2011年の「リビア革命」以降、リビアは民主化への移行過程にある。しかし、女性の政治参加や地位向上を目指すNGO「リビア女性の声」を設立したアラア・ムラビトにとって、仕事はまだまだこれからだ。

リビアでの活動。たやすいものではないが、理解者も多い

 アラア・ムラビトはカナダのサスカチュワン州で生まれ育ち、15歳で中学校卒業と同時にリビアに移り住んだ。ザウィア大学の薬学科では大学の自治会初の女性メンバーとなり、リビア社会における女性の疎外を実感。子どものための相談電話や病院など、多数のボランティア活動にかかわった後、革命を契機として2011年8月にNGO「リビア女性の声」を創設した。

「リビア女性の声」は、女性への経済権限の付与と政治参加を促し、あらゆるかたちの暴力に対して問題提起を行っている。11年11月には、第1回年次国際女性会議「ワン・ボイス(声を一つに)」を開催。会議にはマフムード・ジブリール前首相、当時のアブドッラヒーム・アル=キーブ首相、そしてアブドゥル・ジャリール・リビア国民評議会議長のほか、国連リビア支援団のような国際団体からも多くの政治家が参加した。

 さらに12年7月の初の総選挙の後、「リビア女性の声」は新しい憲法に女性の権利を入れるよう求める第2回の「ワン・ボイス」会議を開いた。この総選挙で誕生した33人の女性議員のうち7人は「リビア女性の声」出身である。なぜいま変革が求められるのか、彼女を突き動かすものは何なのか、ムラビトがINSPの取材に応えた。

──伝統を重んじる政府の反対派に真っ向から対峙し、同時に女性たちの支援も行う。どのような重責を感じていますか?

アラア・ムラビト(以下AM):
正直なところ、みなさんが思うほどのすさまじい反対圧力を受けたことはないのです。リビアでの活動がたやすいものだとは言いませんが、理解してくれる人が多いのも事実です。

 また、反対勢力とはいっても、相手は私たちのことを、ただの若い女の子の集団だと思っているようです。でも、それでいいのです。私たちが力のある組織だと気づいた時にはきっと遅いのですから。

 たとえばこんなことがありました。11年11月に「ワン・ボイス」と題した会議を開催した際には、「開催します」と政府側に報告すると、反対勢力の人たちは「ご自由にどうぞ」と、小ばかにした反応でした。ところが、多数の要人や国民評議会の議員30人が私たちの会議に出席することがわかると、彼らは「招待してくれたら参加したのに」とか「招待状を待っていた」などと言いました。世間が自分たちを深刻に取り扱ってくれないことは、プラスでもありマイナスでもあります。

──民主化への移行期にあたる今、男性も女性もそれぞれ伝統的な社会の価値観に基づく役割に戻ってしまわないことが重要だと、あなたは述べています。

AM:社会に変化は起こっていますが、革命直後に期待されたほどではないと思います。でも、それも予想の範囲内です。

 みな、革命が一段落したところで、いっせいに元の仕事や持ち場に戻ったのです。たとえば女性が市民社会運動にかかわるインセンティブを見いだせれば、女性は活動を続けるでしょう。でも、変革が確実でないものに映れば、女性たちは元の仕事や家庭に戻ってしまいます。それでも現時点では、新たな憲法の制定に期待し、信頼を寄せる人々がまだ多いように思います。

総選挙で49%の女性が投票。オンラインで学位取得が可能

──昨年7月の選挙で、多くの女性が投票を行いました。

AM:リビア全体で、女性の投票率は49パーセントでした。保守的といわれる南部のオバリという街でも51パーセントに達しました。みな「南部の女性は教育水準が低い」とか「山岳部の女性は教育を受けていない」とか言いますが、今回の選挙でその固定観念が間違っていたことを証明したと思います。

 今回の選挙では、当初各政党は女性の票など真剣に捉えていなかったようですが、キャンペーンの半ばで、多くの女性が選挙登録を行ったことがわかると、急きょ女性の権利だの女性の投票権だのをうたったポスターが掲げられるようになりました。

 大切なことは、投票日の朝、母親が娘に「私はこれから選挙に行ってくる」と話したか、あるいは一家の父親が「よし、今日は家族全員で選挙に行こう」と語りかけたか、ということなのです。それが、親が子どもに送る大変重要なメッセージなのです。

──いわゆる「アラブの春」以降、国家の発展は情報通信技術(ICT)が大きく左右し、女性に知識をもたらすツールとして活用されるべきだ、とあなたは述べています。

AM:さまざまな社会的障壁があるリビアでも、情報通信技術を活用すれば、女性が大学に通うために家を出て他の土地へ赴く必要はなく、「オンラインで学位を取得する」「遠隔(通信)教育を受ける」「自分のパソコンから情報を得る」などが可能となります。

 私たちは、携帯メールとラジオ番組も試しています。特に、視聴者が電話で参加するラジオ番組は、さまざまな事柄を女性たちが考えるきっかけになっています。ラジオで議論を聞くまで、その争点に興味をもっているかすら認識していなかったことについて、「ちょっと待って。彼女の意見は違っているわ」と考えたりしますから。

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© Pixabay

──誰に一番元気づけられますか?

AM:母と父です。「私は君を支持するよ」と最初に父が言ってくれなかったら今の私はないでしょう。そして、親族一同を私の支持に回るようにしてくれたのです。残念ですが、私たちの社会では実際に男性が土台にならないとだめなのです。そして私の場合はそれが可能だったのです。

──リビア革命では、多くの市民の犠牲が出ました。

AM:多くの家族が喪失を経験していると思います。私は父と兄弟たちが家に帰ってくるのを祈っていました。逮捕されないように、捕まらないようにと願っていました。私の心は、愛する者を亡くした家族や逮捕された少女たち、そして安らかな気持ちで地元に戻ってくることのできなかった人たちに向いています。
  (Samba Yonga/INSP)

※上記の記事は 2013-03-15 発売のTHE BIG ISSUE JAPAN211号の記事を転載したものです。

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