ホームレス問題に対する社会的議論を巻き起こしたテレビドラマ「キャシー・カム・ホーム」('66)から50年以上にわたり、ケン・ローチ監督は労働者や社会的弱者に寄り添う作品を撮り続けてきた。最新作『家族を想うとき』を通じて彼が憤慨しているのは、「働く貧困層」である非正規雇用の実態だ。

※この記事は、2019-12-01 発売の『ビッグイシュー日本版』372号からの転載です。




「ゼロ時間契約」の非正規看護師
トイレ休憩さえ難しいドライバー

「これは多くの人が存在を知っているにもかかわらず、誰も語ろうとしない物語です」。83歳となったケン・ローチは、最新作『家族を想うとき』についてこう話す。ストーリーの着想を得たのは、前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』の制作途中だったという。脚本家ポール・ラヴァティとともに取材したフードバンクで、出会った人の多くが就業していることに気づいたことがきっかけだった。「ありえないことが起こっていると思った」とローチは語る。「働いているのに家族を養えない、働く貧困層の人々。これを語らなければならないと思いました」

 2008年の世界金融危機の後、英国では“自営業者”が急増し、17年には労働人口の約7人に1人となった(※1)。だが、その多くは企業にとって都合のよい、低賃金かつ不安定な雇用形態で働く人々であり、映画に登場する家族の夫妻はこうした状況の典型として描かれている。

※1 労働人口の約15%。08年から17年にかけて100万人以上増えた。英国国家統計局より。

 妻のアビーは、契約看護師兼介護福祉士。週あたりの労働時間が決まっておらず、雇用者からの呼びかけに応じて勤務する労働契約――通称「ゼロ時間契約」を結び、一回の訪問ごとに報酬が支払われる。一日のシフトは移動を含め連続13時間以上に及ぶ。

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 もう一人は大手ネット通販の宅配を請け負うドライバーとして、機械のように働かされる夫のリッキーだ。「フランチャイズの自営業者」という名の下、荷物一個単位で報酬を得る出来高払い。全ドライバーと全荷物の行方がスマホのような携帯機器で常に監視・追跡され、時間内の配達を強いるため数分間のトイレ休憩さえ難しい。さらには「フランチャイズのルール」により一日でも休みをとれば制裁金を科される。企業に都合のよいルールが規定される一方で、荷物の紛失・盗難時は“自営業者”として賠償金を支払う決まりで、病気や怪我、家族の緊急時にもサポートはない。自営業者とは名ばかりで、実態は発注会社のルールと携帯機器による管理に縛られている働き方だ。

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参考にした当事者たちの実話
家族といる喜び感じる時間ない

 彼らのように単発または短期的な労働によって成り立つ労働市場は、近年「ギグ・エコノミー(※2)」と呼ばれ、「柔軟で自由な働き方」「収入アップの副業」としてポジティブに語られることも多い。しかし、労災保険の対象にならず事故や不具合が生じた時のリスクを背負い、不当な解雇にもつながりやすく、労働組合が結成しにくいため団体交渉が難しいなど、さまざまな問題を孕んでいる。

※2 「ギグ」とは単発、短期という意味。時給制ではなく出来高払いで、仕事が少ない時や仕事を待つ時間、顧客先から帰ってくる時間などは給与が支払われないことが多い。

 日本など各国で普及してきた「ウーバーイーツ」のように、スマホのアプリを介して個人が仕事を請け負う「プラットフォーム型労働(※3)」などもこれにあたる。ローチが「技術は新しいものですが、その搾取は太古の昔からあるものです」と言うように、資本家である雇い主が、アプリなどを開発するIT企業に変わっただけなのだ。

※3 仕事を得たい個人と、仕事を依頼したい店舗や企業を、第三の企業がウェブサイトやアプリでマッチングさせることで成り立つ。アプリなどの「基盤(プラットフォーム)」を提供するIT企業は意のままにアプリを設計し、アプリ利用者(働く個人)を管理するにもかかわらず、自らを「雇い主」とは認めず、利用者を「被雇用者」とも認めないため、雇用者の権利付与や雇用法の適用などから逃れている。

 ローチは当事者たちの体験談を聞いて回り、作品に落とし込んでいった。「どの体験談も真実でした。数多くの実話を参考にしましたが、(映画のストーリーよりも)もっとひどい極限状態の話もありました。実に多くの人が非正規雇用の形で働いていて、このような仕事がもたらす搾取、ストレス、そして疲労がどれだけ深刻かを痛感しました」。“ダニエル・ブレイク”で実際のフードバンク利用者にエキストラとして出演してもらったように、今回も現役ドライバーたちが現場のプレッシャーをリアルに演技した。

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 07年に実際に起こったある英国銀行の経営悪化によって、家と仕事を失ったこの夫婦は休むことなく懸命に働く。アビーは次の顧客へ向かうバスの中で子育てをする。寝る時間や今日のおやつ、パソコンで遊んでいい時間を、子どもの携帯電話の伝言メモに残すだけだ。自分の時間をコントロールできず、「家族のために」やむを得ない長時間労働に埋没し、家族といる喜びや愛情を感じるささやかな瞬間すらほとんどない。

「荷物を届けに来た宅配ドライバーや、祖母の介護に来た女性が疲れているようには見えないかもしれない。でも、仕事中は笑顔をつくっているだけ。本当は疲れ果てて家に帰り、精神的余裕も子どものための時間もない人々がいる。ストレスは家の中で現れるのです」とローチは語る。

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家族のモデルは、働き方を選べない数百万人もの英国人

 映画で描かれた家族のモデルは、不規則な労働時間と収入のもと、働き方をほぼ選べない数百万人もの英国人だ。「社会現象として記事などを読む機会はあっても、一個人の暮らしと家族というリアルなレベルで考えることが重要です。自分の暮らしとも結びつけることができるから。彼・彼女らへの仲間意識が芽生えれば、連帯感が生まれる。それによって、世の中に対して異なる視点を持てるようになるかもしれません」

 こうして理不尽なルールや仕事に翻弄される現実に直面していれば、3年前のEU離脱スローガン「Take Back Control (主導権を取り戻せ)」が多くの人を魅了したことは想像に難くない。だが、あのフレーズは「嘘に満ちた皮肉」だったとローチは言う。「なぜならこの言葉を掲げたボリス・ジョンソン(英国現首相)たちが取り入れようとする社会構造では、人々が働き方の主導権を取り戻すなど無理。労働者は低賃金、法人税は低いままにして、企業の投資をつなぎとめておきたい。彼らの作戦は安い労働力をもって成り立つのです。大企業の権力を維持させ、その裏で市民の主導権を奪いとる政治です」

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 ローチはこの映画を通じて観客に何を感じてもらいたいのだろうか? 「絶え間ない不安。人々は一本の糸で吊られている」と彼は言う。「みなさんに知ってもらいたいことは、登場人物たちが不運でこうなったのではないということ。これは資本主義の機能不全ではない。むしろ正常に機能している状態、資本主義の成功です。雇用主が責任を問われることなく柔軟に調整できる労働力こそ、資本主義が望むものだからです。私はこれを変えるべきだと言いたいのです」

(Adrian Lobb, The Big Issue UK / 編集部)

参照:『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』ジェームズ・ブラッドワース(光文社)


『家族を想うとき』 Blu-ray&DVD発売中
Blu-ray 5,280円(税込)
DVD 4,180円(税込)
発売・販売元:バップ


(c)Sixteen SWMY Limited, Why Not Productions, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinema and The British Film Institute 2019

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