サッカー選手が試合前に片膝をつき、人種差別への抗議の意を示す場面がよく見られるようになっている。サッカー界の上層部は政治的な行為とはみなしていないようだが、レスター大学社会学者ポール・イアン・キャンベルはこれは完全なる政治的アクションだと主張する。キャンベルの『The Conversations』寄稿記事を紹介したい。


サッカー欧州選手権(ユーロ2020)*1を控え、通常ならサッカー・イングランド代表チームの調整状況が報じられる時期だが、大会前の親善試合などで選手たちが取った「片膝をつく」行為に一部のファンからブーイングが起きたことが波紋を呼んだ。

イングランド代表監督ガレス・サウスゲートは、これは選手が人種差別主義との戦いへの支持を示すとともに、サッカー界に前向きな変化を呼びかけるものであって、政治的アクションではない、との見解を示した。

ファンからのブーイングを招いたことについて、スポーツメディアではさまざまな解釈が飛び交った。保守党議員リー・アンダーソンをはじめとする右派の政治家やコメンテーターは、「サッカーと政治は別物であるべきだ」と苦言を呈した*2。

「片膝つき」に批判的なファンは、“愛国者”を自称する人たちと重なっているように思われる。さまざまな憶測が飛び交う中、確実に言えることは、「片膝つき」のアクションは完全に政治的であるという点だ。

*1 2020年に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染症の流行により、2021年に延期された。日程2021年6月11日-7月11日。

*2 リー・アンダーソン議員は、片膝つきは「政治的行動」で「長年のファン」を遠ざけることになる、大好きなイングランドチームの試合を見たくなくなったとFacebookで投稿した。
参照:Tory MP to boycott England games in row over taking the knee

アスリートによるアクションの歴史

スポーツという舞台を活かし、有色人種が受けている人種差別に注目を集めてきたアスリートたちはこれまでにもいた。「片膝つき」は、その長い歴史の一部である。

1968年のメキシコシティ・オリンピックの陸上男子200mで金メダルを獲得したアフリカ系アメリカ人のトミー・スミスと銅メダルを獲得したジョン・カーロスの両選手は、表彰台で黒い手袋をはめた拳を突き上げて、黒人差別への抗議を示した*3。その背景には、人種差別的なジム・クロウ制度*4が色濃く影響していた当時の米国の状況があった。

最近では、2016年に米ナショナルフットボール(NFL)でコリン・キャパニック選手(サンフランシスコ・フォーティナイナーズのクォーターバック)とチームメイトたちが、試合前の国歌斉唱中に片膝をつき、黒人が米警察権力から受けている残虐行為への抗議を表明した。これは、座り込むよりも片膝つきの方が国歌への敬意を表した形で黒人差別反対への意思を示せると、NFLでのプレー経験がある元陸軍特殊部隊員のネイト・ボイヤーからのアドバイスにのっとった行動だった*5。

また、米国バスケットボール協会では、ジェイコブ・ブレイクの銃撃事件後に予定されていたプレーオフ3試合を延期し、警察による黒人殺害事件に対して、競技団体としてより一体化した姿勢を示した。

*3「ブラックパワー・サリュート」として知られる示威行為。
*4 1960年代まで米国南部に存在した、人種隔離的な法律・規則の総称。
*5 2018年にNFLは規定を見直し、国歌斉唱中の起立を義務付けるとともに、起立を望まない選手はロッカールームでの待機を可能とした。
参照:NFL、国歌演奏時の起立義務化 更衣室での待機は許可


選手生命を絶たれる大きなリスク

アスリートが取ったこれらの行為に対する国及び一般大衆からの反応は、今回、サウスゲート監督と選手たちに向けられている反発と不気味なほど似通っている。

オリンピック表彰台で抗議を示したカーロスは、観客からブーイングを受け、「試合に出してやったのに、***(黒人への差別用語)からこんな仕打ちを受けるとはな!」との言葉を浴びせられたと回想する。その後、カーロスとスミスは直ちに選手村から追放され、米国代表チーム入りも暗に阻止され、スポーツ界以外の仕事に就くことすらも困難になった。銀メダリストとして2人と共に表彰台に上がったオーストラリアの白人選手ピーター・ノーマンもその後、オーストラリア代表に選ばれることはなかった。抗議行動への賛同を示すバッジを着けていたことから、2人の行動を支持した罰だったと言われている*6。

キャパニックは2017年にフォーティナイナーズから放出され、その後はどのチームからも獲得の声がかかっていない。ドナルド・トランプ大統領(当時)はケンタッキー州の集会で、NFLのオーナーたちがキャパニックと契約しないと決めたのは自身の影響力のなせる業だ、と得意顔で語った。国家とスポーツ運営組織が手を結び、声を上げる黒人アスリートを黙らせ、制裁を加えるやり口を象徴していた。

NBAのスター選手で、人種間の平等を目指す活動家レブロン・ジェームズが、トランプ大統領の怠慢を批判したところ、FOXニュースの保守派キャスター、ローラ・イングラムが、「黙ってドリブルしてなさい」と発言し、悪評を買ったこともあった。

*6 参照:The man who raised a black power salute at the 1968 Olympic Games

英サッカー界にはびこる構造的問題の打開につながるか

スポーツ界における反人種差別活動の歴史のなかで、イングランドのサッカー界はこれまで目立った動きを見せてこなかった。サッカー界全体(運営団体、オーナー、クラブ、監督、管理者、大会関係者、スポンサー、関連メディア、選手を含む)が一致団結し、反人種差別に尽力することは、これまではなかった。それだけに、昨今の組織的な姿勢は前例のないことで、今後の動きに期待が持てる。人種とスポーツをテーマに研究している黒人の学者である筆者も、確かにこれまでとは違う空気を感じている。

だが、サッカー選手が「片膝つき」を始めた2020年3月以降で、黒人の暮らしが変わる変化は起きていない、と指摘する声もある。コートジボワール出身の選手ウィルフレッド・ザハは、「膝をつこうがつかまいが、ひどい扱いは相変わらずだ」と語り、元イングランド代表の選手レス・ファーディナンドは、「片膝つき」はあくまで出発点であって、それだけでは「世の中に変化を起こせない。行動こそが必要だ」と述べている。態度を示すだけで満足してはいけない、と注意を促している。

また、イングランドのサッカー界は、スタジアムでの人種差別的な唱和(シュプレヒコール)、SNSでの選手への人種差別的発言など、あからさまな人種差別には対処してきた一方で、構造的、制度的、文化的に深く浸透している人種差別への対応はあまり進んでおらず、効果をあげているとは言えない。

例えば、英国生まれであっても、南アジア系の選手がプロの世界に入るには微妙な壁がある。英国生まれの東アジア系の選手に至っては、プロの世界からほぼ完全に締め出されていると言える。この問題には、何ら対策が取られていないのが現状だ。また、選手全体に占める黒人選手の割合は30%であるのに対し、黒人監督の割合は1%しかいないことも、長年の課題でありながら、何ら進展が見られない。

2021年4月、トッテナム・ホットスパーFCの暫定監督に白人のライアン・メイソンが29歳と史上最年少でプレミアリーグの監督に任命された。クラブのレジェンドであるレドリー・キングと、トッテナムとイングランドのトップチームコーチを務めるクリス・パウエル(いずれも黒人)を差し置いて、白人のメイソンが起用されたかたちだが、関係者はほとんど沈黙を保っている。メイソンを批判するわけではないが、2人の黒人コーチの方が、現場やクラブでの経験や資格が豊富で、地位も格段に高かった。プロサッカーの監督ポストが、黒人よりも若い白人に与えられやすい好例である*7。

「片膝つき」は、イングランドのサッカー界における人種問題の重要な転換点となろう。完全にインクルーシブな形のサッカーを望む者として、この行為が実際に意味のある変化をもたらすかどうかを見守っていきたい。実体ある変化につながらず、単なるパフォーマンスで終わってしまうのは避けたい。

*7その後6月30日、ライアン・メイソンはアカデミー部門責任者に復帰し、監督にはヌーノ・エスピリト・サントが就任した。

By Paul Ian Campbell
Courtesy of The Conversation / INSP.ngo
サムネイル画像:Free-Photos/Pixabay


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