2023年4月、有名シェフ、バーバラ・リンチ*1のもとで働く従業員による告発記事が『ニューヨーク・タイムズ』紙と『ボストン・グローブ』紙に掲載された。職場で暴力が常態化しているとの内容だが、飲食店業界で働いたことのある人たちなら、今さら驚くようなものでもないかもしれない。この業界に蔓延する暴力的な職場環境について、ハワイ大学ヒロ校の社会学准教授エレンT・マイサーらが『The Conversation』に寄稿した記事を紹介する。
*1 2014年、2017年、タイム誌の「今年の最も影響力のあるトップ 100 人」にも選ばれ、現在7つのレストランを経営している。https://www.barbaralynch.com/
Jetta Productions/David Atkinson via Getty Images
暴言やハラスメントに耐えることが厨房内の日常業務!?
先の記事には、有名シェフである彼女が、何十年にもわたり、従業員に対する暴言、脅迫、セクハラや性的いやがらせを繰り返してきたと書かれている。今回、注目を浴びたのは有名シェフだが、暴力が常態化している厨房では、このような行為は決してめずらしくない。レストランで日常的に行われている暴力行為については、数多くの記事やシェフの回顧録が残されており、古くは1800年代後半にまでさかのぼる。フランスのレストラン経営者の草分け的存在オーギュスト・エスコフィエ(1846-1935)は、自身が最初についたシェフは「平手打ちのシャワーなくして厨房を統治することは不可能だと信じていた」と回顧録に記している。
料理人アンソニー・ボーディン(1956-2018)が料理業界の舞台裏を描いた『キッチン・コンフィデンシャル』のように、こうした行為を美化しているものさえある。駆け出しの頃に働いていた厨房について、ボーデインは次のように書いている。「その雰囲気はイギリスの劇作家サー・アーサー・ピネロの芝居に似ているかもしれない。監獄を思わせるキッチンでは、性的な戯れや口論がつきもので、ハイパーマッチョなポーズと酔っ払いの大言壮語がまかり通る。人を簡単に殺しそうな目つきの悪い男同士がおたがいの股座(またぐら)あたりをやさしくなで回しながらしゃべっている。そのようすは、まるで『俺はゲイじゃないのに、こんなことまでできるんだぞ!』と誇示しているかのようだ」(『キッチン・コンフィデンシャル』新潮社より)
数多くの有名シェフやレストラン経営者たちが、肉体的・心理的・性的な暴力が蔓延する職場を作り上げてきた。バーバラ・リンチに対する疑惑は、その最新事例に過ぎない。
2019年、米著名シェフのマリオ・バターリは従業員からわいせつ容疑で訴えられた(2022年に無罪となり和解)。 オークランドのシェフ、チャーリー・ハロウェルとニューヨークのレストラン経営者ケン・フリードマンもセクハラと暴行で告発され、激しい非難を浴びた。その後、ハロウェルは謝罪文を公開して2軒のレストランを売却、フリードマンも主力店をたたみ、元従業員11人に賠償金を支払った。
2019年、強制わいせつ行為と暴行の疑いをかけられたセレブシェフのマリオ・バターリ。
2022年、ボストン市裁判所で無罪となった。Scott Eisen/Getty Images
「抵抗」よりも「我慢」する従業員たち
\ “有害”な職場文化に、従業員たちはどんなふうに対処しているのか。抵抗? 逃亡? それとも自分が就職したのはそういう世界なのだと、なんとか納得しようとしているのだろうか? 筆者たちの調査*2 からは、厨房スタッフの多くが、いやがらせや不当な扱いを「日常的なこと」、つまり、レストランで働くなら「ほぼ避けられない」と考えている実態が浮かび上がった。*2 Avoiding, Resisting and Enduring: A New Typology of Worker Responses to Workplace Violenc(2023年4月)
暴力的な仕事場を離れにくいのには、経済的な事情がある。誰しも、生活費を稼がねばならない。それに、創造性や自由、感覚的な刺激、自分が作った料理を美味しそうに食べる客を目にできるなど、プロの料理人だからこそ味わえる醍醐味もある。取材に応じた副料理長はその喜びを、「人生を変えてくれる体験で、やみつきになります」と語った。
ただ、こうした事情はさておき、私たちが話を聞いた料理人の多くは、収入の少ない仕事ながら暴力は厨房文化の核であり続けているととらえていた。テレビ番組『ヘルズ・キッチン〜地獄の厨房』では、シェフのゴードン・ラムゼイの毒舌が人気を呼んだ。映画『ザ・メニュー』では、レイフ・ファインズが殺人鬼のシェフを演じた。メディアで取り上げられる暴力的なシェフ像から、そんな現場をある程度覚悟しているところがあると話す者もいた。
厨房での暴力を「ごく普通」のこととみなし、ほとんどの人は「抵抗」よりも「我慢」することで対処し、まるで日常業務のタスクであるかのようにとらえている現状が浮かび上がった。
加害者の行為を受け入れてしまっている現状
しかし暴力を受け入れれば、加害者の行為を正当化することになる。バーバラ・リンチの告発記事にしてもそうだ。これまでリンチは、飲食店業界の性差別と闘う人と世間から持ち上げられてきた。薬物乱用や幼少期のトラウマと闘ってきた自身の経験も語ってきた。そのため、疑惑が浮上しても、同情的なトーンで描かれ、そこまでの批判が沸き起こらなかったきらいがある。彼女のもとで働くスタッフの中にも、その行為に理解を示す者もいた。ひどい扱いを受けたと言いながらも、将来のキャリアアップにつながるという理由で、そこで働き続けることを自分に納得させていたようだ。
バーバラ・リンチのもとで働いていたスタッフは、彼女の行動を大目に見てきた
Marla Aufmuth/Getty Images
私たちの調査でも、あるシェフは、自分のボスが従業員を叱責した際に「中指を立てて怒りを示し、Fワードを使って罵った」が、その行為を不適切なものとは捉えず、むしろ「率直」で「正直」であると、ボスの振る舞いを職場環境のせいとはしていなかった。ミシュランの星付きレストランで暴力行為を受けていた別のシェフは、こう語った。「そのレストランで働いていたのは(料理人としての)経験を積むため。人に言われて働いていたわけではありません」
引き継がれる暴力の文化
厨房で暴力に耐えているスタッフたちは、自分が標的にされるかもという不安だけでなく、苦痛を感じている職場に居続けなければならない心理的・精神的なストレスも抱えている。暴力に耐えることで、暴力が繰り返されやすくなり、さらには被害者自身の行動も非生産的になりうることが先行研究からも明らかになっている。自らも乱暴な振る舞いをしたり、料理用ワインをこっそり飲む、仕事のペースをわざと落とすといった、ちょっとした“悪さ”をするようになる。皮肉なことに、暴力に耐えることが、職場での暴力を普通のことだという感覚や考えを助長させているのだ。
暴力の連鎖が厨房に浸透すれば、スタッフが入れ替わっても受け継がれていく。スタッフ側もそのような文化を覚悟するようになる。ある料理人はこう言った。「威圧的行為が常態化していて、美化されることさえあります。シェフがそういう人間だというのがめずらしくないのには、シェフとはそんなものだと思われている部分もあるのでしょう。改善されつつあるレストランも多いとはいえ、いまだに厨房文化の大きな部分を占めています」
残念ながら、また別の有名シェフによる暴力事例が明るみに出るのも時間の問題だろう。一時的に非難が巻き起こり、すぐにほとぼりが冷める。その繰り返しなのだ。
料理の魅力や芸術性を、暴力で「味付け」すべきではない。まずは、暴力的な厨房やシェフを崇拝しないことから始めるべきである。暴力行為に耐えるのではなく、報告し、抵抗することが当たり前の文化にしていかなければならない。
著者
Ellen T. Meiser
Assistant Professor of Sociology, University of Hawaii at Hilobr>
Eli R. Wilson
Assistant Professor of Sociology, University of New Mexico
※本記事は『The Conversation』掲載記事(2023年5月11日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
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