相変わらず新型コロナウイルス感染者増が止まらないが、こと米国においては、もはや感染予防の常識となっている「マスク着用*1」に反対する動きが依然強くある。 大多数の人たちはマスク着用に従っているのだが、その一方で、マスク着用に反対してデモを行うほど強く反対する人たちがいるのだ。実は、米国のマスク着用反対の動きは今に始まったことではない。
*1 米国疾病予防管理センターからもマスク着用の勧告がなされている

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uzenzen/iStockphoto


「公共の場ではマスクを着けるべき」「ソーシャルディスタンスを実践すべき」との共通認識もかなり広がり、マスク着用が多数派ではある。しかし、こうした決まりごとを全米レベルで徹底させることの難しさが表面化しつつある。スコッツデール(アリゾナ州)、オースティン(テキサス州)などでは、市庁舎周辺にマスク着用の義務化に抗議するデモ隊が集結した。また、ワシントン州とノースカロライナ州では複数名の郡保安官が州のマスク着用命令を執行しない旨を発表した。

スペイン風邪当時、米国のマスクをめぐる対応

1918年の通称 “スペイン風邪”のパンデミック時も、もちろん有効なワクチンも薬物療法もなかった。全米各地の自治体では感染スピードを遅らせるべく、学校休校、企業活動の停止、集会の禁止、感染者の隔離措置など、さまざまな対策が講じられた。公共の場でのマスク着用を推奨あるいは要求した地域も多かったが、ロックダウンよりもこの「マスク着用義務」の方が市民の大きな怒りを招いたという。

1918年10月半ばには、感染症が米国北東部で猛威をふるい、全国的に感染者が急増。米国公衆衛生局は全市民向けにマスク着用を勧告するチラシを配布し、赤十字社はマスク着用を奨励する新聞広告を掲載、ガーゼと木綿ひもを使ってマスクを手作りする方法も解説した。州保健局レベルでも独自の取り組みを開始し、特にカリフォルニア州、ユタ州、ワシントン州では活発な動きが見られた。

そのうち全米でも、“マスク着用は市民の義務”とするポスターが掲示されるようになった。こうした「社会的責任」の概念は、1917年初頭の第一次世界大戦参戦を機に連邦政府が始めた大規模なプロパガンダによって米国の社会構造に埋め込まれていた。サンフランシスコのジェームズ・ロルフ市長は、「良心に従い、愛国心を示し、自己を防衛するため、即時かつ厳格にマスク着用を遵守すべきだ」と表明*2。隣接するオークランド(カリフォルニア州)のジョン・デイビー市長も、「個人の信念にかかわらず、マスク着用の習慣を共にすることによって地域住民を守ることは良識ある愛国的行為」と述べた*3。

*2 Proclamation Of Mayor Asks Masks For All (1918年10月22日 San Francisco Chronicle 8面)

*3 Wear Mask, Says Law, Or Face Arrest(1918年10月25日 Oakland Tribune 9面)


しかし保健当局も、大衆の行動を根本から変えるのは容易ではないことは承知していた。それが多くの米国人が不快感を抱く「マスク着用」となるとなおさら。愛国心に訴えかけるだけでは限度があった。サクラメント(カリフォルニア州)のある役人が述べたように、人々は「最善を尽くすには、マスクを強制されなければならない」。赤十字は「男も女も子どもも、今マスクをしない者たちは危険なろくでなし」と歯に衣着せぬ表現を用いた*4。米国西部を中心に、多くの地域で強制力のある条例が制定され、違反者には短期の刑期を科すところや、5〜200ドル(現在の日本円で約1万円〜39万円に相当)の罰金を科すところもあった。

*4 Wear A Mask And Save Your Life! (1918年10月23日 Oakland Tribune 2面)

各州で巻き起こったマスク論争

「マスク着用命令」を可決させるにあたっては、度々、激しい論争が巻き起こった。サクラメントでは保健担当官が市当局を納得させるのに何度も説得しなければならなかったし、ロサンゼルスでは説得が失敗に終わった。ポートランド(オレゴン州)では決議案をめぐって市議会で激しい議論が起き、ある当局者はこの措置を「独裁的で違憲」とし、「いかなる状況であっても、私は狂犬病の犬のように口輪をはめることはない」と言い放った*5。 結果、法案は否決された。

*5 Decline In 'Flu' Cases Expected(1919年1月16日 Oregon Daily Journal 1,5面)

ユタ州の保健局でも、州全体でのマスク着用を発令することが検討されたが、市民がマスクの有効性を過信し、警戒心が弱まってしまうとして、結局は取りやめることとなった。オークランドでは感染再拡大を受けて、2度目のマスク着用命令が議論された。審議の冒頭では、マスクを着用していなかったために他市で逮捕されたことのある市長が、怒りを込めてその体験を語り、出席した著名な医師は「原始人がマスクをした現代の人々を見たら、“どうかしてしまった”と思うだろう」と述べた*6。

*6 Flu Masking Ordinance Is Turned Down(1919年1月21日 Oakland Tribune 1面)

マスク着用命令が施行されてもなお続く抵抗

マスク着用命令が施行された地域でも、すぐさま違反行為やあからさまな抵抗が問題となった。多くの店舗では、買い物客を追い返したくないために、マスクをしていなくても入店を拒否しようとしない。労働者たちは一日中マスクを着けての作業はやってられないとこぼす。デンバーのある営業担当者は、マスクを着用すると「鼻の感覚がなくなる」と語り、「私のことは、デンバー保健当局よりも神が守ってくれている」と語る人もいた*7。

*7 Masks Not Popular; Many People Ignore Health Board Rules(1918年11月24日 Rocky Mountain News 5面)

ある地方新聞には、マスク着用命令は「市民からほぼ完全に無視され、実際のところは笑いぐさ」だったと書かれている*8 。その後、命令は“路面電車の車掌にのみ適用する”と修正され、車掌らによるストライキが計画される事態に。市は再び条令を変更し、“骨抜き”にしたことで、ストライキは回避されたが、おかげでデンバーは感染症の流行が落ち着くまでの間、まともな対策もないまま耐え忍ぶこととなった。

*8 New Orders Are Issued By Officials In Flu Fight(1918年11月26日 Rocky Mountain News 1, 5面)

シアトルでは、路面電車の車掌らがマスクをしていない人を乗車拒否することを“拒否”。オークランドでは違反者があまりに増えたため、当局が戦時下の民間人ボランティア300名を、起訴に備えて違反者の名前と住所を入手する任務に当たらせた。サクラメントでは、マスク着用命令が施行されると、警官らは「路上でマスクをしていない者を見つけたら、連行するか護送車を呼ぶよう」指示され、20分も経たないうちに警察署は違反者で溢れかえったという。

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1918年12月、パンデミック時に赤十字提供のマスクを着用したシアトルの警察官たち。
Credit: National Archives 

サンフランシスコでは逮捕者があまりに多く出たため、監房が足りなくなると警察署長から市当局に警告が出された。裁判官も警官たちも、深夜・週末も休みなく働かざるを得なかった。逮捕された人たちの多くは、ちょっと用を済ませるだけ、通勤中だけなら見逃されるだろうと考えていたのだろう。しかし、感染流行の急拡大を受け、1919年1月、市がマスク着用命例を再制定すると、市民は大規模な抵抗運動を起こし、市民的自由の侵害だと声を上げる人が続出、同月25日には「反マスク同盟」のメンバー約2千人が市内の旧娯楽施設に集まり、マスク着用命令を非難し、命令を撤廃に持ち込む方法を議論した。そこには、著名な医師やサンフランシスコ管理委員会メンバーの姿もあった。

悲惨な歴史から学ぶべき行動

1918年当時のマスクの有効性を確かめることは難しいが、今日では布マスクでも新型コロナウイルスの蔓延を遅らせる上で効果があるとの証拠が相次いで確認されている。

危機に際して今まさに要求されているのは、コンセンサスの確立と規範遵守を広めることだ。米国ではこれまでのところ、その実現を阻むものとして、「個人の自由」というこの国に深く刻み込まれた理想、マスク着用に関する一貫したメッセージとリーダーシップの欠如、そしてデマの拡散が大きな障害となっている。確かに、1918年秋にも多くの地域がこれにあてはまる状況にあり、そのせいで約67万5千人もの死者数が出た。約100年後の今、悲惨な歴史が繰り返されないことを願うばかりだ*9。

*9 11月18日現在、米国の新型コロナウイルスによる感染者数は11,360,128人 死亡者数は248,707人。


By J. Alexander Navarro
Assistant director at the Center for the History of Medicine at the University of Michigan
Courtesy of The Conversation / INSP.ngo


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