阪神・淡路大震災を風化させない「シンサイミライノハナ」プロジェクトを機に立ちあがったNPO「Co.to.hana(コトハナ)」。
3・11以降の取り組みを代表の西川亮さんに聞いた。
神戸、アチェ、東北。国境を超えて咲いた「シンサイミライノハナ」
2010年、阪神・淡路大震災の神戸の街角や、インド洋大津波(’04)で多大な被害を出したインドネシア・アチェのグランド・モスク、スマトラ島沖大地震(’09)震源地近くの高校で、黄色い花々が咲き乱れ、道行く人が足を止めた──。
花々の5枚ある花弁の1枚1枚にはこんな言葉が書かれている。
「人は支えられて生きていると思った」
「生きるということは神から与えられたもっとも美しいこと」
「災害をして真の友となせ/災害は僕らの人生を前よりも進歩させてくれたのだから/keep your spirit」
──「シンサイミライノハナ」プロジェクトが呼びかけ、世界中から寄せられた震災への想いを込めたメッセージだ。
このプロジェクトを考えたのは、NPO「Co.to.hana(コトハナ)」代表の西川亮さん。「阪神・淡路大震災から15年を経て、震災を知らない世代が増えました。僕自身、神戸の大学で建築を勉強してきて、将来は街づくりに携わりたいと思っていたのですが、震災のことを知らずにはできない場所だなと感じていました。震災を知らない世代とともに、神戸の未来をともに描いていけないだろうかと考えたんです」
西川さんたちは、イベント会場や全国の学校で震災への想いや応援メッセージを募集。3ヵ月かけて集まった3万枚の花弁たちが、震災15年の式典会場や神戸の街角はじめ、世界で花を咲かせた。
「身近な紙1枚っていう小さなメディアですが、小さいけれども、この1枚で社会を変えていく力になるという手ごたえを感じましたね」
3・11以降は、福島・石巻・大槌の仮設住宅で、全国から寄せられたメッセージが花開き、人々の想いをつないだ。
大人も子どもも、問題解決という「デザイン」をする
3・11の後、東北を訪れた西川さんが感じたのは、地域に根差した防災の重要性だった。「神戸は圧死が多かったといわれていますが、東日本大震災では圧倒的に津波でした。津波の爪痕を目の当たりにして、改めて地域ごとの防災訓練の必要性をひしひしと感じましたね」
どうしたら、日頃から、楽しみながら防災を考えられるだろうか。
そんな問いから生まれたのが、渥美公秀さん(「防災と言わない防災」に、楽しみながら参加する「地震イツモプロジェクト」)らと手がけた、子どもたちによる「まち発見マップづくり」。昨年7月には、大阪市大正区で小学生たちが商店街などの地元を隅々まで歩いて、独自の防災マップを作った。
「60年以上この地区に住んでいて『この町に知らんことはない!』と言っていた町内会長さんも『こんなところに井戸水あるの知らんかったわ〜』と、子どもたちの発見に驚かれていました」と西川さんは頬をゆるめる。
同じく子どもたちによる「BOSAIカフェ」も大人たちを驚かせた。「震災や災害が起こると、まず食べ物が手に入らなくなりますよね。3日間は、水、パン、缶詰などの非常食で生きのびるとしても、そればっかり毎日食べるとなると気持ちも沈む。だからこそ、3日目からは干し野菜、漬け野菜などの保存食を作ると食事の色どりにもなりますし、1週間くらいで収穫できるスプラウトの種を植えれば、野菜が育っていく過程が生きがいにもなる。非常食×保存食×タネ=心と身体を元気にするBOSAI食をつくってみたんです」

3日間におよんだワークショップの最終日は、子どもたち自身がBOSAI食を地域の人にふるまうカフェをオープン。小学6年生の子どもたちが考えたお店の看板メニュー「ぜったいに花は咲く!バーガー」には、オープンサンドの上にスプラウトが花を植えるように盛りつけられていて、3・11以降の東北への気持ちを込めて一つひとつ、つくられた。
「僕はデザイナーでもあるのですが、『デザイン』の語源には『問題を解決する』という意味があるそうです。デザインには社会にムーブメントを起こす力があると信じて、これまで活動を続けてきました。大人も子どもも、社会に生きる一人ひとりが問題解決という『デザイン』に携われたら、素敵ですよね」 (八鍬加容子)
THE BIG ISSUE JAPAN210号(2013-03-01 発売)より転載
NPO法人Co.to.hana(コトハナ)
https://cotohana.jp/