国際社会で、ミャンマーへの関心が高まっている。一昨年の総選挙を受け、政権側が民主化の方向にかじを切ったとみられているためだ。
クリントン米国務長官の訪問では、ミャンマーとビルマ、どちらの国名が使われるのかが注目を集めた。
米政府は、クーデターで権力を奪取した軍事政権の正当性を認めず、一貫してビルマと呼び続けてきた。一説では、ビルマは多数派の民族を、ミャンマーは土地の名称を指すとされる。
今後は反政府勢力との和解などが課題になるが、彼らの立脚点は、故アウン・サン将軍が取りまとめ、少数民族に独立の権利を認めた1947年のパンロン合意だ。
国名に関しては、反政府勢力の間にも「意味としてはミャンマーの方が適切」との見方がある。
だが、これを公に認めれば、独立の権利がほごにされかねず、独立を果たせば、そこはビルマとは別の国になるとの事情がある。クリントン長官は訪問中、「この国」と呼び続けたという。
(長谷川亮/参照資料:AFP、シャン・ヘラルド)
(2012年2月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第184号より)