去年の今頃、ウィスコンシン州以外でマニトワック郡を話題にする人はほとんどいなかった。ところが、映画・ドラマ配信サイト「Netflix」で本格犯罪ドキュメンタリー「殺人者への道」(原題:Making a Murderer)が配信されて以降(2015年12月18日より配信開始)、テレサ・ハルバック殺人容疑でスティーブン・エイブリーとブレンダン・ダッシーを起訴したマニトワック郡保安局に、世界中の人々が熱いまなざしを注ぐようになった。
日本語版予告動画。Youtubeの予告動画(英語版)だけでも300万回以上再生されている。
エイブリーの弁護士を務めたふたり、ディーン・ストラングとジェリー・ブーティングは、この迫力満点のドキュメンタリー作品の結果、思いがけずヒーローとして持ち上げられ、今や国内外で講演会を開催し、多くの観客を集めている。そのふたりが、刑事司法と社会正義についてINSP(ストリートペーパーの国際ネットワーク)に語りたいと申し出てくれた。
Dean Strang and Jerry Buting. Promotional photo.
このストリートペーパーを買って刑事司法を気にかけているあなたが考えるべきは、日々路上ですれ違う人々が、なぜ当然のこととして屋根のある暮らしや次の食事を手に入れられないのかということ。正義はそこから始まるのだから。ディーン・ストラングは言う。
ヒーロー弁護士ふたりの講演会はどこも超満員の人気
ここはスコットランドの最大都市グラスゴーにある2,550人収容の「O2アカデミー」。通常はロックバンド、キングス・オブ・レオンやザ・ホワイト・ストライプスなどがライブを行う会場だ。スーツ姿の中年男性2人が昔ながらの音響チェックをしている。ウィスコンシン州の弁護士ディーン・ストラングが「マイクチェック、ワン、ツー」と言うと、彼の同僚ジェリー・ブーティングが「A、B、C…」とこたえる。なかなかシュールな光景だ。今夜ふたりは、Netflixの大ヒット作「殺人者への道」から提起された問題について、満員の聴衆の前で「長時間の対話」をおこなう予定だ。全10回のこのドキュメンタリーシリーズは、ペニー・バーンセンへの性的暴行及び殺人未遂に関してマニトワック郡に住む男性スティーブン・エイブリーに下された不当な有罪判決、それに続くテレサ・ハルバック殺人容疑でのエイブリーの逮捕と有罪判決を追いながら、アメリカの司法制度の欠陥、階級、権力、貧困、教育の機会といったものが裁判結果にいかに強く影響するものかを描いている。
この暗い物語に差し込む一筋の光ともいえる存在がストラングとブーティング、ふたりの弁護士だ。作品の中で、ストラングが「もはやエイブリーが有罪であったらとすら思うよ。でなければ彼が受けてきた不当行為は到底耐えられるものではない」とこぼすシーンがあるが、これは「アラバマ物語」の弁護士アティカス・フィンチの最終弁論以来ともいえる印象に残る弁護士の姿だった。
ふたりの正義にかける情熱は多くのファンを魅了し、国内外でこれほど大きな会場を満員にする。すっかりヒーロー的存在だ。
Dean Strang and Jerry Buting. Promotional photo.
番組配信直後、ブーティングの10代の娘は父親の話で持ち切りのSNSを使うのをやめたという。ストラング自身はSNSユーザーではないが、「Sexy Dean Strang」という非公式Twitterアカウントには数千人のフォロワーがいる。
この思っても見なかった展開に当惑しながらも、ふたりはこの注目を活かし、国内外で正義を生み出そうとする人たちの現実について率直な討論をおこなっていきたい意向だ。ストリートペーパーの販売者やその他の住宅問題を抱えている人たちが直面しがちな法の問題にもINSPと共に取り組んでいきたいと言う。
INSPのような国際的ネットワークがあるとは知りませんでした。すばらしい取り組みですね。とストラング。ストリートペーパーを買おうという意識を持つ世界中の読者に向けて語るというのは幸先が良い。彼らが指摘するように、つまるところ刑事司法とは社会正義から始まるのだから。
ふたりが講演会ツアーを開催する理由
- なぜ日常の仕事を中断してまでツアーに出ることにしたのですか?ジェリー・ブーティング(以下、ブーティング): 番組が配信されて以来、さまざまな問題が提起された。この事件に関するものに限らず、司法全体について答えが出ていない数々の問題がね。 それに、これはかなり直後の段階で気付いたことだけど、僕たちがメディアからの取材に答えても、テレビや雑誌で取り上げられた時にはほぼ意味のないもの、表面をなぞることすらしていないものになっているんだ。そこで僕らは話し合い、一般の人々向けの講演会を開催し、直接質問を受け、私たちが司法について話す場を持つのはどうかと思ったんだ。
ディーン・ストラング(以下、ストラング): 長時間の対話形式でね。
ブーティング: そう、長時間の対話形式で。最初にミルウォーキーで90分の講演会を開催したら、他の都市でもやりたいと言ってきて、自然発生的に広がっていった。その後あるツアー主催者からアメリカ全土でロングツアーをやらないかと提案があり、今や海外にまで展開している。
- この講演会は、会場を後にしてからも参加者に影響するものだと思いますか?
ストラング: もちろん、長期的な影響を残せればと強く願っている。大事なのは、アメリカのとある郡である時起きた事件が、国境を超えてより大きな範囲で、司法行政の問題について対話を促すこと。この地球上のどこにいようと私たちは人を裁き、どの国が考案したものであっても司法機関を構成するのは人間なのだから、司法制度の弱点や欠点の多くは世界共通だ。
結局こうしたことというのは、専門家らが内部で何をしているのか、不確実性や信頼性の欠如に関してどんなリスクがあるのかを一般の人々が理解しないことには何も変わらない。
繰り返すが、こうしたリスクは国境を超えて存在する。その多くは社会階級に関するもので、階級は人種や民族と関連している。貧困も人種や民族と結びついている。もしくは、移民として入国したばかりの人かもしれない。警察が犯す誤ち、彼らの世界観を支える認知バイアスは、どこでもそう大きくは違わない。
私たちの望みは、ポッドキャスト「シリアル」や、ドキュメンタリードラマ「殺人への道」「ザ・ジンクス」「パラダイス・ロスト」など実際の殺人事件を題材にした良質な番組にはまっている視聴者がその関心を持ってして、かつてどこか遠いところで起きた事件だけでなく、その背景を見ようとすること。そして自分の環境ではどうか、未来はどうなるだろうかと考えるようになること。
刑事司法だけでなく、社会正義を推し進めるには自分に何ができるのか、を考えてほしい。
Jerry Buting during Avery trial. Credit: Making a Murderer / Netflix
本人たちも想定外だった世間の大きな注目
-「殺人者への道」の撮影を引き受けた時点では、これほどのヒット作品になることは予想していなかったと思います。これほどの影響があると分かっていたら、引き受けないこともありえましたか?ストラング: こんな事態を想定できていたら恐れをなしただろうけど、知らなくてよかったよ。全くもって予想外の信じ難い展開ではあるが、こうした講演会に影響力ある人間として参加できるのはすばらしいギフトだ。
ブーティング:これまで聞かれたことない、いい質問だね。うーん、どうかな…大きな影響があると分かっていても引き受けたんじゃないかな。僕らはこれまでにも有名な訴訟を扱ったことがあるし、地元ではそこそこ反響もあったんだ。まあ、今回のとはレベルが違うけどね。
Dean Strang during Avery trial. Credit: Making a Murderer / Netflix
ストラング: 私はどうだろう…製作チーム(女性ふたりの共同監督)に協力すると決めた時、自分に言い聞かせたことをはっきり覚えている。「彼女たちは頭も切れるし勉強熱心だが、所詮は学生の分際でドキュメンタリーを作りたいと言ってるまでだ。完成したとしても110分くらいの作品で、グリニッジ・ビレッジあたりのミニシアターでつかの間上映されて、観客はせいぜい17人くらいだろう」って。大きな勘違いだったけどね(笑)。
ブーティング: せいぜいDVDになって、NetflixかBlockbusterの通信販売カタログの隅に載るのが落ちだろうと考えていた。当時はまだ、この類のドキュメンタリー作品は少なかったし、被告側の視点で描かれたものとなると「ザ・ステアケース(The Staircase)」というマイナーな作品だけだったから。
- 番組内で、エイブリーの訴訟を引き受けたことで数十万ドルを手に入れるとありました。大変な高額案件ですが、実際はこういった事件を扱うのは儲かるばかりではないのですよね?訴訟を引き受ける際はどれくらい検討されるのですか?
ストラング: 巨額案件だったから、所属先の法律事務所から追い出される心配はなかった。理論上マイナスになるところもあるが、ひどいマイナスかと言えばそうではない。引き受けるか否かは短期的な経済判断だけでは決められない。自分がどうしてもやりたいと思えるか、依頼人に好感が持てるか、不当性が見て取れるかなどをじっくり検討する。今回は以前一緒に仕事をしたジェリー・ブーティングと再びタッグを組めるチャンスでもあったので、自分にとって価値ある経験になるだろうと判断した。
注目度の高い訴訟を担当することは、長期的には弁護士としてのキャリアに有利に働くが、短期的には必ずしも仕事が増えるわけではない。だけど、勝ち負けに関わらず、訴訟をうまくハンドリングしたことを同僚たちに印象づけられれば、評判も上がり、多くの依頼人を紹介してもらえるようになる。それに弁護士という仕事には、それが正しいことであるなら無償であろうがマイナスになろうがやるべきだというすばらしい倫理感があるからね。
INSP記者のローラ・ケリーの質問に答えるディーン・ストラングとジェリー・ブーティングCredit: Zoe Greenfield / INSP
ブーティング: これほど大きな訴訟を担当する時に考えるべきは費用面だけではない。この仕事に手が取られ、他の業務が一切まわらなくなるからね。家族との生活にも影響する。こうしたことを整理してからでないと引き受けられない。私は「イノセンス・プロジェクト」(*1)の大きな訴訟も無料で引き受けていたからね。
ストラング: それに、君には高校生の子どもがいるしね。
*1: DNAテストを根拠に誤って有罪を科せられた人々の解放を目指すNPO法律団体。ストラング、ブースティングの両人も参加している。
https://www.innocenceproject.org/
※後編は明朝に公開予定です。お楽しみに!