9月2、3日に第6回「原発と人権」全国研究・市民交流集会「人間・コミュニティの回復と原発のない社会をめざして――事故から12年のいま」が、福島大学を会場にして開催された。主催は研究者、弁護士団体、市民団体など18団体で構成された実行委員会だ。
初日は記念公演、現場の声、基調報告、パネルディスカッション、2日目は6つの分科会で構成された。それぞれ、①復興再生 ②訴訟 ③核兵器と原発④再稼働のもつ危険性 ⑤メディア・ジャーナリズム ⑥原発事故による分断をどう乗り越えるか、だった。筆者は原子力市民委員会とともに、第4分科会を担当した。以下、現場の声を紹介したい。
チョルノービリ原発
一時は電源喪失や送電線切断も
海洋放出は時期尚早で、漁業者の反対の姿勢は変わっていない。今回の強行は、(事故や復興にかかわる)他の分野でも住民無視の決定がされてしまうことを示している。風評の根底には政府・東電への不信感がある。廃炉と復興の両立というが、廃れる産業(漁業)が出れば本末転倒ではないか。
-柳内孝之さん(小名浜機船底曳網漁業協同組合)
東北電力の撤退で町に無償提供されたかつての小高原発の予定地を使って福島水素エネルギーの実証事業が行われている。しかし地元企業には役に立たず、復興につながっていない。津島地区にある特定復興再生拠点が避難解除されたが、居住者は7世帯8人、うち地元の入居者は2世帯のみに留まっている。これはインフラ整備ができないままに解除ありきで進められた結果だ。
-馬場績さん(津島原発訴訟原告団)
南相馬市小高区で旅館を営む。東日本大震災・原子力災害伝承館には南相馬からの避難者の記録がない。避難生活や避難の中で亡くなった人々、賠償金の差で住民の間に深い分断ができたこと、特に子どもたちが別なところで生活をしていると、生活の孤独感や悲しさについて声を出せない人が多いことなど、記録を残していくことが大切だと考え、アーカイブプロジェクトを立ち上げて活動している。
-小林友子さん(双葉屋旅館/希来基金代表)
夫婦ともに研究者で放射能や被曝に関する知識があった。いわき市に住んでいたが東京に避難した。区域外広域避難者との位置付けで、さまざまな非難や誹謗中傷を受けることになった。子どもも学校でいじめられた。結局、夫のみいわきに戻り、週末だけ東京に来る生活を続けている。夫がいわきに戻る時、子どもたちは明るく見送るが、車が見えなくなると激しく泣き出してしまう(会場ではハンカチを目に当てる人が多くいた)。
-鴨下美和さん(福島原発被害東京訴訟原告団)
30年にわたって原木椎茸の栽培を行ってきた。400軒ほどの椎茸農家がいたが、事故で出荷停止が指示され、栽培できなくなって、廃業に追い込まれた。その実情を伝えたいと、写真展を開催したり、ドキュメンタリーを制作したりした。椎茸1kgあたり100ベクレル以下にするには、原木は移行率を考えてその半分以下のものを使う必要があるが、山全体が汚染されており、そんな木はない。放射能が減るまでに長い時間がかかることから、「阿武隈150年の山」研究所を立ち上げた。
-宗像幹一郎さん(福島県原木椎茸被害者の会)
一人ひとりのお話からは事故から12年が経ってもなお、人々の時間は止まったまま、人間の復興には程遠い状況であることがひしひしと伝わってきた。 (伴 英幸)
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけに、脱原発の市民運動などにかかわる。著書に『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
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