2017年4月14日、「主要農作物種子法」の廃止法案が国会で可決された。米や麦などの安定供給体制を根底から覆す可能性がある同法の廃止は、私たちの生活にどんな影響をもたらすのか。種子システムにくわしい西川芳昭さん(龍谷大学経済学部教授)に話を聞いた。
Photo:中西真誠
食料の安定供給を支えた種子法
地域に合う多様な種子も生産
1950年代、年に1人110kg以上食べていた米が、現在は50~60 kgに減っている。とはいえ、日本人にとって米は主食。味噌や醤油の原料となる麦や大豆も日本の食には欠かせない。これら米や麦、大豆の種子供給に国が責任を持つことを定めてきたのが「主要農作物種子法(以下、種子法)」だ。
しかし、農業関係者ですら名前を知る者は限られ、一般にはほとんど知られることのなかった「種子法」。皮肉にも「廃止決定」の報道で初めて多くの人の目にふれることになったが、それはなぜか。西川芳昭さんはこう話す。私たちが普段から食べている食料の多くは種子(タネ)から作られ、その意味で、種子は命の根源です。でも今の時代、食料が満ち足り、種子のことまで思い及ぼすことはなく、種子は“あって当たり前の空気のようなもの”として存在してきたからだと思います。「種子法」は1952年5月に制定されたが、その背景には、日本人が経験していた戦中・戦後の食糧難があった。
興味深いのは、これが“日本人がちゃんと食べていけるように種子を供給する制度を作りたい”という議員立法だったことです。また強調しておきたいのは、その時期がサンフランシスコ講和条約発効の翌月だったということ。つまり、日本が主権を取り戻すのとほぼ同時に成立させた法律であり、そこには当時の政治家の"二度と国民を飢えさせない、食料の安定供給は国が責任をもってやるんだ"という明確な意思があったと思います。では、「種子法」では何が決められていたのだろうか。具体的には、都道府県が地域に合った品種を選定し、優良な種子を供給するための農業試験場などの役割が定められ、自治体の予算措置の根拠となっていた。
国土が南北に細長いため、地域に適した品種も異なります。都道府県が地域の環境に応じて奨励品種を選定するのですが、たとえば米の品種育成には8~10年はかかります。そうして育成された数十粒の種子から、農家が実際に使うのに必要な量の種子を増殖し、その品質もチェックして、供給していくという役割を都道府県が担ってきました。それによって、種子を安価に農家に供給できるのはもちろんだが、西川さんは地域のニーズに合った多様な種子を生産できたとも話す。
需要は必ずしも多くないけれど、大事な品種の開発・普及もできました。米であれば、これまでに400種以上の奨励品種が生まれ、一部はブランド米として地域の活性化にも貢献しています。種子法がなくなれば、それぞれの土地の食文化を支えてきた多様性が損なわれるリスクがあります。
欧米でも公的機関が品種開発
“バカじゃないか”誇りある種子法の廃止
今回の突然の廃止は、政府の規制緩和策の一環で、「国が管理する種子供給の仕組みが民間の品種開発意欲を阻害している」というのがその理由だ。だが、86年の種子法改正によって、すでに民間参入は可能になっていた。06年、農水省も国会で “民間の参入を阻害しているものではない” とはっきり答弁している。国会で具体的な問題点が示されなかったことから、“大義なき廃止”との声もある。そもそも欧米式の規制緩和や自由化が金科玉条のように喧伝されているが、「実際には欧米でも商業的競争力の高くない穀物等の品種開発は公的機関が担うのが一般的。米国の小麦の半分は州が種子を作っていますし、カナダでは農家が自分たちで採種している」と、西川さんは言う。
種子について国の責任を定めた法律まで持つのは日本ぐらい。それぐらい誇りを持てる種子法を、種子が国力を左右すると言われるこの時代に廃止するのは“バカじゃないか”と、友人のノルウェーの研究者から言われてしまいました(笑)ただ、種子法廃止後も従来通り、都道府県の種子生産に予算が確保されるよう国に求める付帯決議が参議院で採択され、西川さんは「すぐに影響が出ることはない」としながらも、種子の供給が自治体の義務ではなくなり、予算の根拠を失ったことによって出てくる将来的な影響は未知数と語る。
米どころの県などは種子の生産意欲が強いので当面は心配がないとしても、都市部など農業に力を入れていないところから徐々に体制が崩れていく可能性はあります。その結果、気がついた時には米や麦の種子の価格が何倍にも跳ね上がっているということは当然ありえる話だと思います。何より心配なのは、もともと国産が強くない大豆で、国が種子を支えなくなれば、大半が海外産の遺伝子組み換えの大豆になってしまう心配もあります。
多国籍企業による「種子の支配」
奪われる多様性と選択肢、気候変動への対応性
現在、種子ビジネス全般では、世界規模で展開する数社の多国籍企業が市場を席巻。育成した品種に特許をかけて遺伝資源(※)を囲い込む「種子の支配」が進められている。また、国内産の野菜の多くも大手種苗会社の画一的なハイブリッド品種に変わってきている。西川さんは稲・麦・大豆を対象とする種子法の廃止はこうした動きに必ずしも直結はしないとしながらも、民間企業が種子生産を行うリスクを懸念する。民間企業が行えば、できるだけ同じ品種を効率的に広めていくことになるでしょう。これまで都道府県が公共の役割として手間暇をかけて供給してきた地域に合った多様な品種は失われ、延いては消費者の選択肢を狭める可能性があります。また、品種の画一化は、病害虫や気候変動などの環境変化の影響も一律に受けやすくなり、大きな被害をもたらすこともありうる。ただ、西川さんは「個人的には日本の米の種子市場が多国籍企業にとって魅力があるかどうかは微妙」だと考えている。「それよりもむしろ、国が種子の供給を支えず、民間も参入してこないという中で種子が手に入らなくなり、結果的に米を海外から輸入するような最悪の事態にならなければいいのだが……と案じています」
種子法なき後、私たちにできることはあるのだろうか。西川さんは、種子の問題は「食料主権」という人権を踏まえた視点で考える時がきていると話す。
食料主権というのは、何をつくるか、何を食べるかを決めるのは他国政府でも多国籍企業でもなく、自分たちの政府と国民、農家自身であるという考え方です。今回の種子法の廃止を種子の問題を知るきっかけとして捉え、自分たちが食べたいと思うお米を買って、食べ続けて農家を支えていく。結局、最後はそれが最も大きな力になるんです。(稗田和博)
※ 遺伝子資源ともいう。さまざまな生物の遺伝資源は、医学や生物工学などに応用すれば人間に有用となるものもある。生物多様性条約では生物多様性保全の一環として遺伝的多様性保全の重要性が指摘されており、近年は、長い進化過程の末に残されてきた生物の遺伝資源は、それ自体が貴重であり、人間にとっての有用性にかかわらず保護を図るべきと考えられるようになってきた。
にしかわ・よしあき 1960年、奈良県生まれ。龍谷大学経済学部教授。京都大学農学部卒業後、バーミンガム大学大学院植物遺伝資源および開発行政専攻修了。国際協力事業団(現国際協力機構)、農林水産省、名古屋大学大学院教授などを経て、現職。『奪われる種子・守られる種子』(創成社)、『種子が消えればあなたも消える 共有か独占か』など編著書多数。 |
※以上、201707/01発売のTHE BIG ISSUE JAPAN 314号「ビッグイシュー・アイ」より記事を転載いたしました。
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モンサントの不自然な食べもの
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世界が食べられなくなる日
http://www.uplink.co.jp/sekatabe/
『ビッグイシュー日本版』の「種子」「自給」関連号
THE BIG ISSUE JAPAN336号特集:米のタネは誰のもの?
https://www.bigissue.jp/backnumber/336/
THE BIG ISSUE JAPAN308号
特集:都会で畑
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THE BIGISSUE JAPAN 315号
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