私は大学院在籍時に診断を受けました。
私はスケジュールの決まった生活を過ごすことをとても心地よく感じます。高校を卒業して実家を出るまで、私は日曜日の午前中は自分の部屋の掃除をして、お昼ご飯を食べてからは図書館に行き、夕方に帰ってくるということを毎週してました。自分の中で決まりきったスケジュールを作って、それに従って生活をしていました。なので、好きなことを自由にしてもいいよ、と言われることが一番困ります。
就職して一番困ったことは、お盆休みとお正月休みがあることでした。お盆休みは3日間でしたが、この3日間が非常に苦痛で、出勤する日を心待ちにしてました。
私はずっと疲労感というのがわかりませんでした。疲労感というものを具体的に言葉で説明できないので、どのような状態が疲労感なのかわかりませんでした。
今では意識的に体が疲労しないように全力を傾けないような生活をしていますが、これができなかった時は疲労した時に休むということができませんでした。そのため疲労感がピークに達した時に偏頭痛や腹痛といった症状が頻繁に出ていました。
その当時は、なぜそのような症状がよく出るのかわかりませんでしたが、疲労が蓄積されすぎてこのような症状が出ないと休めなかったからだと今は理解してます。
私は静かな所だとホワイトノイズである「ジ~~~~ン」「シ~~~~ン」という音が聞こえてきますので、静かな場所は非常に気になります。静かな図書館ではこの音が気になってしまい、集中することが難しいです。なので、ある程度の音があると集中しやすいです。
逆に多方向からいろいろな音があるのも苦手です。たとえば、ショッピングセンターにあるフードコートにたくさんの人がいる場合、館内放送・館内の音楽・人の声など多方向からさまざまな音量の音が聞こえてきます。ある一つの大きな音であれば何でもありませんが、ざわざわが多いと頭で処理しきれなくなり、パニックになってしまうことがあります。音が多すぎてもダメだし、静かすぎてもダメというちょっと面倒なところがあります。
私は何かを書いたり、作ったりする時は、そのできあがりの全体像が頭の中で浮かび上がらないと始めることができません。レポートや日記を書く場合でも、全体のイメージが頭の中で浮かび、頭の中で文章が見えてくるというか、イメージが浮かんできます。それを書き写すという作業が、たぶん普通の人が文章を書くのと同じことなんじゃないかと思います。
そのため、全体像のイメージや文章が見えてこない限り、何も書くことができません。なので、よく「とりあえず何でもいいから書きなさい」と言われるのですが、これはまったく私には通用しません。
私は診断から8年ほどが経過しています。そのうち最初の3年間は何も支援を受けていませんでした。5年前に今の職場に就職して、支援を受けるようになりました。支援を受けることによって、やはり自分は自閉症だったんだなと思うことがあります。そして、生活にゆとりが出てきて、体調も安定してきました。
最近、感じることは、人への興味関心が出てきて、周りを見ることができるようになってきたことです。そして社会性も前よりも伸びてきたと思います。
すでに私は大人になっていますが、支援を受けることによって年をとってからでも成長することができると思っています。発達障害は発達しない障害ではなく、人よりかなりゆっくり発達する障害なんだなと、支援を受けてからこう思うようになってきました。
著者プロフィール:榎木たけこ(えのき・たけこ)
大学院在籍時に医療機関で診断をもらったASD当事者。大学院在学中、服巻智子さんと出会い、NPO法人それいゆに就職。職場では必要な支援の提供を受けながら、自分研究を続けている。年々それまで気づいていなかった自分の特性を発見して驚いたり、工夫を続けて自分自身の成長も感じ始めている。最近では友人も増え、興味関心の対象のイベントに出かけることを楽しみの1つとして、穏やかな成人期の生活を確立しつつある。自閉症スペクトラム青年期・成人期のサクセスガイド1・2・3(クリエイツかもがわ)にASD者からの視点を述べている。
(2009年11月1日発売のビッグイシュー日本版130号より転載)