“歌う娯楽”といえば日本ではカラオケ。仲間とワイワイ、時にはひとりで熱唱、ストレス発散している人も少なくないようだ。大声で歌うことは単純に気持ちが良いものだし、健康維持にも良いとされている。
そんな「歌う」ことのメリットを生かし、オーストラリアでは「コミュニティ合唱団」なるものの人気が高まっている。年齢や貧富の差、障害の有無に関わらず、多様な人を巻き込むコーラス団とはどんな雰囲気なのだろう。まずは、日本発の大ヒット曲『上を向いて歩こう』を楽しそうに歌う彼らの様子をご覧いただきたい。
『上を向いて歩こう』を歌うメンバー/With One Voice - Melbourne
こちらの合唱団「メルボルン・ウィズ・ワン・ボイス (Melbourne With One Voice)」の練習に『ビッグイシュー・オーストラリア』のライターが参加。歌が持つ力、コミュニティーコーラス団の活動意義を体感することとなった様子をリポートする。
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荒れ模様の火曜の夜、湿った風で花粉が吹雪のように舞っている。 しかし、スコッツ教会の中は落ち着いていた。教会らしくシーンと静まり返っている。だが、それも長くは続かない。音響効果もバツグンのこの場所で、今夜は「メルボルン・ウィズ・ワン・ボイス」合唱団の練習が行われるのだ。
入口で私を迎えてくれた女性アナベルは、合唱団に参加して 5年ほどになるという。松葉杖を突きながら部屋を動き回り、参加者の名前を書き入れ、椅子を並べ、指揮者が必要な物は揃っているか等をチェックしている。
ほどなくしてベスが到着した。車椅子に乗って、にこやかな笑みを浮かべている。 先天性の脳性麻痺で移動が困難な彼女。 以前は叔母に付き添ってもらっていたが、今は自力でタクシーで来ている。「これは私ひとりでできることだから」と誇らしげに言った。
「グループに入れてとてもうれしいです。ここは私の居場所、誰も私の車椅子を気にしちゃいませんから。」 歌っている時はどんな気持ちなのと尋ねると、「最高よ!」叫ばんばかりの調子で返ってきた。
10年前からオーストラリア国内で増えているコミュニティ合唱団
「コミュニティー合唱団」という概念がオーストラリアに入ってきてから、まだ10年ほどだ。発端は「クワイアー・オブ・ハード・ノックス(Choir of Hard Knocks)」合唱団の活動を追ったドキュメンタリー番組が国営ABCで放送されたこと。指揮者兼オペラ歌手のジョナソン・ウェルチが率いるこの合唱団は、恵まれない人やホームレス経験者たちを「コーラス」でまとめ上げ、自分たちにも美しいものを生み出せる、ということを示したのだ。メルボルンのビッグイシュー販売者も数多く参加しており、なんと「シドニー・オペラハウス」の舞台でも歌を披露したのだ。「ドキュメンタリー番組のおかげで、我々の合唱団メンバーもあなたや私と全く同じ、希望や夢を持った普通の人だと見てもらえるようになりました」とウェルチは言う。彼はこの他にも、難民・移民支援グループ「AMES Australia」と共に立ち上げた「国境なき歌声 (Voices Without Borders)」等、コミュニティー合唱団の結成に携わっている。
「誰だって評価され、認めてもらうチャンスを欲していますし、何かしら世の中に貢献したいと思っています。合唱団なら美しい歌声でそれが実現できるのです。」
このプログラムに触発されたパース在住の音楽家バーナード・カーニーは、地元のビッグイシュー販売者らと 「スピリット・オブ・ザ・ストリーツ (Spirit of the Streets)」合唱団を結成した。活動開始から11年、今では(販売者に限らず)彼いわく「社会不適合」と感じる誰もが参加できる。
団員のスティーブは、「ビッグイシュー」の販売者となった10年前から合唱団に参加、「パース・コンサートホール」での盛大な公演でも歌った。「もう最高でしたよ!何千人ものお客さんの前でステージに立つなんて、実に素晴らしい経験でした。」合唱団の話になると「素晴らしい」を連発してしまうようだ。
「みんなで笑ったり楽しい時間を過ごせます。合唱に行くのが大好きです。出掛けて、地元の人と顔を合わせて。友達もたくさんできました。本当に素晴らしいことです。」
歌うことで「私たち」の共通点に気づく
さて、スコッツ教会では練習が始まろうとしている。私はアナベルらとアルトのパートに入った。王立植物園の制服を着た女性は、きっと職場から直行したのだろう。ウィズ・ワンボイス(With One Voice)」は、社会起業家でソプラノ歌手のタニア・デジョンが2008年に立ち上げたコミュニティ合唱団プログラム。メルボルン以外の都市にも多くの合唱団が誕生している。いずれの合唱団もプロの指揮者が率い、恵まれた人もそうでない人もが一緒になって歌を歌う。(※)
※編集部補足:2019年2月時点で、メルボルンの他、シドニー、アデレード、ブリスベン、キャンベラ、ビクトリアなどに22の合唱団が誕生している。年齢、信仰、文化的背景、社会経済的地位に関係なく、9 〜90才まで600名以上いるメンバーは増加の一途。
「一緒に何かをやってみると、自分たちのあいだにいかに多くの共通点があるかに気付かされます。 私たち・彼らと区別するのではなく、『私たち皆で』となるのです」とデジョンは言う。
若者も高齢者も、仕事がある人もない人も、車イスの人も高価なスーツを着ている人も、みんなで一緒に大きく息を吸い込み、息が細くなるまで吐き出す。次は、早口言葉のウォーミングアップだ。 「マイ・マム・メイクス・ミー・マッシュ・マイ・ミニ・エムアンドエムズ・オン・ア・マンデー・モーニング!」
* 「M」の音が続く早口言葉。意味は「月曜の朝、ママが私に小粒のM&Mをつぶさせる」。
さっそく、アンソニーのキーボードに合わせて『愛を感じて (Can You Feel the Love Tonight)』を歌った。 歌がいい感じだと彼もノッてきて、フローリングの上でキーボードも跳ねて踊り出しそうだ。「すごくいいよ!」歌い終わると彼が大声で言った。
続けて『この素晴らしき世界』と『アイ・アム・オーストラリアン』を歌った。 赤毛のロングヘアの女性が立ち上がり、オーストラリアの手話「オースラン」で歌詞を説明する。 三重唱が、天使の歌声のごとく教会内に響きわたった。
© Pixabay
休憩していると、近くの会社でITプロジェクトマネージャーとして働くモニカが合唱団に入っている理由を話してくれた。「日常から少し距離を置ける時間なんです。毎日の生活は、仕事に家事、3歳の子どももいて、とても忙しいですが、ここに来て歌い始めると解放されて、すべてを忘れられるんです。」通りがかったアナベルも言った。「歌うことって、ヤバイくらい気持ちいいの!」
これまでに私が話を聞いた人は皆、歌うことの効用は科学的にも証明されていることを口にした。デジョンは関連するTEDトークはすべて保存していると言っていたし、ウェルチは英国では医者が鬱病患者に合唱団で歌うことを「処方」していると教えてくれた。
歌うことでエンドルフィンが放出され、愛情・信頼・絆に関連するホルモン「オキシトシン」のレベルが増える。 英国王立音楽大学による調査では、グループで歌うことはストレスホルモン「コルチゾール」を劇的に減少させることが示された。フランクフルトの合唱団と実施した調査では、大勢で歌うことで血液中の抗体が生成されることが判明した。
各メンバーの願い事実現を助け合う取り組み「ウィッシュリスト」
練習が終わると、アナベルが恒例の「ウィッシュリスト(Wish List)」という取り組みについて説明してくれた。毎回、練習後にメンバーが願いごとを打ち明け、他のメンバーがそれを叶えるためのアイデア出しをするのだ。モニカは自分の子どもに音楽レッスンを受けさせるにはどこが良いと思う?とアドバイスを求めた。 2年前のことだが、ベスは自分ひとりで立ち上がってみたいと言い、みんなの目の前でやってのけた。アナベルも合唱団に入った頃に、この「ウィッシュリスト」を活用。コールセンターの職を突然解雇されて以来無職だった彼女は、仕事探しをサポートしてほしいと打ち明けた。すると団員の中に人事担当者がいて、履歴書を見てあげるよと申し出てくれ、その後、彼女は事務アシスタントの定職に就くことができた。
「コールセンターの仕事をクビになった日は、ひどく動揺したまま合唱に来ました。涙が止まらずにいると、みんなが私を取り囲んで『リーン・オン・ミー(*)』を歌ってくれたんです。いまだにこの曲を聴くと涙が出ます。合唱団はもうひとつの家族みたいです。」
*ビル・ウィザースが1972年に発表した楽曲『Lean on Me』。「人生で辛い時、悲しい時は、僕に頼りなよ。喜んで助けるさ。」と励ます歌詞がついている。
こうした合唱団は、今やオーストラリアの各地に広がっている。「ゴンドワナ先住民児童合唱団」の女子編成グループ「MARLIYA」のメンバー、シエラ(12)に話を聞いた。最近ではラッパーのBRIGGSと、拘留中に死亡したアボリジニを歌った楽曲「LOCKED UP」をレコーディングした彼女たち。「メンバーはまるで姉妹のようです。みんなで歌うのは素晴らしいです。伝えたいメッセージが、よりパワフルになる気がします。」
LOCKED UP featuring BRIGGS X MARLIYA
「レミニシング (Remini-Sing)」合唱団プロジェクトは、認知症患者とその家族の幸福感を高めるため、全国各地の介護施設で活動を展開している。
この他にも、「Beyond the Bathroom」「Men’s Shed Chorale」「Sydney Atheist Choir」「Women with Latitude」「Melbourne Gay Men’s Chorus)」「Burundi Peace Choir」「Australian Military Wives Choir」「Phoenix Voices of Youth Choir」「Birralee Blokes」「WomanSong」… オーストラリアにはユニークな名前のコミュニティ合唱団が数多く誕生している。
人間は群生動物なのだ、そう指摘するのは「クワイアー・オブ・ハード・ノックス」の発起人ジョナソン・ウェルチ。
「人間はそもそも、互いに繋がりたい、理解し合いたいと感じるようプログラムされています。合唱は音楽の『村』を作ってくれるのです。」
練習後はメンバーたちでテーブルを囲み、軽食をつまみながらおしゃべりを楽しむ。声を上げて笑う者、まだハミングを続けている者もいる。そんな光景を見ながら、タニアの言葉を思い出した。
「人々が欲しているもの、それはコミュニティーです。」
By Katherine Smyrk
Courtesy of The Big Issue Australia / INSP.ngo
Choir of Hard Knocks
https://choirofhardknocks.org.au
How singing together changes the brain
「メルボルン・ウィズ・ワン・ボイス」を立ち上げたタニア・デジョンのTEDトーク
「ウィズ・ワン・ボイス」プロジェクト
https://www.creativityaustralia.org.au
スピリット・オブ・ザ・ストリーツ合唱団
spiritofthestreetschoir.org.au
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『ビッグイシュー日本版』関連号
THE BIG ISSUE JAPAN 327号「今月の人」に「歌うと幸せになる」と話す『ビッグイシュー・オーストラリア』販売者 アラン・Cが登場
https://www.bigissue.jp/vendor/327/
「認知症」関連の『ビッグイシュー日本版』のバックナンバー
THE BIG ISSUE JAPAN248号特集:いのち喜ぶ
フランスで始まった認知症の看護技法「ユマニチュード」を取り入れた国立病院機構「東京医療センター」の取り組みの紹介。
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