有限会社ビッグイシュー日本では、ホームレス問題や貧困問題、ビッグイシューの活動への理解を深めるため、高校や大学などで講義をさせていただくことがあります。

今回の行き先は、全国でも有数の進学校である筑波大学附属駒場中・高等学校。ビッグイシュー日本東京事務所長の佐野未来とビッグイシュー販売者がお伺いし、高校2年生の計4クラスの生徒の皆さんにお話させていただきました。

<講義内容>

上記の講義内容の振り返りアンケートでは、生徒の皆さんからさまざまな声が寄せられました。



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なかには、「自分があの状態になったら死んだほうがマシ」「今の世論ではホームレス問題に目が向けられることは難しいと思う」「助けを求めることは難しい。拒絶は怖い」といった率直な声もありましたが、多くが、ホームレス問題の背景に心を寄せ、自分や社会が取るべき姿勢に想いを馳せてくれていました。
さまざまな受け止め方についてご紹介したく、この記事ではいくつかの感想のなかから、いくつかピックアップしてほぼ原文ママでご紹介します。

「ホームレス問題の本質とは…」

「ホームレス」問題の本質は全ての人が家を持てるかではなく、家を持てないほど経済的に困っている人をどう援助できるか、あるいは住所を失った人が社会で活躍できるようにするにはどうすれば良いのかという点なのではないかと思えてきます。
(略)
一日単位での労働の環境を改善したり、職を失った方がそのような労働に参加するインセンティブを拡充していくことができれば、特に今後労働力不足が増えていくと言われる日本社会において職にありつけないために貧困状態にあるという人を減らしていくことができるのではないかと感じました。


「税金の納税者にこの問題の深刻さを伝えていくことが大事」

(略)やはり、ホームレスの問題というのは一筋縄ではいかないものだなと思った。山野辺さんがおっしゃっていたようにホームレスの方々自身がその境遇になったことについて、実際にはどうしようもならなかっただろうことについても「自分が悪かった」と言っているのを聞くと、胸が痛くなった。

そんな中で、もちろんBIG ISSUEのようにホームレスなどの貧困層をサポートする存在があるととても心強いだろうなと思った。それと同時に、貧困に漬け込んで悪質なビジネスをする人々がいるという話を聞くと、やはり、この問題を解決していくためには行政による積極的な介入が必要だと感じた。また、そのサポートについても一括りにした対応ではなく、個人個人に寄り添い、合わせた支援をして、理想を言えば最終的に一人一人が自立して生活できるよう安定して仕事ができる環境を整えることで、ホームレスへ逆戻りする人も減り、予算的にも、結果的な実績としても良いのではないかと思った。そのためには社会保障に回る税金の納税者、大衆にこの問題の深刻さを伝えていくことが大事なのだろうと感じた。


「心が疲れたら冷静な判断ができなくなる」

「なぜわざわざホームレス状態になるのか」という疑問を今まで持っていたが、今日考えたこととしては、にしさん自身が路上生活に突入した当時を「冷静な判断ができる状態ではなかった」と振り返っていた通り、何かが失敗して、失意の内に心身が疲弊してホームレス状態になる、乃至はホームレス状態から脱出できなくなる、ということだ。にしさん自身が強調していた通り、勿論社会復帰する方法が皆無なわけではないが、心が疲れているとなかなかそれも難しいというのは、割と現在ホームレス状態にある人の多くに共通して言えるのではないかと思った。


「シャワーを浴びれば普通の男性だった」

私がホームレスの方にお会いしてみて印象的だったのは彼らもまた人間なのだという当たり前の気づきでした。自分がこれまで目にしてきて、不潔だなあ、臭いなあと感じていた方々も、シャワーを浴びれば普通の男性なのだという実感は驚きでした。さらに、ホームレスになった経緯を伺っていてもそれは普通の人間の人生選択とあまり変わらない、学校に行き、職を探すという行為をしているだけであり、彼らがホームレスになった主因は借金を抱えた親から生まれていたり、難病を抱えていたりといった自らでは変えられない問題の存在なのだと言うことが実感できました。
一方でこのような方々に目を向けて支援をしている団体や企業があることに少し安堵しました。
(略)
むしろ、行政サービスがビッグイシューがしているような今よりもきめ細かな支援をするべきであり、自らが有権者となった際にはこれも踏まえて投票したいと感じました。


「人々の抑圧された気持ちが偏見を招いているのでは」

ホームレスである方への風当たりの強さの原因は、社会で働き人が、それに対して窮屈さを覚えながらも生活のために働く人をジレンマから生じた「社会から抑圧されている」と言う感覚が、移譲したものだと思っていた。これは、よく民族間の差別で見られる「抑圧の移譲」と呼ばれるものだ。 しかし、講義内で提示された資料でもある通り、子供にもこう言った偏見が見られる。もちろん、一校だけの極端な例を出すのも恣意的だと思うが、事実としてこのよくない風潮は受け継がれている。ここで問題となっているのは、移譲されているのは抑圧のみでなく、偏見もその対象であると言うことだ。これに歯止めを効かせられるものは、学校教育だけだと思う。


「ただ知ること」

(略 当事者の話を聞いて)日常で関わりたくないと思っているホームレス一人一人にも辿ってきた人生があるんだと実感した。当たり前かもしれないが、私たちは道行く人全員の人生に興味を示すことはない。視界に人が入る度にその人に過去を喋らせたり、じっと観察したりしていては、いくら時間があっても足りないし、トラブルの種になるだけだから当然だ。そんな社会の構造のせいか、ホームレスを見ても普段無関心で、自分たちの税金が使われるとかの話になると批判しだす人が多くいる。
(略)
ホームレスに特別に思い入れがあるわけではない人がほとんど(だと思う)私たちにとってホームレスだけに金を寄付したり身を削るのはハードルが高い。そんな私たちにできる最もハードルが低い支援は「ただ知ること」である。今の世間はホームレスについてよく知らないで、偏見で批判しているクチがあると思う。知ることによって助けを必要としている人を支援する世論に変えていくのが一番効果的である。

もちろん、自分は講義の中で、ホームレスの悪いところを特に聞かされてないので、ホームレス側に意見が偏っているかもしれないが、ともかく知らなければ何も始まらない。 折角、国という形を成しているのだから上手く分業したり、リスクを均して困っている人を救済する仕組みを強めていくのが理想であると思う。


「同じ世界で暮らしていると感じられた」

ホームレスを「自己責任」ととらえるのは、ホームレスに対して粗探しをして、「努力すればうまくいくはずだ」「我慢して仕事を続ければこんなことにはならなかった」といった考えを持ってしまうことによって起こるだろう。それは、ホームレスに対する偏見を含む印象から「普通」はホームレスにならないだろうと考えることによる断絶感が背景にあると思う。今回、一例とはいえ、実際に話を伺ったことで、同じ世界で暮らしていることを感じられた。にしさんも言っていたが、「知る」ことは凝り固まった見方を変える第一歩であると思う。


「苦境に陥っても前向きな姿勢を持つ重要性、自分を少し恥じた」

(略)講演者が自分の経験を共有してくれたことに感謝している。彼らは非常に難しい状況に陥っているにもかかわらず、自分自身に対する信念と強い意志を持って、自分の生活を改善しようとしていて、新たなチャレンジをし続けていることが分かった。

このような姿勢を見ることで私は、苦境に陥った時に諦めるのではなく、前向きな姿勢を持ち続け、自らの人生を切り開いていくことの重要性を再認識した。自分一人では何もできないくせに、少し軽蔑していた自分を少し恥じている。
(略)
また、私は自分たちが今何ができるかを考える機会にもなったとも思っている。ホームレスの人々が経験している人権侵害や偏見、社会的な孤立についても深く考えることができ、今の支援体制では不十分だと認識することができたからだ。

これはホームレスの問題に限った話ではなく、そもそもそういった社会問題を「知る、知ってもらう」ことが何より大切であり、それによって多様性を認め合える社会に少しずつつながるのだと思う。


「グラフからは見えない、生々しさ」

当事者から語られるストーリーは、授業で解説された淡白なグラフなどからは到底読み取れない複雑さと、生々しさを孕んでいた。同級生たちのアンケート回答を見て、「俺は彼らよりもホームレスの方々を理解している」などと思い上がっていた自分を恥じた。自分とは全く違う環境で生まれ育ち、全く違う世界で今を生きている人を真の意味で理解することなど不可能なのだ。そう、思い知らされた。

日本は比較的裕福な国だが、それでも貧困に苦しむ人は大勢いる。最近路上生活者は減ったが、それは見えない場所に生活圏が移っただけだ。世の中には、日雇い労働で一日一日を食い繋いでいる人がいる。そんな言説にはたくさん触れてきたはずだった。でもそこから、「自分の家が持てるようになれたら幸せだと思います」と笑顔で語るあの人の姿は全く見えてこなかった。

やはり、同情とは極めて自己満足的な行為なのだと思う。そこに救いはない。ただ、恵まれた側からの一方的な憐憫があるだけだ。そして、人間は自分以外の誰かを救えるほど強い存在ではない。だからこそ、少しでも自己満足から離れて、救いに近いものを生み出すためには、苦しんでいる人がいることを忘れないこと、そして自分の手の届く範囲で、真っ当な社会的手段を通じて支えようとすることが大切だと思った。

まずは月に450円。機会が有れば絶対に。 

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・(この記事の前編)中学時代から親の借金返済、そして難病…ビッグイシュー販売者が高校生に語った半生/筑波大学附属駒場中・高等学校へ出張講義****


格差・貧困・社会的排除などについて出張講義をいたします

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日本の貧困問題、社会的排除の問題や包摂の必要性、社会的企業について、セルフヘルプについて、若者の自己肯定感について、ホームレス問題についてなど、様々なテーマに合わせてアレンジが可能です。

 

小学生には45分、中・高校生には50分、大学生には90分講義、またはシリーズでの講義や各種ワークショップなども可能です。ご興味のある方はぜひビッグイシュー日本またはビッグイシュー基金までお問い合わせください。
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参考:灘中学への出張講義「ホームレス問題の裏側にあること-自己責任論と格差社会/ビッグイシュー日本」



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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

ビッグイシューはホームレスの人々の「救済」ではなく、「仕事」を提供し自立を応援するビジネスです。1冊450円の雑誌を売ると半分以上の230円が彼らの収入となります。