(2014年8月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 244号より)
実態より低い数値、積み上がる除染廃棄物。飯舘村の放射能汚染
飯舘村に出かけた。福島原発から北西に40キロメートルほど離れたところに位置している。スローライフを掲げて村づくりをしていたことで有名だった。ところが、3年前の福島原発事故の1ヵ月後の4月11日に全村避難が指示された。全員が村から出たのは6月末だった。高い放射線環境の中で最長3ヵ月ほど過ごしていたことになる。
村内へ入るのはこれで4回目となる。昨年からは、政府が設置するモニタリングポストの値(※参照)が実態より低いとの指摘があり比較している。村内およそ40ヵ所のうち、10ヵ所程度を調べている。測定結果は実態よりおおよそ2割ほど低く出ているといえる。
政府も気にしてバッテリーの位置を変える対応をとったのだが、それでも低く出るのは、堅固な土台をつくったからのようだ。それは必要な措置だろうから、実態に合うように換算すればよいと考えるが、そんなアナウンスはどこにもない。実態より低い数値が公式記録として残っていくことでよいだろうか。
今回まず驚いたことは、村のいたるところにフレコンバッグが積み上げられていたことだ。5段積みが最終形のようで、地区ごとにまとめていた(1ヵ所とは限らない)。仮置き場を設置することに各地区村民の合意がおおむね得られたことから、全村あげての除染作業が今年度から始まったのだった。公共の場所の多くが除染作業現地事務所となっていて、人の出入りが激しかった。
汚染を減らすために、家や敷地の除染、その周辺20メートルの立ち木伐採と下草取り、田畑の表土を削るなどが進められていた。表土を削るのはブルドーザーで行うのだが、生い茂っている草の除草は人手で行っていた。これらはすべて廃棄物となるので、その量は膨大だ。除染実施率は5月末時点で、宅地が9%、農地が4%。除染が進めば進むほど廃棄物の仮置き場も増えていくのだろう。
作業とは裏腹に、期待するほどの効果が得られていないとの村民の声も聞こえてくる。
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)