ヴェスナ・アレクソフスカは、マケドニアの希少疾病患者団体「ライフ・ウィズ・チャレンジ」の会長である。

彼女は7歳のときにゴーシェ病と診断された。細胞や特定の臓器に脂肪性物質が蓄積し、疲労や貧血、肝臓や脾臓の肥大、あざ、骨の脆弱化などを引き起こす遺伝性疾患である。

彼女の手記には、希少疾病を抱える人たちの苦闘、多くの患者が烙印を押され、社会から孤立していると感じる理由、社会全体、とりわけ希少疾病の患者自身による受容と理解が不可欠である理由が綴られている。― ヴェスナ・アレクソフスカ

 

人が自らの本質をどのように判断するかは、その人の育ちや、学び生活してきた環境、自分自身やその行動に影響を与えた人びと、読んできた本などによって大きく変わってくるとよく言われる。

わたしは経験から、最初に影響として認識していなかったものほど、最終的に最も影響力が大きいということを学んだ。わたしにとって、それは希少疾病だった。

長い間、わたしはゴーシェ病を自らのアイデンティティの一部として受け入れていなかった。

初めて自分の一部として認めたのは、20歳のときだった。当時、わたしは肝臓と脾臓の肥大によってお腹が膨れていて、ヘモグロビン濃度の低下による貧血で活動能力が深刻なほど弱まっていた。

血小板が減少しているため、軽く当たった程度でもあとから体じゅうにあざができ、少しきつめに抱きしめられただけで骨が折れるほどだった。わたしは、自分に起きていることをこれ以上無視しているわけにはいかないと気づき、助けを求めるべきだと思った。

しかしマケドニアでは、わたしの病気の治療法はなく、医師や病院に手紙を送っても、返事は来なかった。ようやく5年前に、わたしはヨーロッパ・ゴーシェ病連盟とジェンザイム・サノフィ・アベンティス・ヘルプ・プログラムから寄付を受け取った。

その瞬間、わたしの人生は180度変わった。わたしはやり直すチャンスを手にしたのだ。

ゴーシェ病の娘を持つウラジミール・トモフが会長を務めるブルガリアの希少疾病患者の全国組織の協力で、希少疾病患者のための団体が設立された。

自分と同じような人に出会ったのは、あれが初めてだった。>自分と同じ病気と診断された人たちに初めて会ったとき、わたしは自宅に帰ったような思いがした。養子に出されていた子どもが、ようやく本当の家族と会えたときのようだった。

世界中から集まった人たちから成る家族、わたしと同じように感じ、同じように考え、同じ痛みを抱えている人たちの家族。この人たちはわたしと同じように恐れ、普通の生活を送ることを切望し、他の人と違うということを認めるのに、ためらいと恐怖を感じている。

他の人と違うということは常に問題をはらんでいる。違うということは、異常で「解決」すべきことであるとみなされるからだ。

多様性は黙らされている

 

初めて診断を受けたとき、わたしはその意味や重要性に気づいていなかった。わたしが希少疾病を抱えているということ、病気のせいで長くは生きられないであろうことを両親が話してくれたのは、7歳のときだった。

 

ゴーシェ病の現実に直面したのは14歳のときで、それがどのような意味を持ち、病気を抱えた自分がどのように生きるべきかを理解できる年齢になっていた。>友人には話さなかった。一度話そうとして、そんなのは空想だと言われたからだ。

わたしにはいわゆる「見えない」病気が、見えない友人がいるのだと言われた。希少疾病を抱える患者の多くが、この種の不可視性を経験することになる。体の中に病気があっても、外側からは、肉体的にも精神的にも「普通の」人間に見えてしまう。

小さな症状は、特定の病気が原因であると思われることなく、すぐに百万種類もの原因と結びつけられてしまう。

たとえば、わたしのお腹が膨らむのも、はじめは病気(脾臓と肝臓の肥大)のせいだとみなされず、ダイエットと運動が必要なのだと決めつけられた。活動力がないのは怠慢であり、骨がもろいのはわたしが「虚弱な」子どもだからとされた。

 

平等とは、生まれつき他人より劣っていると運命づけられたり決めつけられたりする人などひとりもなく、誰もが皆自由で対等な存在として生まれてきたのだという考え方によって成り立っている。

それでも、この平等を享受できない人たちというのはたくさんいる。多様性は往々にして無視され、健常者の身体能力を基準とした「正常」モデルによって黙らされている。この「正常」モデルに当てはまらない人たちは除外され、軽んじられ、同化させられる。

現在、特徴をあげつらったり排除したりするのではなく、認めて受け入れる受容の実現について、多くのことが言われたり行われたりしている。

現在、少数派や抑圧された人たちに目を向ける必要があることが認められつつある。目を向けるということは、そのグループやひとりひとりをありのまま、一個の人格として理解することだからである。

 

受容は同化ではなく多様性へ、相手の状況でその人格を判断せず、個人として認めることへとつながっていかなければならない。受容と平等を求めることは、多様性を受け入れ、それをいわゆる「正常」モデルに含めるよう求めることだ。多様性の欠如は残酷さや差別につながる。

 

希少疾病の患者は、定義上、医学と科学、そして人文科学(社会政策と心理学)が扱う問題の範囲内に押しこめられる。そのため、希少疾病を抱える人は二重に不利になる。

つまり、毎日の生活の中で、珍しい病気によって生じる困難に対処しなければならないだけでなく、診断や治療法、リハビリ(身体と精神の両面において)を受ける手段がほとんどないため、社会からほとんど顧みられることがない。そして受け入れられず、誤解され、敬意を払われず、見過ごされる。

烙印を押された人たち

 

希少疾病と診断されることによって、患者と家族がさらなる問題を抱えることもある。たとえば罪悪感、離婚、就職の機会の減少、経済的困難、社会的な孤立、差別、軽視、レッテル貼りなどである。患者と家族は、言ってみれば、健康な人には到底計り知れない新たな「正常」に適応させられるのだ。

希少疾病を抱えて生きることは、毎日の困難と向き合い、自分と他者を理解することであり、前に一歩踏み出すにも、うしろに一歩下がるにも、まるで地雷原を歩いているようなものなのだ。問題は、痛みや肉体的な奇形、失われていく精神の健康、定期的な通院、治療、仕事、家族だけではない。生活の質を休まず求め続けなければならないということでもある。

そして、もし患者が暮らしているのが、苦痛を和らげるどころか患者を阻害しようとする社会であったら、患者は烙印を押され、社会によって「正常ではない」と決め付けられ、受け入れを拒否されて、狭い世界で生きなければならなくなる。メディアは病気の汚名返上に一役買うどころか、困窮した家族や、ベッドから起き上がれず、身の回りのこともできない患者の様子を報道し、正反対のことをしている。

希少疾病を抱える人のサクセスストーリーは見過ごされることが多く、もっと悲劇的な話が選ばれ、一面を飾ることになる。希少疾病の患者は、社会が正常と呼ぶ標準に合わせることができないため、即座に不適格とみなされ、社会の傍流に追いやられる。

社会学者のアーヴィング・ゴッフマンは、そのようにしてレッテルを貼られた人たちと、その人たちが拒絶され、困難な生活を抱え、世の中が流す圧倒的な量の情報を前にしてどのような戦略を実行したのかについて調査した。

「新たなアイデンティティ」を探して

 

希少疾病の患者が直面する大きな問題は、不安と、病気を理解し受け入れ、ひいては自分自身を受け入れるために必要な情報を得る手段がないということである。社会からレッテルを貼られ、排除された原因を隠そうとする患者はとても多い。 手術を受けたり、さまざまな治療や施術を受けたりするが、たとえ外見からは病気がわからなくても、「正常」ではないという痛みは心の中に残る。

 

自らの運命への対処の仕方は、患者によってさまざまである。病気と向き合い、それでも自らの最善を尽くそうとする人もいる。希少疾病によってハンディキャップを抱える35歳のある患者は、こう言う。

「死ぬまで抱え続けることになる障害について初めて説明を受けたとき、わたしは理解できませんでした。子どもだったわたしに、助けてくれる代わりに苦しめてばかりいる想像上の友人ができたようなものでした。成長する間も、わたしは人と違わないようにしようと努力を続けました。

『想像上の友人』については誰にも話しませんでした。同情や共感は欲しくなかったのです。他の人と同じような、さらにそれ以上の人生を生きたかった。わたしは優等生でしたし、思う存分働き、生きています。すべてにおいて、もしかしたら「正常な」他の人たちよりさらに、すべてにおいて」

「わたしにとって病気は、他の人とは違う見方をしたり、違う喜び方をしたり、しっかりと目を開けて大きく深呼吸したりすることを教えてくれる友人です。健康な人はだんだん減っています。わたしの「新たな正常」は、彼らの「正常」より良いものです」

 

病気の安定期にいて、ある意味で正常に最も近い生活を送ることができている患者は、自分がまだ病気を抱えている事実を――自分がまだ患者であり、他の人とは違うということを――見せまいとする。ありふれた風邪やインフルエンザにかかってもそれを認めようとしなかったり、病欠を取ってベッドで寝ることを拒否したりする。彼らにとってそれは、弱さを見せることになるからだ。そこで自分たちが「正常」であること、他の人と全く変わらないということを示すために、健康を保とうとする。

 

常に「新たなアイデンティティ」を探し続けている患者もいる。あるがままの自分で安心していられるような「新たな正常」を求めて、絶えず動き回っているのだ。あるいは、安心していられず、自分自身から抜け出して、誰か別の人になりたいと願う患者もいる。そして空想に身を任せ、現実から逃避する。動作が不自由などの症状を抱える15歳のある患者は言う。

「病気によってさまざまな限界が生じることを知ったとき、人生のひとつひとつの段階において、限界を目の当たりにすることになるとわかったようなものです。趣味やスポーツ、教育、職業を選ぶときに、その限界がついて回るのです。両親は通いやすい学校にわたしを入れなくてはならなかったので、あまり選択肢はなく、2つの学校のうち家から近い方に入学することになりました。

学校に入ってもわたしが友だちを選ぶことはできず、友だちがわたしを選び、わたしは友だちになってくれる人と友だちになるしかありませんでした。わたしは歩くことができず、他のことも望めません。スポーツを選ぶこともできません。本とテレビを選ぶしかないのです。毎日練習をさせられましたが、とにかくわたしはベッドに横たわり、絶望と数えきれないほどの限界と、かなえられなかった希望に打ちひしがれていたかった。

今、わたしが待ち望んでいるのは……新しい人生……正面から見つめることができる人生です。選択肢が欲しい。それがわたしです」

 

希少疾病の患者たちはさまざまな形で不適格とみなされ、社会に完全に受け入れてもらうことができない。レッテルを貼られた人たちなのだ。肉体的な奇形にせよ、精神疾患にせよ、肉体的・精神的な不自由にせよ、病気のレッテルを貼られた人たちは、自分たちの複雑で不確実な社会的アイデンティティに慣れようと常に努力をしている。

彼らが自分自身に対して持っているイメージは、他の人たちが彼らに対して持っているイメージと日々比べられ、その影響を受けていく。自分の周囲や毎日の暮らし、仕事に対処するために、患者たちはそれぞれ多様な戦略を実行し、希少疾病によって引き起こされる拒絶や拒否を受け止め、複雑な情報や数えきれないほどの限界と難題に対応しようとしている。

 

今日、わたしは誇り高く自信を持って、自分が希少疾病の患者であると公言することができる。

今日、わたしは敬意をこめて、ゴーシェ病を患っていると言うことができる。今日、わたしは恐れることも恥じることもなく、患者であると言える。

自己紹介をしてほしいと言われたら、経済の学士号を持っていることも、ジャーナリストとして10年のキャリアがあることも、ビジネスコンサルタントや講師の経験があることも言わない。まず一番に自分はプロの患者だと言うだろう。プロの患者とは、自分自身と他の患者のことを把握し、患者の両親のことを把握し、規則や症状、診断、重大性のことを把握すると同時に、先々予想されうることや進行状況についても把握している患者のことである。

わたしは多くの患者、わたしに賛成して自分たちの権利を主張するようになった多くの勇敢な人たちの代理を務めており、勇気を振り絞って名乗り出て、自分たちの話をし、助けを求めた両親や患者ひとりひとりのことを誇りに思っている。

わたしたちが黙っていれば世界は通り過ぎ、わたしたちが声を上げなければ世界は決して耳を傾けてはくれない。多くの人が、必要で可能な変化について話している。患者として、まず起こさなければならないと考えている変化は、わたしたちの内面の変化である。決まり文句のように聞こえるかもしれないが、これは第一の真実であり、わたしたちはここから始めなければならない。

もし自分を受け入れなければ、他の人に受け入れてはもらえない。

もし自分を理解せず、自分が必要としていることも理解しなければ、他の人たちに助けてもらいようがないではないか?

 わたしは患者ひとりひとりが自信を持ち、他人と違うことに誇りを感じ、世界を恐れないでいてほしいと思っている。そうすれば、世界も彼らを恐れなくなるだろう。普通の人間でいるのはたやすいことではないが、普通ではない人間でいるのはもっと難しい。

希少疾病は、ほとんどかからない病気ではない。希少疾病は、前触れも心の準備もないままに、どんな人でもかかる可能性がある病気である。だからわたしたちは共にスタートラインに立って、声を上げるべきなのだ。

わたしたちは人間だ、他人とは違うすばらしい人間だ。その違いは、わたしたちから力を奪うのではなく、わたしたちを誰よりも勇敢に、力強くしてくれるものなのだ。

ヴェスナ・アレクソフスカは、希少疾病の患者団体「ライフ・ウィズ・チャレンジズ」の会長である。





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