英国の伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを主人公とした伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしたのはまだ記憶に新しい。そして今夏はと言うと、同じく英国のミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を描いた新作映画『ロケットマン』が公開される。しかもエルトン自身が10年来構想を温め、製作総指揮を務めた作品だ。

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今作品も『ボヘミアン・ラプソディ』のように、多くの観客を魅了できるだろうか? 『ビッグイシュー・オーストラリア』が、カンヌ映画祭に出席していた主演俳優タロン・エガートンとデクスター・フレッチャー監督に話を聞いた。



エルトン・ジョン
1947年生まれ。英国を代表するミュージシャン、シンガーソングライター。69年のソロデビュー以降、「Your Song」「Candle in the Wind」など数々の名曲を生み、グラミー賞も5回受賞。作曲のみを担当し、作詞はデビュー以降ほとんどをバーニー・トーピンが手掛けてきた。2005年にカナダ人映画監督・プロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュと事実上の同性婚をしたことでも話題を呼んだ。現在進行中のワールドツアーをもって引退することを表明している。


『ロケットマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』の比較

新作『ロケットマン』を語るには、『ボヘミアン・ラプソディ』との比較が避けられない。両作品ともに主人公は世界中で愛される同性愛者のロックスター。彼らのきらびやかな人生を描いた作品だ。“関与度” は違うものの、どちらも英国出身のデクスター・フレッチャーが監督を務めている。

というのも、『ボヘミアン・ラプソディ』では制作終了1か月前になってブライアン・シンガー監督が解雇される事態があり、後任に起用されたのがフレッチャー監督だった。クレジットにはブライアン・シンガーの名が記されているが、実は作品の3割方はフレッチャーが撮影を担当したのだ。

『ボヘミアン・ラプソディ』は大旋風を巻き起こし、世界全体で9億ドル(約970億円)を超える興行収入を記録、アカデミー賞も総ナメにした。『ロケットマン』は2匹目のどじょうを狙っているのか? との質問に、主演のタロン・エガートンはこう言った。

「(ボヘミアン・ラポソディは)伝説のユニコーンみたいな映画。僕たちの映画はまた別の生き物です」


しかし『ロケットマン』はミュージカル映画だ。あらゆる場面で登場人物たちが歌い出す。エガートンがエルトン・ジョンの名曲を20曲以上歌い上げたことは、各方面で語られているとおりだが、歌以外のパートでも、振り付けされたダンスがふんだんに取り入れられ、ブロードウェイ顔負けのシーンが散りばめられている。

楽曲「Saturday Night’s Alright for Fighting(土曜の夜は僕の生きがい)」が流れるシーンでは、エルトンがソロデビュー前に所属していたバンド「ブルーソロジー」が、60年代ロンドンの、労働階級者らが集う重苦しさ漂うパブから明るい遊園地へと飛び出す。

最初のレコード契約を勝ち取り、ポップスターへの階段を登り始めるシーンでは、名曲「ユア・ソング (僕の歌は君の歌)」が流れる。

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1970年にLAのウエストハリウッドにある伝説的ライブハウス「トルバドール」でおこなわれた米国デビューコンサートをはじめ、エルトンのキャリアを決定づけた数々のシーンが次々と登場する。

「よくある伝記映画とは違います。楽曲は年代順ではありませんし、事実に脚色を加え、ファンタジー要素もあります。でないと、ライブハウスで聴衆が宙に浮いたりしないですよね」と、エガートンがハリウッド俳優らしい真っ白な歯を見せて笑う。ちなみに彼は、エルトンの隙っ歯を再現するため前歯に色を塗り、髪の毛は薄くし、毎日髪を剃って生え際を後退させたらしい。

エルトン・ジョンの惜しみない協力により “ありのまま” を描いた作品に

『ロケットマン』は、“すべてをさらけ出す” 伝記映画としてエルトン・ジョン自身が10年以上前から構想を温めてきた。 

「最初に話し合ったときから、エルトンは自分に都合のいい映画にはしたくないと明確な考えを持っていました。自分のいい面だけを見せるつもりはないと。常に自分という人間に誠実かつオープンな人なので、作品の中でもそう描くようにしました」とフレッチャー監督が言う。

その結果、多額の予算が投じられた本作品は、カラオケの人気ソング満載の大衆ウケする作品になっている上、ドラッグとセックスの勢いでスターダムにのし上がり、その後どん底に転落するエルトン・ジョンの半生を赤裸々に描いた作品に仕上がっている。

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「エルトンにまつわることで、彼から『それはよしてくれ!』と言われることは一切なかったので、あらゆる面に光を当てることができました。作品にとって望ましく、必要とされることなら、ひたすらその流れに従うようにしました」フレッチャー監督は言う。

音楽の才能に恵まれたレジナルド・ドワイト*という名の5歳の少年時代から始まり、エルトン・ジョンという芸名を持ち、自らのセクシャリティに葛藤した20代。レコーディング・エンジニアのレネーテ・ブリューエルとの短い結婚生活(1984-1988年)、コカイン依存症、自殺未遂、更生施設への入所を経て回復に至るまでーー エルトン・ジョンの人生が、ジェットコースターのように目まぐるしく展開する。
*エルトン・ジョンの出生時の名前

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「私たちが一番大切にしたのは、人生の素晴らしさを讃える物語にすること。でもそれは、エルトンを神格化することでも、欠点なき完璧な人間として描くということではありません」

「ある一人の人間の物語を伝えたかったのです。大変な才能の持ち主ですが、彼だって一人の人間。良いときもあれば悪いときもある。彼はそれを恥じることなく、穏やかに語ってくれました」とエガートンが言う。

3年がかりの最後の世界ツアー真っ最中

『ロケットマン』がカンヌ映画祭でプレミア上映されたとき、客席にはエルトン・ジョンと、長年の楽曲作りのパートナーである作詞家のバーニー・トーピンの姿もあった。2人は見るからに感激している様子だった。(ちなみにカンヌのビーチは、エルトン・ジョンのファンには楽曲「I’m Still Standing」のビデオクリップ収録地としておなじみ。映画の中でも登場する)

「エルトンとバーニーが心の底から湧き出たような反応を見せたように、すべての人の根底にある感情や、人生の大切な瞬間を思い出させてくれる作品になっています」

「二人が続けてきたそれはそれは長い旅路を、こうして作品にすることができ、とても光栄です」とフレッチャー監督は言った。

エルトン・ジョンは現在、ミュージシャンとして最後のツアー「Farewell Yellow Brick Road」の真っ最中だ(※)。大きな羽根付きの奇抜な衣装に身を包んだエルトンのパフォーマンスを目にできる、最後のチャンスになるだろう。

※2018年9月から3年かけて行う世界ツアーを最後に引退することを表明している。

最後にエガートンが締めくくった。

「エルトンという人物は、ひとつの“アイデア”であり“世界的現象”。彼の歌は私たちの人生のさまざまな瞬間を歌っているので、聴く人も “自分ごと” に感じられる。だからこそ多くの人が、彼の音楽、そして彼の人生を描いた物語にお金を出す価値を見出すのです」

「エルトン・ジョンを演じることは大変光栄であると同時に、大きな責任を感じました。何と言っても、彼の影響力は果てしないですからね」

By Annabel Brady-Brown
Courtesy of The Big Issue Australia / INSP.ngo


映画『ロケットマン』公式サイト
https://rocketman.jp/

エルトン・ジョンの最後の世界ツアー「Farewell Yellow Brick Road」 公式サイト
https://www.eltonjohn.com


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『ビッグイシュー日本版』のエルトン・ジョン登場バックナンバー

THE BIG ISSUE JAPAN286号
スペシャルインタビュー:エルトン・ジョン
 
https://www.bigissue.jp/backnumber/286/

Your Song



I’m Still Standing




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