追悼:デヴィッド・リンチ–「レッテルを貼って分断するのではなく、同じ人間として手助けを」

※デイヴィッド・リンチ監督の訃報を受け、THE BIG ISSUE JAPAN368号(2019-10-01 発売)よりスペシャルインタビューを転載します。(年齢等は掲載当時のもの)

1991年、日本でもブームを巻き起こし、人気海外ドラマの先駆けとなった『ツイン・ピークス』。奇才デヴィッド・リンチの魅惑的な世界観に虜となったファンは、今でもあの時の衝撃を忘れられないだろう。自称、外出嫌いのリンチにとって“ホーム”とは何かを尋ねた。

Photo: Drop of Light / Shutterstock.com

最近は「路上生活に陥るかも」と感じる人が増えている。
レッテルを貼って分断するのではなく、同じ人間として手助けする義務があるのです

映画・ドラマの監督であり、脚本家、画家でもあるデヴィッド・リンチが描く不可解な世界は、それがひとつの形容詞になるほど影響力をもってきた。俗語を集めたオンライン辞書(Urban Dictionary)で「Lynchian(リンチ風)」は「不気味さと平凡さのバランスがとれていること」と定義されているが、もっとわかりやすく言えば「何が起きているのかさっぱりわからないが、それが天才的なことはわかる」ということだ。たとえば『ワイルド・アット・ハート』(’91)。ハエがたかる嘔吐物、怒りのあまり顔全体に口紅を塗る女性、突如現れる魔女の導き……そんな予測不能な素材が散りばめられたこの映画は、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した。

難解ながら異彩を放つリンチの作品は、人生や宇宙、ひいては万物への答えを含んでいるような感じがする。ただし、観ている側が自らの“周波数”を正しく合わせることができればの話だが。「二重性」(登場人物が二つの世界を行き来したり、二面性のある性格)や「夢と現実の交錯」といったモチーフが繰り返し用いられる映像は、彼が幼い頃から大好きな『オズの魔法使い』の影響である。どこか虹の向こうからやって来たようにも思える男だが、心のよりどころは“ホーム”にあるようだ。

1946年生まれ、現在73歳のリンチは、米国農務省勤務の父親の転勤により、国内の小さな町を転々としながら育った。モンタナ州ミズーラ、アイダホ州サンドポイント、ワシントン州スポケーン……自身の子ども時代のことは『ブルーベルベット』(’87)やロングランのドラマ・映画『ツイン・ピークス』などの作品で描かれている。フィラデルフィアで美術学校に通っていた頃のことも、実験的作品『イレイザーヘッド』(’81)に不穏さを加味するかたちで反映されている。

早い時期に部外者であることの強みを学んだリンチはこう語る。「人というのは何かしらの集団に所属したがり、それを心地よく感じるもの。ですから、ひとりアウトサイダーでいることは気が滅入るし、不安な気持ちになります。しかし、何かを成し遂げるには多くの時間をひとりで過ごし、思考や空想する時間を持って、自分で動くことが必要だと私は信じています」

治安が悪い地域で醸成された作風。
考えごとの時間を生み出すために「自分ルール」をつくる

彼にとって最も古い記憶のホームは、ワシントン州に住んでいた時に一人部屋としてもらった「小さなベッド付きの狭い部屋」だった。ポスターは貼らず、天井には自ら描いた絵があった。ハリウッドヒルズに暮らして数十年が経つ現在、米国の中で今日でもホームと呼べるところはあるのだろうか?

「そうした場所を探しているのは確かですが、今はどこも薬物が蔓延しています。(オピオイドなど)薬物の問題は大都市から中規模都市、そして地方へと広がり、薬物がらみの問題があまりにも多く起きています。かつては、自然のそばでの暮らしは実に穏やかで美しいものでした。でも薬物が入ってきてからは犯罪や暴力が発生し、人々は不安を抱くようになり、悲しい話が増えました。小さな町の多くが、道を踏み外してしまったように思います」とリンチは語る。

「戦争(第二次世界大戦)が終わった時は歓喜に包まれ、それは50年代になっても続きました。当時も似たような問題はあったでしょうが、そこには来たるべき明るい未来への楽観ムードがあり、それは63年のケネディ大統領暗殺まで続きました。70年代まで、この世界はまったく違う雰囲気でした」

17歳の時にはオーストリア・ザルツブルクに移住しようと思ったこともあった。だが現地に行ってみると「かの地はクリーンで美しすぎて、私が求めていた雰囲気ではなかった」と言う。そののち落ち着いたフィラデルフィアでは、犯罪率が高い貧困地域に住むことになる。「人生に最も大きな影響を与えた街」であり、“リンチ風”が醸成された場所となった。「フィラデルフィアは、堕落を感じる、不安に満ちた街で……汚れた空気、そして狂気にあふれていました。それはまさに、私が欲していた場所だったのです。ものすごかった」と彼は言う。17年に発表された絵画「フィラデルフィア」は、かつて住んでいた家を描いたものだ。

今回のインタビューがテレビ電話で行われたように、リンチは相変わらず“外出嫌い”のようだ。「もちろん出かけはしますが、苦手です。気が進まないけど、出かけてしまえば大いに楽しめていることも多いのですが。家の外に踏み出す気力を奮い起こすのが時にやっかいなんです」。家の中では“自分ルール”を厳守することでも知られている。起床してからの順番は、コーヒーを飲んでタバコを吸い、瞑想(※)をして仕事を始めること。「着る服などにも自分ルールをつくってしまえば、ただそれに従うだけ。その都度考える必要がなくなるので、考えごとをする時間が生まれ、仕事もはかどります」

リンチ基金で就職や奨学金の支援。
ホームがあるという感覚はお金では買えない無上の喜び

「ホームという言葉は美しいですよね」と彼が言うように、単なる「家屋」と「ホーム」は異なる。「『オズの魔法使い』にも『ホームにまさるところなし』というセリフが出てくるように、居心地のよさを感じられ、外出したら帰りたいと思えるところがホームです。家に家族など他の人がいて、その人たちのことを好きでいられたら素晴らしいですね」とリンチは言う。「でも、幸せでないホームがたくさんあるのも事実です。ホームが安定していなければ、それは大きなトラウマになりますから、あってはならないこと」と断言した。

だが、こうした人々に対して「ホームレス」というレッテルを貼ることは、時にそれを自分とは違う人たちの問題だとして遠ざけてしまうことにもなる。「ホームレス状態に陥ったのは本人に落ち度があったからに違いない――人はそう言います。ですが最近は『自分も路上生活に陥るかも』と感じる人が増えている。ホームレス問題がどんどん深刻化するなか、レッテルを貼って自分たちを分断するのではなく、彼らも私たちと同じ人間なんだと捉え、手助けする義務があるのです」

そう話す彼は、05年に「デヴィッド・リンチ基金」を設立した。服役者や問題を抱えた子どもたち、ホームレス状態にある人たちなどに対し、瞑想による心の安定プログラムや就職支援、奨学金の提供などを行っている。「近頃の世界はストレスでいっぱい。ストレスに悩まされている人々は、悲観的な考えを抱きがちです。でも、瞑想を実践すれば、外面的な境遇とは別に心の内で幸せを感じられるようになるのです」と話す。

Photo: Drop of Light / Shutterstock.com

「自分の内にあるものが、何よりも大きく美しいホーム。私たちの心の中には宝箱があり、それは無限で終わりがなく、永遠かつ不変、不滅なものですが、それがどこにあるのか気づいていない人もいます」。自分がホームと感じるものは記憶の中にあるのか、はたまた理想や空想の中にあるのか――それに気づく方法は十人十色だが、リンチの場合は目をつむり、マントラを唱えるということだった。「その宝箱こそが美しいホームであり、あなた自身なのです。ホームがあるという感覚は、お金では買えない無上の喜び。『汝自身を知れ』という言葉にあるように、大事なのはあなた自身なのです」

ホームとは、単なる姿形の家ではない。“心の拠り所”こそホームなのだとリンチは語った。
(Steven MacKenzie, The Big Issue UK / INSP / 編集部)

※ リンチが実践するのは「超越瞑想(Transcendental Meditation)」。50年代半ばにインドで提唱された瞑想の手法で、68年にビートルズがインドを訪問した時に学んだことで世界的に知られるようになった。リンチ自身も毎日2回の超越瞑想を欠かさず行っている。