社会の片隅で生きる人々の最期の時に、「緩和ケア」を提供しようと尽力する医療関係者が増えている。カナダ国内でこうした取り組みをすすめている医師たちに、バンクーバーのストリート誌『Megaphone』が話を聞いた。
 

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路上生活を繰り返していた女性JPの最期

やっとのことでJPは椅子に座った。貧血のため、身体を斜めにして。彼女は死の間際にある。もうしばらく、そんな状態が続いていた。激しい痛みに襲われているものの、騒ぐことはなく、そっとしておいて欲しいようだ。治療されることのなかった乳ガンは悪化し、末期特有の臭いがしている。

緩和ケアの専門家たちは、最期の最期まで患者の「生活の質(QOL)」を落とさないよう尽力する。彼らの目的はシンプルだ。しかし、JPのような困窮者たちには、そこに至るまでに大きな障害が立ちはだかっている。

JPはバンクーバーのシェルター(簡易宿泊所)に現れる以前、少なくとも2年間はホームレス状態にあり、薬物依存症、精神病、双極性障害など複数の症状を発症していた。サレー市(*)の癌センターからは、複数の精神疾患には対応できないと突き離されていた。

*ブリティッシュコロンビア州南西岸に位置する都市。バンクーバー都市圏の一部。

バンクーバーで在宅緩和ケアプログラムの訪問医をしているスーザン・バージェス医師は、総合病院のソーシャルワーカーから連絡を受け、JPを女性向け長期滞在用シェルター「Bridge Housing for Women」に連れて行った。そして、JPは施設内にある「Sue Bujold フロア」(*)に入ることになった。

*貧困状態にある女性の末期ケアに特化したフロア

JPは感染症にもかかっていたのに、バンクーバー総合病院はじめ何度も病院から逃げ出していた。

「医師の助言に従わず、何度も病院から逃げ出していました。きっと、彼女の依存症を治しきってくれなかったからです。結局、シェルターと路上を行ったり来たりの生活をしていました」社会的弱者への緩和ケアに携わって25年になるバージェス医師は言う。

「彼女がシェルターに戻って来たとき、私達は決心しました。もう彼女を病院に送り返さない、そんなことをしても何の助けにもならないと」

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スーザン・バージェス医師はバンクーバーコースタルヘルス在宅ホスピス緩和ケアプログラムの巡回医師。Bloom Groupが運営するホスピス「May’s Place」 と「Cottage Hospice」の医師でもある。
写真:Dr. Susan Burgessのご厚意により



そして、JPはここの椅子に座ったというわけだ。社会的には孤立状態だったが、そばには数少ないながら理解者がついていた。やっとのことで。

この時のことを思い出してバージェス医師は言う。

「私たちはただ彼女のそばに座っていました。きつい臭いがする腫瘍を抱えて生きてきた彼女のそばに。鎮痛薬のモルヒネを口から投与すると落ち着き、マットレスに横になりました。それからは通常の緩和ケアを施し、彼女が最期まで心やすらかに過ごせるようサポートしました」

「彼女は落ち着いた状態で息を引き取りました。病院でも救急治療室でもなく、陽の当たるすてきな部屋で」

「統合医療システム」の必要性

彼女が最後を穏やかに迎えられる部屋を用意できて、介護にあたった者たちは運がよかったとバージェス医師は言う。また、ダウンタウン・イーストサイド地区(*)には地域全体を見守る「善意」のようなものがあるのだとも。

*バンクーバー市のなかで薬物問題、ホームレス状態の人が多いとされる貧困エリア

しかし、バージェス医師はじめ緩和ケアの専門家たちは、JPのような人たちには「統合医療システム」が必要と考えている。さまざまな問題を突き止めて処置するのみならず、患者が心地良さを感じられる場所で緩和ケアを施し、十分な時間をかけて信頼を得られるようなシステムだ。

ビクトリア大学看護学部内にある「加齢と生涯健康研究所」のケリ・スタジューハー教授は、カナダの医療システムは不備が多く、いかに社会的弱者が取りこぼされてきたかと述べる。

「ほとんどの人々は『死にゆく人』とすら認識されていません。最期まで緩和ケアの存在を知らされず、大したサポートも受けられず、痛みに耐えながら、公園や安宿など死を迎えるには決してふさわしくない場所で息を引き取ることになるのです。緩和ケアや関連リソースを把握しているサービス提供者と接触できるのはラッキーな人たちだけ...これがカナダの現状です」

トロント市で当分野を率いるのはナヒード・ドサニ医師。2014年、彼は「Inner City Health Associates」とともにホームレスの人々のための緩和ケア巡回プログラム「PEACH」を立ち上げた。2018年4月に開設した「Journey Home Hospice」の院長も務めており、社会的弱者への緩和ケアに関する治療・啓発・研究の「中核拠点」にしたいと考えている。

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トロントで緩和ケアに取り組むナヒード・ドサニ医師。「Journey Home Hospice」など社会的弱者への終末期医療で成果を上げている /写真:May Truong



これらの取り組みは高い評価を受けているが、まだまだ理想とはほど遠い状況とドサニ医師は言う。

「残念ながら、私たちが生きる社会では、ホームレス状態やそれに近い状況で最期を迎える人々をサポートする専門チームが必要です。平等な社会で真の医療ケアを構築するのなら、障害があろうが貧困状態であろうが、また、犯罪歴のある人であっても、誰もが平等に緩和ケアを利用できなくてはなりません。現在のプログラムや制度はつぎはぎ状態ですから」

1950年代から変わらないカナダの医療システムの見直しが急務

カナダ国内の緩和ケアは、バンクーバー、トロント、カルガリー・オタワ・ビクトリア州での少数の例を除いて手薄状態にあり、地方ではほぼ存在していない。そして、医療格差の主因は資金配分にある、とこの道30年のスタジューハー教授は言う。

カナダの医療システムは1950年代モデルに基づいており、当時は感染症や労働災害が現在よりはるかに多く、病院・医師・薬剤が優先されるシステムだった。そのため今でも生物医学が重視され、困窮者にとって重要となる医療の「社会的側面」が軽視されている。

「医療の組織も提供体制も、数十年遅れています。誰もがそれを分かっているのに、それを変えようとする勇気がないのです」とスタジューハー教授は言う。

「貧困に起因する問題(食糧の不足、交通・通信手段に欠く等)が放置されているために、貧しい人々が医療サービスを受けられずにいます。社会的対処が不足しているために健康を害してしまう人たちを診ていると、社会政策の格差が人々に与える影響がよく分かり、悲しくなります。なぜベーシックインカム(最低限所得保障)が重要となるのか、住宅供給を優先すべきなのか、全国レベルの薬剤診療が重要なのかをいつも思い知らされます」とドサニ医師も述べる。

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ナヒード・ドサニ医師/写真:May Truong

スタジューハー教授は、ホームレスおよびそれに近い状態にある25人を対象とした調査報告書(*)を発表したが、うち13人が調査対象の2年間に亡くなったという。この報告書では、健康の社会的決定要因をより重視し、医療と行政サービスの連携を強化し、コミュニティ内の緩和ケア提供力(基本レベルでも可)を高めること等、多くの提言を行っている。

* 原題『Too Little, Too Late: How we fail vulnerable Canadians as they die and what to do about it』2018年11月発表。


「社会的弱者に日々接しているソーシャルワーカーが、こうした取り組みを実行できない訳がありません。ケア対象者との関係ができているからこそ、そうしたいと思っています。連続した介護を提供するうえで、多くの場合、ソーシャルワーカーこそが最適な人たちです」

「私たちの在宅緩和ケアプログラムでは、ソーシャルワーカーや医療従事者が家族同然の役割を果たします。でも、いつも家族と見なしてもらえるわけでありませんが。複雑な状況が絡み合ってますから、『標準的アプローチ』が誰にでも効くわけではありません」

同調査メンバーでもあるドサニ医師は、何かしら支援したいと考えている草の根レベルの人たちを「対話」でまとめることを勧める。三つの組織(*)の連携で誕生した「Journey Home Hospice」は縦割りを排した好例だと。

*三つの組織とは「Inner City Health Associates」「Saint Elizabeth Health Care」「Hospice Toronto」。

「貧困地域の医療関係者、すなわち路上生活者の心の病を診る看護師、精神科医チーム、麻薬治療パイロットプログラム「Insiteプロジェクト」の関係者らは、生活の質(QOL)のサポートを心掛けています。緩和ケアの提供者と目指すところは同じです」

「必要なのはコミュニティ内で物事を多面的に見て対処できるチームです。また、特定の財源に縛られず、できるだけ柔軟性をもって運用できるスペースとベッドも必要です。これは縦割りシステムでは実現できません、横断的な連携が必要です」

先述の調査報告書でも、地域密着型システムに移行するには、多額の資金注入ならびにプログラムの大がかりな見直しは必要ない、それよりも既存の資金とリソースを「分担介護」(*)に再配分すれば、全体のコスト削減にもつながると述べている。

*プライマリーケアの医師(住民に最も身近な医師)と専門医が共通の目的のもとに連携して診療をおこなうこと。英語で「shared-care approach」 。
“an organizational model involving both primary care physicians (PCPs) and specialists in a formal, explicit manner.”

オンタリオ州会計検査院の「2014年度年次報告書」によると、末期患者の最期1ヶ月にかかる緩和ケア費用は、救急病棟で1,100ドル(約92,000円)、緩和ケア病棟で630~770ドル(約52,000〜64,000円)。これに対し、ホスピスでは460ドル(約38,000円)、在宅ケアでは100ドル未満(約8,300円)であった。また、患者の1割を救急病棟から在宅ケアに移行すれば、オンタリオ州全体で900万ドル(約7億5,000万)の医療費削減になるとした2010年の研究(*)にも言及し、「適切な設備があれば、在宅緩和ケアは患者にも介護者にもより高い満足感をもたらす」と述べている。

*原題『Ideas and Opportunities for Bending the Health Care Cost Curve』
※ 1カナダドル=83.87円(2019年4月時点)

同報告書では、ホームレス状態の人に特化しているわけではないが、緩和ケアの恩恵を受けるには、そもそも緩和ケアとは何か、地域内にどんなサービスがあるのか、当該サービスの利用方法などを、もっと多くの人々が理解する必要があると述べている。さもなければ、患者は相応しいタイミングで処置を受けられず、不必要に苦しむことになる。末期患者が救急病棟で過ごす時間が長引けば医療コストも膨らんでしまうと。

「新たなリソースは何も要りません。必要なのはそうしたシステムを舵取りし、スムーズな連携をサポートできる人です。そうすれば、ケア対象者の症状を管理し、ニーズを満たし、自ら選んだ場所で最期を迎えることができます。私に言わせれば、これができない理由など何ひとつありません。そんな難解なことではありません」とスタジューハー教授は言う。

社会的弱者の「居場所」で出会うことが大切

「統合医療システム」であれば、74歳の路上生活者テッドのようなケースは減らせるだろう。コーヒーチェーン店「ティムホートンズ」の常連だった彼は、5月31日の早朝、いつもの席で突然意識を失った。店員は救急車を呼び、救急隊員が彼の最期を看取った。彼は癌に侵されていたのだ。テッドのこの話は国際メディアにも取り上げられ、カナダの医療サービスの不備が世界的に知られることとなった。

これは社会的弱者には彼らの「居場所」で出会う必要性を物語っている、とドサニ医師は言う。「テッドのような社会的弱者が緩和ケアを利用できないのは、彼らの居場所が普通とは違うから。彼が人生の最期までこのコーヒーショップに通い続けたのには、すてきな店員がいたからですよね?そこを 彼が「ホーム」と感じていたわけですよね?」

PEACHプログラムもJourney Home Hospiceも、終末期のあり方を再解釈し、個々人に合わせてカスタマイズしていこうという試みだ。

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Journey Home Hospiceの居室

医療財源を医療の専門性ではなく患者に合わせて調整していくべきと主張するドサニ医師は、有名な言葉を引用した。
助けようとする人の話を聞け。
彼らはあなたに症状を訴え、自分のストーリーを語っている。
自分の苦しみ、何が必要なのか、どこに居たいかを語っている
バージェス医師もこれに同意で、住宅支援スタッフが入居者をよく知り、人生の最期について語り合うことの重要性を力説する。

「今や支援住宅が彼らの家なのですから。病気になったらどうしたいですか、 亡くなったら身の回りの物は誰に譲りたいですかと会話するのです。私たちがすべきはこうしたシンプルなこと。こうした取り組みを住宅サポートに組み込んでいけば、支援対象者の望みをより理解することができます」

バージェス医師が働く2つのホスピス「May’s Place」と「Cottage Hospice」は、どちらも貧困撲滅・ホームレス支援のNPO「The Bloom Group」が運営している。1991年にダウンタウンイーストサイドに開設されたMay’s Placeは、カナダ初の独立系ホスピスだ。

「困窮者向け施設である点が気に入ったんです。困窮者ならではのニーズに応えるべく、できるだけ柔軟な対応をモットーにしています」

深刻な精神疾患や薬物依存、刑務所入りの経験がある人々は、なかなかホスピスに落ち着くことができません。閉じ込められた空間はトラウマとなるからです。

先の二人と同じく、バージェス医師もホスピスの種類を増やすべきと考えている。暴力性がある精神疾患を患っている人、トラウマを抱えている人、傷が化膿した人などでも利用できるような「敷居の低い」ホスピスを。

「まずは May’s Place を発展させていきたいですね。庭園を作るなどして美しい場所にしていけたらと思ってます」とバージェス医師。

「生活の質(QOL)」に重点を置く介護哲学では、小さくても美しさを目指した環境改善は、死の間際にある貧しい人々に意味深い違いをもたらすと考える。

バージェスス医師はひどい感染症を患って命を落とした若い男性のことを思い出す。彼は病院に行くことを拒み、俺はここで死ぬんだ!と言い張った。やっとのことで彼も納得し、May’s Place に来た。シャワーを浴び、バスローブ姿でくつろぐことができた。そしてその夜、彼は亡くなった、美しく清潔な身体で。彼がこの素敵な雰囲気のホスピスに入ったときに口にした言葉をバージェス医師はよく覚えている。

「ああ、ここは天国のようだ。」

By Simon Cheung
Courtesy of Megaphone / INSP.ngo


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