難民を「収容」すると「コスト」のかかる「問題」であることは避けようがない。

だが、難民を「自国に多様性をもたらす存在」として捉え、コミュニティが受け入れられるのであれば、もはや「難民」は「問題」ではなくなる。
カナダの民間支援「プライベート・スポンサーシップ」を利用した難民家族を紹介する。



下記は2018/08/02に公開の記事を再編集したものです。
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ラミ(33)とサルマ(29)が結婚した2013年、シリアはすでに戦闘下にあった。
しかし、彼らが暮らす北東部の街ハサカはまだ平穏だった。

3月15日、両家の家族が見守るなか、結婚の誓いを交わし、指輪を交換。皆で二人の旅路に幸運を祈った。
しかし戦闘は激しくなる一方。国外へ出た方が安全と考えた二人はレバノンを目指した。結婚から3週間後のことだ。

レバノンに国外逃亡しつつも出産は家族のそばで

レバノンで、ラミは配管工として働き、サルマはシリア人の子どもたちに大学で専攻した音楽を教えることにした。シリアに残してきた家族とは、毎晩、携帯電話で話し、戦闘が激しくなったとのニュースを聞けばWhatsAppメッセージを送った。

その後、サルマが妊娠。母親に電話で報告し、故郷に戻って出産したいと言いだし驚かせた。
家族のそばにいたかったの。
親しい人がいない土地で初めて出産するなんて心細かったから…。
8か月後、二人は故郷ハサカに戻り、2014年1月1日に女の子の赤ちゃんを出産、リリアンと名付けた。

リリアンを連れてすぐにレバノンに向かい、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で難民登録をした。

そのリリアンは今、ソファの上で遊んでいる。ここはバンクーバー市内の人気エリア「グランビル・アイランド」からすぐ近くの「Twin Rainbows」という協同住宅の5階だ。

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photo:Carmine Marinelli

カナダ特有の難民支援「プライベート・スポンサーシップ」

シリアの難民危機に対し、カナダは温かい言葉と大胆な移民目標を掲げて応じた。2015年11月4日以降、カナダに入国したシリア人は合計28,876人、その費用は7億ドル(約595億円)に上る。(記事が掲載された2017年4月時点)

カナダの難民支援策には、政府によるものと民間のもの(プライベート・スポンサーシップ)二つのカテゴリーがある。政府支援を受ける難民は、政府から1年間、最低限必要となる宿泊施設と、食べ物や生活費の資金を受け取る。一方、「プライベート・スポンサーシップ」の支援を受ける難民は、諸費用の負担に合意した組織からサポートを受ける。両カテゴリーともに、難民たちは英語教室などの「移民向けサービス」を利用できる。
入国してからの1年で、難民は身を立てられるよう準備することが期待されている。1年後には、他のカナダ人同様、仕事に就き、生活費を払い、子どもを育て、自活できるようになっているべきだと。

「1年後に自活」 これは言語や就労スキルのない難民たちにするとかなり困難な見立てだ。さらに厄介なのが、英語教室や保育といった「移民向けサービス」が全国レベルで需要に追いついておらず、システムが滞っていること。

7月初め、カナダの上院委員会は政府に対し、これらの諸問題に対処し「迅速な措置」を取るよう要請、さもないと、うまくいくはずの難民支援策が危うくなるとした。

大量のシリア難民が発生した経緯

2011年に起きた「アラブの春」を受け、シリア国内でも民主主義を叫ぶデモ隊が路上に繰り出した。シリアのバッシャール・アル=アサド大統領は、反政府勢力を力ずくで鎮めようとしたため、戦闘が激化。

シリア軍は残虐行為を繰り広げ、反政府勢力もそれに応えた。世界のリーダーらが国際舞台で非難を表明しあってるあいだにも、現場にいる市民ジャーナリストたちのiPhoneには次々と恐ろしい状況が記録されていった。

破壊された建物のがれきに埋もれる死体、息子や娘の死を嘆く親たちの姿…。
宗派間の殺人がさらに状況をエスカレートさせた。国がゆっくりと崩壊していくなか、権力不在の隙を狙い、イスラム過激派が組織された。

絶望に追い込まれた難民たちは陸路や海路で欧州入国を目指し、国連はそれを「危機」と呼んだ。大量の人間が移動したが、その大半は受け入れられず、国境は閉ざされ、自国中心主義が欧州全体に広がった。

難民は害を及ぼすもの、安全を脅かすもの、ISISの潜入者とされた。

2015年9月2日、赤十字スタッフが撮った1枚の写真には、トルコのビーチに流れ着いた幼い男の子アラン・クルディ君の死体が写っていた。この写真はシリア難民の窮状を浮き彫りにし、ここカナダでも選挙の争点となった。

関連記事:市民が難民を受け入れる「プライベート・スポンサーシップ」。きっかけは3歳のシリア難民男児の溺死ニュース

待ちに待ってカナダで暮らせることに

「お茶を入れますね」

サルマがキッチンに入っていった。ラミはほほ笑み、英語はあまり話せませんと言った。いつもは彼がアラビア語で話し、サルマが通訳してくれる。でも、英語習得には前向きで、9月から英語教室に通う予定だ。

サルマがテーブルにお茶とオートミールのクッキーを出すと、リリアンが手を伸ばす。サルマの英語教室はすでに始まっていて、「レベル4」に入れたのよと得意げだ。

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photo:Carmine Marinelli

カナダに来るまでの経緯を尋ねると、サルマが説明してくれた。
3年待って、この2月にようやく連絡をもらったの。
カナダに行きたいかって聞かれたから「ええ!」とね。
突如として手続きが始まった。
初日に面接、メディカルチェックにもう1日。カナダ人役人との面接もあった。
いろいろ聞かれました。レバノンにはどうやって来たのか。レバノンに来る前は何をしていたのか。軍人からもセキュリティ関連の質問をいっぱいされました。
これで終わった。帰って連絡を待てと言われた。
1ヶ月待っても、何の連絡もありませんでした。
彼女は少し間をおいた。
諦めかけてたところ、やっと3月21日に連絡があり、カナダに行けることになったぞ、行き先はバンクーバーだと告げられました。
バンクーバーについて何か知ってたか聞くと、
カナダについてさえ何も知らなかったわ。
と笑った。

カナダに来たことをどう思っているのか、恵まれていると思うのか後ろめたさがあるのか、もしくはその両方なのか。
私たちは恵まれてます、カナダはすばらしいところですから。バンクーバーは美しい街です。でも家族とはあまりに遠く離れてしまいました。できることなら家族の近くにいたいです、特に今みたいに妊娠してる時はね。
リリアンの時は、ハサカに戻って、家族が見守ってくれる中で出産しました。でも今は…
声色が変わる。ひと息つくと、唇をかんで言った。
難民であっても家族を呼び寄せられるようなサポートがあれば心強いのですが…
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photo:Carmine Marinelli

「難民」と「国内避難民」の違い

歴史を通じて、紛争、干ばつ、その他の大変動に見舞われ、安全な場所を求めて自国を逃げ出す人々は発生してきた。それはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、宗教に関係なくだ。

国連に難民認定されるには、自国を離れていなければならず、戻ることもできない。国外に脱出する者と国内にとどまる者との違いは、大きな懸念点となっているものの、国際的な難民システムの仕組みを理解する上で極めて重要である。

自国を離れていない者は難民とは認められず、「国内避難民(Internally Displaced Persons)」の扱いだ。ラミとサルマの場合は、母国の家族のもとを離れレバノンに来たから「難民」のステータスを得たわけだ。

町内会主導の難民受け入れ

カナダはベトナム戦争で大量に生み出されたベトナム難民を受け入れてきた。キャスリーン・マッキノンが今、シリア難民の移住支援に関わっているのはそれに感化されたからだ。長年、「ブリティッシュ・コロンビア州教員連盟」で働きながら社会活動に関わってきた彼女は現在、「フォールスクリーク・サウス町内会」のメンバーであり、「難民スポンサーシップ委員会」の代表を務めている。
「シリア101」という大規模なコミュニティ会議を開催し、メンバーに現状を説明しました。100名以上が参加し、議論した結果、シリア人難民を支援していこうと決めたのです。
カナダがベトナム難民を受け入れるようになってから36年が経ち、ずいぶんと状況は変わった。難民、とりわけイスラム主流国からの難民に対する国際的感情は硬化。ISISがパリやブリュッセルで起こしたテロ行為により、シリア人は「安全を脅かしうる存在」と見られるようになってしまった。

カナダのトルドー首相が、受け入れ難民は十二分に審査すると繰り返し約束したところで、批判する人たちを納得させるに至っていない。

しかし、難民の「安全性」の問題は町内会を思いとどまらせはしなかった。難民支援は自分たちの義務ではないと反対する声もわずかながらあったが、「大半の人はとても協力的でした」とマッキノンは言う。

2016年10月、町内会は「プライベート・スポンサーシップ」の手続きを始めた。申請を効率よく進めるため、すでにカナダ政府からスポンサーとして公認されている「カナダ合同教会」とパートナーになった。
資金はすべて自分たちで集めました。寄付を募集した時点では1ヶ月で27,000ドル(約230万円)集まれば良しとしていましたが、蓋を開けてみれば35,000ドル(約300万円)も集まりました。
とマッキノンが説明してくれた。 資金集めに加え、宿泊施設についてメンバーらに調査した。受け入れるシリア人家族が近隣に住んでいれば、地域として深く関与できるからだ。

協同住宅を転貸してる人が見つかったので、委員会が建物の管理人と話し、難民家族に転貸してくれないかと掛け合った。

そして4月26日、ラミ、サルマ、リリアンの3人家族がこのアパートに入居、彼らのバンクーバーでの新しい住まいとなったのだ。

住宅、就労、英語学習、保育...課題は山積だが

この家族がメインエリアに暮らせているのは、ひとえに町内会が持つネットワークのおかげだ。「プライベート・スポンサーシップ」による支援がなければ、住宅市場で一般の人と競わなければならない。
ブリティッシュ・コロンビア州の「移民サービス協会」で定住サービス担当マネージャーを務めるキャロライン・デイリーは言う。
バンクーバーの破格に高い賃料と空き室率の低さ(0.6%)は難民定住における最大の課題。状況は悪化するばかりです。

彼女いわく、難民の95%はもっと手頃な住居を求めて他の街(サレー、ラングリー等)を目指すそうだが、
それでも高く、競争率も高いです。予算内の物件が見つかっても、15〜20人ライバルがいるような状況です。
2週間後、再び彼らの家を訪ねると、ラミが近くのマリーナで働き始めたという。

しかし、そのせいでサルマは英語教室に通えなくなった。リリアンは小さすぎて保育サービスに預けられないからだ。 仕事をしてお金を稼ぎ職歴を築くか、今後の生活で必須となる英語教室を受けるか、どちらか1つを選択しなければならない。

保育スペースが足りてないことも定住の大きな壁となっている。たとえリリアンが保育対象年齢であっても、空きがないかもしれないのだ。
大勢のシリア人は2〜5歳の子どもを連れて移住してきます。保育サービスを利用できなければ、英語教室にすら通えません。
とデイリーは言う。

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photo:Carmine Marinelli

英語教室の数が足りてないことも、事を複雑にする。
難民と支援者どちらにとってももどかしい状況である。
英語の授業を受けられるまでに7〜9ヶ月もかかるようでは、自活すべきタイミングまでに時間が足りません。
難民の定住において、彼らをいかに労働市場に巻き込んでいけるかも重要な点だ。町内会がもつコネのおかげで、ラミは2度仕事を斡旋してもらった。ひとつは協同住宅のメンテナンスをするパートタイムの仕事、もうひとつはマリーナのメンテナンスをするフルタイムの仕事。こうして実際に就労することで、スキルを身に着け、経歴を築いていける。

ラミの上司にあたるマネージャーにも話を聞いた。

彼はシリアなど中東で暮らした経験があるらしく、「新しくやってくる人たちをサポートしたいんです」と言う。彼の家族もサルマやリリアンに会ったことがあるし、近所の人たちにも積極的に紹介している。

ラミはうまくやっていけてるかと尋ねると、
もちろん。よく働き、上司にはありがたい存在です。でも、彼もサルマも故郷の家族をとても恋しがってます。
そして、こんな打ち明け話しをしてくれた。
以前、ラミが故郷に帰ろうと思うと言ってきた。だから言ってやったんです。ここでの新生活はきみのためだけじゃないだろ。子どもたち、リリアンともうすぐ生まれてくる赤ちゃんのためでもあるだろってね。

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photo:Carmine Marinelli

道は険しいが

前途は多難だが、ラミとサルマは「プライベート・スポンサーシップ」の援助を受けられた自分たちはとても恵まれていると認める。
私たち以外にも2組の家族がバンクーバーに来ました。彼らのもとを訪れると、私たち家族が町内会からいかにサポートしてもらっているかを痛感します。
いまだにホテルの一室で暮らし、新生活への適応に苦戦している家族もいるそうだ。 ソファのそばで遊ぶリリアンを見ながらサルマが言った。
感謝すべきことばかりです。カナダで新しい生活を築くことは、私たち夫婦には厳しいこともあるけど、リリアンはとてもうまくやってるわ。
By Joshua Hergesheimer
Courtesy of Megaphone / INSP.ngo

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