ビッグイシューオンライン編集部の佐野未来です。
イギリス人監督による、アメリカのノースカロライナ州でホームレス状態となりながらも、そのことを仕事仲間や家族・知人に隠して仕事を続けようとしている人たちの現実を追ったドキュメンタリーです。
彼女がアメリカとイギリスのホームレス支援について語るところなどは、まるで日本の話を聞いているようでした。
他にも、女優だった彼女がドキュメンタリー監督に転身したきっかけや、とりたいテーマを撮り続ける苦労などを語っています。
世界20以上の映画祭で上映され議論を呼んでいるとのこと、日本語で紹介されていないのが残念ですね。

Something You Can Call Home (trailer) from mote of dust films on Vimeo.

『Something You Can Call Home(家と呼べるもの)』公式予告動画(英語)

女優から映画監督に転身したレベッカ・ケニヨンは、ドキュメンタリーには観る人の態度を変え、考え方に疑問を投げかける力があると信じている。

彼女の共同制作会社モート・オブ・ダスト(訳注:ほこりの粒の意)・フィルムズは、社会の周縁部にいる人たちのさまざまな生き方を紹介する作品を制作している。
最新作『Something You Can Call Home(家と呼べるもの)』は、ノースカロライナ州でマイカーに暮らしながら仕事を続けようとしている人たちの現実から生まれた。
イギリスを本拠に活動するレベッカは、自らが学んできたアメリカとイギリスのホームレスの共通点と相違点を教えてくれた。
――記事:キャット・コックレーン

映画にはあらゆる感情を呼び起こすだけでなく、私たちの物事に対する姿勢や考え方に疑問を投げかける力がある

 世界各地の20以上の映画祭で60回の上映を達成した『Something You Can Call Home』は、この2年間で多様な聴衆を得て、見過ごされがちなホームレスの問題について、新たな議論を活発にした。
監督のレベッカ・ケニヨンがこの映画の着想を得たのは、家族や友人に気づかれることなく、車の中で暮らしながら仕事を続けようとしている人たちに興味を持ったことからだった。
 ロンドンで開催されたワン・フェスティバル・オブ・ホームレス・アーツ(訳注:ホームレス状態を経験した人たちによるアート作品を展示するイベント)での上映直前に、レベッカに話を聞いた。
モート・オブ・ダスト・フィルムズの創業者でもある彼女は、人を中心に据えた、社会問題に関するドキュメンタリーを制作することへの目的意識を説明してくれた。そして、社会の片隅にいる人びとの人生の物語を探ることについて、作品を観た人たちが率先して行動する姿勢を持ち帰ってほしいという願いを語ってくれた。
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ワン・フェスティバル・オブ・ホームレス・アーツのポスター

女優からドキュメンタリー映画監督へ、転身はとても自然なことだった

映画制作の仕事を始めてどのくらいですか?
 もともとは女優になる勉強をし、数年間仕事もしましたが、自分はドキュメンタリー制作の道に入りたいのだということに気づきました。本当のことを言うと、当時はこの分野で働いている知り合いは1人もいませんでした。

 数年前から、いろいろな映画やスチールのプロジェクトでカメラと制作部門の経験を積み、その後、「モート・オブ・ダスト・フィルムズ」の名前で自分自身が監督としてドキュメンタリーを作るようになりました。すぐにフィル・パーカーが助監督として加わってくれたのをはじめ、他の協力者も次第に集まってくれました。
職業として映画監督を選んだきっかけは何だったのですか?
 ストーリーテリングのバックグラウンドがあったこと、さまざまな職業の人と頻繁に会う機会があったことは、まちがいなくこの仕事について考えるきっかけになりました。そして、いつしか映画監督になることは理にかなった、とても自然なことに思えたのです。気づくと自分がドキュメンタリーを選んで観ていること、実在する人生の物語を探りたいという情熱を感じていることがわかりました。

 わたしは昔から、人を観察し、人がどのように反応し、世の中を理解していくかを知ることに興味を持っていました。映画には、あらゆる感情を呼び起こすだけでなく、私たちの物事に対する姿勢を変えたり考え方に疑問を投げかけたりする力があると強く感じています。映画を作るたびに、人生を変えるほど多くのことが学べるのが好きですし、それを紹介できるのはすばらしいことだと思います。
あなたの仕事の大きな使命とは何ですか? それは時間と共に変化してきましたか?
 これまで自分で作ったり、好んで観たりしてきた映画に共通点があるとすれば、さまざまな生き方、おそらくは(自ら選んだかどうかはともかく)社会の周縁部で暮らす人たちの生き方に関わっているところです。それに加えて、人々の中にある誤解を明らかにし、その問題についての対話を開くことを目指しているところかな。人間性と尊厳を忘れることなくね。

 「人」にとても惹きつけられますし、自分が興味を持っている中心分野は特に変わっていないと思いますが、次に何が来るかは、実は自分たちでもよくわかっていません。
時間とともに進化したと言えるものは、おそらく技術的な面です。自分の仕事以外のさまざまな撮影や編集作業から学んだおかげもあって、わたしのスタイルが発展し、話している人の顔だけを大写しにしたり、主な登場人物の3人にだけピントを合わせたりといった型通りの撮り方から少しずつ離れてきました。

 現在、わたしが特に興味を持っているのは、短い場面の使い方を試してみること、人びとの間の感動的で意義深い瞬間を、映画の中で再現できるかどうかはともかくとして、とらえることです。

ドキュメンタリーを作るためには自分自身の予定はいつでも捨てる覚悟がある

アイデアはゼロから考えていくのですか、それともアイデアのほうからあなたを「見つけてくれる」とでも言うようなことが起こるのですか?
 そのどちらでもあると言えます。たいていは、アイデアがフィルとわたしの間を跳び回っていたり、自分が読んだり聴いたりした話を紹介しあったりします。でも、アイデアが降りてきたり、会話の中にしょっちゅう顔を出したりということがあると、それを追求してみようということになります。

『Gallopers(回転木馬)』に関しては、ずっと移動遊園地での生活に興味を持っていたところに、偶然会話を交わしたゲリー・コトルという人が、由緒ある移動遊園地カーターズ・スチーム・フェアの女家長アナ・カーターのパートナーの妹であることがわかり、アナを紹介してもらったのです。そして1週間後には一族とスタッフの映画を撮る許可をもらいました。わたしは1年ローンでカメラを買い、断続的に彼女たちと旅をするようになりました。

『Something You Can Call Home』は、マイカーで暮らしながら仕事を続けようとしている人びとを知ったのがきっかけでした。どのドキュメンタリーでもそうですが、とりたいテーマの協力者に実際に会ったら、現実に起こっていることについていけるように、自分自身のための予定はいつでも捨てる覚悟でいなくてはなりません。
社会問題を扱うドキュメンタリーのイギリスでの資金調達について、どう考えていますか?
 わたし自身は残念ながら助成金を得たことはありませんが、大きな機会や、(わたしの家族が住んでいて、『Something You Can Call Home』の撮影場所でもある)ノースカロライナのクカローラス映画フェスティバルでの滞在場所を提供いただくなど、現物でのサポートを受けてきました。様々な資金調達の可能性はあるのですが競争が激しいので、ある時点になると、わたしたちは資金が確保できるのを待つよりも、時間とエネルギーを再度集中させ、プロジェクトの撮影を始めることを選んできました。

 助成金の申請を書くことは、自分のプロジェクトの本質や、自分が探究したいことをが何なのかを洗い出すよい機会になるため、それ自体が役に立つ作業です。

わたしの場合、資金繰りは、進行中の自身のプロジェクトの合間にいくつかの依頼された撮影や編集の仕事をやりくりし、生活費と撮影費、交通費をねん出しています。たいていは何とかまかなうことができますが、そのような方法で映画を制作することに犠牲が伴うのも否めません。

次の作品は「人生の終わり」についてのドキュメンタリー

『Something You Can Call Home』についてですが、イギリスとアメリカで、社会や政府によるホームレスに対する認識や支援にどのような違いがありますか?
 どちらの国でも、ホームレスの人たちは、難民も同様ですが、人間とは「違う」もの、人間未満のものとみなされる危険があり、それは恐ろしいことだと思います。

アメリカのほうが、全国的な慈善団体の力よりも信仰に根差したコミュニティーのグループにやや頼っているように見えます。どちらにも社会保障や生活保護の制度がありますが、どちらも重大な運用上の問題や予算の削減と無縁ではありません。

 どちらの社会にもホームレスを排除する措置が取られている地域があり、ホームレスが寝床にしそうな場所に突起をつけたり、時間の長さにかかわらず、路上にいることを基本的に違法にしたりしています。

するべきことはたくさんあり、特に現在蔓延する不安や不安定さには対処は必要です。ですが、どちらの国でも政府に頼るのではなく、コミュニティー内での支援と先を見越した行動を促し、自分とは異なる状況で生き延びようとしているだけの人たちに対する恐怖心をやわらげていくのが賢明だと思います。
現在の作品と将来の計画は?
 ありがたいことに初めてアテネに行くことができました。ロンドンとミュンヘン、そしてアテネの劇団が行う共同プロジェクト『Phone Home(家に電話を)』に参加しているからです。家について、難民の家族間のコミュニケーションについて探ろうというこのプロジェクトは、文化や創造的活動を支援する欧州委員会のプログラムであるクリエーティブ・ヨーロッパの資金を(イギリスのEU離脱前に)獲得しています。

 拷問を受けた人への支援を行うイギリスの慈善団体「フリーダム・フロム・トーチャー」、難民などの子どもたちに音楽を教える慈善団体「フェアビーツ」などの人たちからの協力も得てワークショップを行い、彼らのパフォーマンスを生でストリーミング配信し、3つの劇団間でリアルタイムでの対話を行っています。
それと並行して、人生の終わりについての新しいドキュメンタリー『doulas(ドゥーラ)』のために撮影をしたり、人と会ったりもしています。

 ドゥーラとは、死を迎えた人を感情的、精神的にサポートすると同時に、ホスピスのスタッフではなかなか時間をとることができない実用的なサポートも行う、新たな役割です。診察時の主張を助けたり、遺言について話し合ったり、可能な限り人間関係の修復を図ったり、現在わたしたちの文化が避けがちな死についての会話をしやすくしたりもします。 もっと死についてオープンになろうとすれば、生き方もより意義深いものになるとわたしは思っています。
『Something You Can Call Home』は、写真家でINSPの後援者でもあるデイブ・トビーが共同で始めたイベント、ワン・フェスティバル・オブ・ホームレス・アーツで上映された。ロンドンで9月30日まで開かれたワン・フェスティバルについての詳しい情報は、www.facebook.com/OneFestivalNW1を参照のこと。

INSP.ngoの厚意により


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