、参加者がうなずいた。
気が遠くなる大きな問題と日常生活をどうつなぐ
参加者は、浪江町の中心商店街だった街路を歩き、大熊町で特定復興再生拠点(※2)になった地域を訪ねた。住民が普段利用していた商店が立ち並ぶ場所などでは、中筋さんの撮影による長尺の沿道写真を実際に広げ、まだ建物が壊されずに残っていた震災後の町並みと、更地が増えた現在の町並みを見比べながら、感想を語り合った。
写真の中に残る建物の名残を今の沿道に探すうちに、電信柱に残る標語の看板が現場に残っているのを発見。また、放射線測定器を手に、歩道の縁石のそばの土や茂みなど、放射能が溜まりやすい場所を測定して、その線量を記録したり、スマートフォンで撮影したりもした。
バスでの視察を終え、「おれたちの伝承館」で詩を作るワークショップが始まった。
アーサーさんは言う。「このワークショップは、詩を作るメソッド(方法)を教えるのではありません。絵も写真も詩もアートはすべて、どう表現するかを教えることはできない。〝自由〟が一番難しいけれど、必死になると何かが出てきます。自分の中から出てきたとは思えないものが降りてくることもあるんです」
福島県川内村の「カエルの詩人」草野心平や、新川和枝、山之口獏ら、詩人の作品を朗読し、それぞれの作品に込められた思いや視点などについて、みんなで対話を重ねていった。
「今日は大きな問題をたくさん見ました。予算が大きい、矛盾が大きい、核や原発の問題も大きい。遠いところからウランを運んで濃縮し、核兵器を作り、廃棄物を生むという、気が遠くなるような大きな問題と、一人ひとりの生活という小さいものをどうつなげるのか。その接点を表現することを考えてみては」とアーサーさんは参加者に語りかけた。
ジャーナリストの西里扶甬子さんは、被災地の実相を見続けるために、通い続けている思いを詩に込めた。
ある男性は、草ぼうぼうの更地の景色から、原発事故後に奪われたものと奪われていないもの、その両方の存在を感じ取り、自分の言葉で表現した。
セイタカアワダチソウが象徴
未来や共存を考えない人間
請戸地区では、かつて集落があった地域が津波後の建物撤去で更地になった今は緑の雑草の中に、ススキの穂の白色と、外来種のセイタカアワダチソウの黄色が小さな〝集落〟となって点在していた。中筋さんが、セイタカアワダチソウは他の植物の成長を抑制する物質を出して群落を形成するが、その物質は皮肉にも自分自身へも悪影響を与えてしまい、まるで「自滅」するかのように自らの勢力を弱めてしまう――という特性を説明した。するとある女性が「人間みたい……」と応えた。未来や共存を考えない人間という生き物は、セイタカアワダチソウと同じ運命になる可能性を示唆したかのような哲学的な会話だった。この女性はこの会話をヒントに、短い言葉で詩を綴った。
福島県南会津町から参加した皮革職人の小山抄子さんは、今回のアーサーさんのワークショップ開催を聞いて「ぜひ参加したい」と申し込んだ。バスの中や下車後の歩道、黒いフレキシブルコンテナバッグの置き場など、どこでも常に音が鳴り続けた放射線測定器を題材に、初めて測定器を持った違和感を詩に表現した。アーサーさんとの対話を重ねる中で「音が鳴らない町を取り戻したい」という深層の思いが引き出された。
来年3月で東日本大震災と原発事故から14年を迎える。被災地の状況は、原発事故前とはまったく違う姿になっている。しかし、写真や人々の記憶の中に残るもの、そして現在の風景の中にあるものについて、アーサーさんはこう語る。「廃棄物を入れた黒いコンテナバッグや、消えた店の看板。それらすべてのものは違う時空からの『置き手紙』なのだと考えられないでしょうか」
再び原発事故の悲劇が起きないための重要な教訓は、まだまだそこかしこに山積みになっている。
(文と写真 藍原寛子)
あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。
https://www.facebook.com/hirokoaihara
*2024年12月15日発売の『ビッグイシュー日本版』493号より「ふくしまから」を転載しました。