余剰プルトニウムの利用難航 日本48トン、米国62トン
広島市で行われた「被爆71周年原水爆禁止世界大会国際会議」
原水爆禁止世界大会(原水禁主催)が8月4〜6日に広島で開催された。多くの分科会に加えて国際会議も行われた。国際会議のテーマは「日本のプルトニウム利用政策と核拡散」。
筆者も参加して48トンものプルトニウムを保有しながら、さらに青森県・六ヶ所再処理工場の運転に固執する日本の現状を報告した。米国からは、30年以上にわたってプルトニウム問題を追う専門家であり、「サバンナリバーサイト(SRS)ウォッチ」の代表を務めるトム・クレメンツさんが参加、SRS内の燃料工場の現状報告と日本への教訓を伝えた。また、東京でも10日に同様の報告を行った(主催は原子力資料情報室)。
サウス・カロライナ州にあるサバンナリバー国立研究所は、米核兵器製造に必要なプルトニウムとトリチウムを生産する施設として出発した。現在、5つの原子炉や2つの再処理工場が建設され、核兵器開発の過程で汚染された施設の除染や解体核兵器から取り出されたプルトニウムの処理・処分に関する研究を行っている。本誌286号でウォッチした茨城県・東海村から米国への331㎏のプルトニウムはこの施設に輸送された。東海村の専用港を出港した船はオーストラリアの南から喜望峰を通って大西洋に出て、サウスカロナイナ州チャールストンの港にたどり着いている。
現在、米国には約62トンの余剰プルトニウムがある。核兵器の解体などから出てきたものだ。このうち、34トンを燃料に加工する計画があるが風前の灯火とクレメンツさんは言う。
燃料に加工するためには再処理工場が必要で、2007年からSRS内に建設を進めてきた。工場はこれまでに50%が完成したが、この9年の間に建設・運転費は膨れ上がっている。その原因は建設を請け負うフランスのアレバ社の「古い技術」による設計であり、設計の見直しのたびに費用が高騰している上に完成時期が遅れていくことだという。
米原子力規制委員会ではチェックできなかったのか、という疑問が沸いてくるが、米国にとっては初めての施設なので、実用化の例をもつアレバ社の説明をそのまま通したのかもしれない。
非核保有国で例外的に再処理が認められている日本 04年からトラブルで停止
コスト増の結果、米国政府は再処理工場の建設を断念して、あらたに「希釈・処分」方法の予備的な設計に予算を配分するという。プルトニウムを核兵器に再利用できないように特殊な物質で薄めて、この状態で処分する方法で、これまでに試験的に350グラムのプルトニウムを処理して、実用可能性を探ってきた。
プルトニウムの処分にはほかにも高レベルの放射性廃液と混ぜてガラスに固める方法もあり、およそ100㎏がこの方法で処分された。しかし、燃料への加工計画推進を求める政治的な圧力が強まり02年に中止された経緯がある。この復活は現実的には考えられないという。SRSには十分な廃液がなく、かといって別の施設にプルトニウムを輸送することもできそうもない。その上、政府によるコスト評価では「希釈・処分」方法が最も安価だからだ。
1977年、カーター政権は商業用再処理を禁止した。再処理は核兵器製造には不可欠の技術。どの国にも再処理技術がひろまれば、核拡散につながるとの認識からだ。日本は非核保有国で例外的に再処理が認められている。日本のケースが例外的な再処理を進めたい国々の口実となっている。隣の韓国もそうだ。米国の現状を報告したクレメンツさんは日本に対して、核拡散のリスクを高める再処理・プルトニウム燃料加工を中止すべきことを訴えた。
六ヶ所の再処理工場は1993年に建設を開始し04年から試験運転に入っているが、トラブルで停止したまま、新しい規制基準に基づく審査が行われている。建設が始まったばかりの燃料加工工場も審査で工事中断。コスト面ではウラン燃料を輸入する場合の10倍も高いことが明らかになっている。海外から中止の声が高まる中、核拡散のリスクを高めてもなお継続する理由は見当たらない。
(文と写真/伴 英幸)
ビッグイシュー本誌の294号より、原発ウォッチ 連載114回を転載