男子ラグビーのウェールズ代表ヘッドコーチ、ウォーレン・ガットランドは、世界有数のスポーツ指導者として知られている。彼が編み出した激しいトレーニングメニューには、頭巾をかぶせられる、赤ん坊の泣き声にさらされ続けるといったものもあり、「メンタルを鍛える」とされている。ガットランド本人は「残酷なものではない」「選手からの反応も良い」と語る。
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もしラグビー以外の世界でこんな行動をとる上司がいれば間違いなく暴力行為とみなされるだろうが、プロのラグビー選手が暴力行為の被害者だと考える人はあまりいない。むしろ、ワールドカップのような大舞台に臨むには、これくらいのトレーニングが必要だとされ、チームが勝利すれば、過酷なトレーニング法こそがよかったのだと称えるファンもいる(実際には、ウェールズ代表は昨年のテストマッチの大半で敗れているが)。スポーツ界における「良い指導」と暴力行為について、英スウォンジー大学で犯罪学を専門とするゾエ・ジョン講師が『The Conversation』に寄稿した記事を紹介しよう。
ハラスメントが正当化されてしまう環境
「良い指導とはどういうものか?」は、アマチュアかプロかを問わず、スポーツ界で常に議論されてきたテーマだ。アメフトやオーストラリアンフットボールで国際大会に出場するなど長年スポーツに関わってきた筆者も、さまざまな指導法を目にし、いわゆる「良い指導」の恩恵も受けてきた。 だが、いち研究者として自身の体験を振り返れば、暴力行為と紙一重と思えるものも少なくなかったと感じる。ケガや脳震とうを負った状態でトレーニングを強いられる者、身体的・精神的・性的ないやがらせを受けるなど、いろんなかたちで屈辱的な目に遭っている者たちがいた。wavebreakmedia/Shutterstock
総合格闘技に関する筆者の調査によれば、多くのアスリートがコーチの問題行動に「耐えている」ことが分かった。アスリートを「cunts」(女性器を意味する卑語)、「trannies」(トランスジェンダーに対する蔑称)、「fags」(ゲイを侮蔑する表現)と呼ぶコーチもいて、女性やLGBTQ+の人たちにとっては居心地の悪い環境であることがわかる。トレーニングウェアが濡れていることを性的にからかったり、過食症をネタにされた者もいた(摂食障害者の割合が高いスポーツ界では、とりわけ看過できない)。こうした“ジョーク”は、コーチから選手に一方的に発せられ、その逆のケースは決して起こらない。
訴えられれば、法的にセクハラや暴力とみなされる言動であっても、選手もコーチも「愛のムチ」的な指導の一環だと正当化する。このような正当化の背景には、格闘技は「厳しいもの」で、「道徳的な正しさは二の次」という認識があるようだ。
スポーツという特殊空間で暴力行為を認識する難しさ
スポーツ(およびコーチとアスリートの関係性)がもつ独特の役割と環境が、このような言動を可能にする。スポーツを実施する環境は、大抵の場合、ほかの社会空間から物理的に切り離され、社会的に期待されていることも日常生活とは異なる(会社のオフィスで人を殴ることなどできない)。実際、多くの人は日常生活から抜け出し、スポーツ空間に身を置くことで、普通なら許されない(合法ではない)行為をしている。そうした空間では、クラブやコーチが家族のように選手をサポートする存在となる。“家族”の一員であり続けるため、選手は悪質な行為をされてもやり過ごし、アスリートとしてのパフォーマンス向上に励んでいることを示した研究もある。
スポーツ分野で尊敬や帰属意識を示すには、従順かつ自己犠牲的なふるまいが良しとされ、それが同時にアスリートの声を封じ込めてもいる。アスリートはコーチを信頼するものとの大前提がある。それゆえに、指導方法を暴力的、攻撃的であると認めることさえ難しくなるのだ。
心理的な暴力の蔓延。違和感を見過さない仕組みづくりを
指導と暴力行為の区別をつきにくくするもうひとつの理由は、アスリートを含む多くの人が、暴力行為とは身体的なものだけだと思い込んでいることにある。『英国のスポーツにおける児童への暴力に関する報告書』によると、「子どもの頃に暴力を受けたことがある」と答えた人は回答者の73%に達し、その中で最も多いのが心理的な暴力だった。被害者の多くはそれが暴力行為だと気づかなかったり、暴力だと認めたがらない傾向にあるが、コーチからの「非身体的な暴力行為」がいかにまん延しているかが見てとれる。
私自身、このテーマの研究を行うまで、総合格闘技のジムで過ごした時間がトラウマ的なものになっていると認識していなかった。身体的な暴力を振るわれたわけではなかったからだ。それでもジムにいるときは、いつも違和感があった。その気持ちをアスリート仲間と分かち合えていたらと思う。勇気を出して「やめて」(または、同じくらい下品な言葉で「失せろ!」)と言えていれば、恥ずかしい思いをすることもなかったのだろう。でも、加害者が自分の保護者的な役割にあれば(コーチ、チーム管理者、サポートスタッフなど)、アスリートはなかなか抵抗できないものだ。
ウェールズのラグビー界における組織的な性差別や女性蔑視、さらにはスペインサッカー連盟のルイス・ルビアレス会長が女性選手にキスを無理強いしたとの報道もあった。スポーツの運営組織側が問題の引き金となっているこれらのニュースを目にすれば、問題を報告したところで、適切に対処してもらえそうにないとアスリートが感じてしまうのも無理がない。
スポーツ文化に深く根付く「厳しい指導」と「攻撃的な言動」の線引きの難しさ。事態を変えていくには、指導者がDBSチェック*1を受けたり、セクハラに関するオンライン研修を受講したりするだけでは不十分なのだ。
*1 英政府のDisclosure and Barring Service(前歴開示および前歴者就業制限機構)が行う犯罪歴チェック。英国の事業者は職種にかかわらず雇用の際に犯罪歴を照会でき、とりわけ子どもにかかわる事業では前歴照会が義務化されている。
コーチとアスリートの関係性には暴力行為が起こりやすいことについてもっと議論し、「何かおかしい」と感じたときにアスリートが自分を信じられるようサポートする必要がある。また、スポーツの種目やレベルに関係なく、問題行動を報告するための仕組みも整備すべきである。
「血と汗と涙」。スポーツを美化して語る際によく使われる表現だが、それが指導マニュアルであってはならない。
著者
Zoe John
Lecturer in Criminology, Swansea University
※本記事は『The Conversation』掲載記事(2023年9月22日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
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