2019年に小説『Girl, Woman, Other』(未邦訳)で黒人作家として初めて、英国で最も権威ある文学賞「ブッカー賞」を受賞したベルナルディン・エヴァリスト。この作品は、オバマ元大統領が2019年の推薦書に選んだことでも知られる。著者に、『ビッグイシュー・ノース』がインタビューした。
若い頃から夢に描いていたブッカー賞受賞が実現
60歳にしてブッカー賞を受賞したエヴァリストは、若い頃につけていたノートを見返し、自分の“予言”が本当に叶ったのだと実感した。健康、幸せな人間関係、マイホームを持つなどの夢と合わせて、「いつかブッカー賞を取る」と文学界で最も権威ある賞を、若い頃から視野に入れていたのだ。
受賞により一躍名を知られる存在となり、取材を受ける機会が増えたエヴァリストだが、芸術の世界では40年以上のキャリアがある。これまでに7冊の本を出版し、英国初の黒人女性による劇団を立ち上げた過去もある。しかし、2019年度のもう1人のブッカー賞受賞者マーガレット・アトウッド(この年は異例のダブル受賞で、アトウッドは『侍女の物語』の続編となる『誓願』で2度目の受賞に輝いた)と比べると知名度は低く、受賞までの道のりは長く、多くの困難があった。
アイルランドの書店にあるマーガレット・アトウッドの『誓願』のディスプレイ/iStockphoto
人種差別にさらされた子ども時代
エヴァリストの物語は、1959年のサウスロンドンから始まる。白人英国系の母親とナイジェリア人の父のあいだに、8人きょうだいの4番目として生まれた。母親は母性愛にあふれたタイプの教師。父親は溶接工で、子どもは「口を開くな」と考える権威主義的な人だった。
住んでいたのは白人主流の地域で、異人種間の家族というだけで特別視された時代で、学校でも、外を歩いているだけでも、人種差別を受けたという。幼少期についてエヴァリストは「私の家族は耐えに耐えました。親がしている人種差別をまねる子どもたちからの誹謗中傷は日常茶飯事。ごろつきたちがしょっちゅう自宅の窓にレンガを投げつけてきて、引っ越してもまたすぐに始まり、いたちごっこだった」と書いている。「ブラック・ブリティッシュ(黒人の英国人)」という概念自体が“成立しない”ものだったとも。
とりわけつらかったのは母方の親戚からも敵意を向けられたことだ。母方の親戚にすれば、エヴァリストの両親の結婚は「忌まわしいもの」で、一族に起きた最悪の出来事とされた。まだやさしかった祖母でも、孫たちの写真を1枚たりとて飾ろうとはしなかった。しかし、エヴァリストの兄が白人女性と結婚したときは別だった。「私がその違いに気づいたのは、半自伝小説『Lara』を書いていたときでした。子どもの頃は気づかず、そんなものだと思っていました」と語る。
初の黒人女性による劇団を立ち上げ
12歳で子ども劇団に入ったエヴァリストは、1982年に2人の友人と一緒に、黒人女性の劇団(Theatre of Black Women)を立ち上げた。3人はローズ・ブラフォード・カレッジのコミュニティ劇団アートコースで演技や劇団運営を学び、卒業したばかりだった。劇団界に黒人女性がほぼ存在しなかった時代に、黒人女性に関する作品を黒人女性が演じることを目的とした劇団だった。
助成金が途絶えたため、1988年に劇団は解散。その頃からエヴァリストはある支配的な女性との虐待的な恋愛関係に陥った*1。自叙伝『Manifesto: On Never Giving Up.』の中で「The Mental Dominatrix(精神的な女帝)」と呼ぶ女性だ。今振り返ると、その女性がいかにエヴァリストの創造性を抑えつけていたかがわかるという。エヴァリストの書いた詩を自分の作品かのように朗読会で披露したり、原稿を出版社に送ってはならないと命令したり、その女性と付き合っていた間は、自立心や自分のことを大切にする力をなくしていたと振り返る。
*1 過去に10年ほどレズビアンとして生きていた時代があると振り返っている。現在は男性作家と結婚。参照:Bernardine Evaristo: living as a lesbian made me stronger
なんとかその女性との関係から抜け出したエヴァリストは、人生を立て直す必要があった。
『Manifesto』の中で彼女は、自分と同じような境遇にある読者を勇気づけようと思って筆を執ったわけではないが、もしこの本にそんな力があるなら、それは予期せぬおまけみたいなものだと述べている。「人生のつらかったことについて語るときというのは、それが人間関係であろうと、差別体験であろうと、創造性をめぐる闘いであろうと、正直に語ることで、同じような経験をした人やその渦中にいる人たちにこそ伝わるメッセージがあるのだと思います」
「私が過去の虐待的な恋愛関係について書くことが、誰かの気づきになり、その人が厄介な人間関係を断ってしまおうと決意できるなら、それは本当に喜ばしいこと。でも、作品を書いているときは、自分の創造性がいかに人生のさまざまな経験にかたちづくられているかを考えるだけ、他の人たちに及ぼす影響まで考えられていたわけではありません」
創造性を育みにくい街になったロンドン
エヴァリストには、ロンドン市内で安アパートを転々とながら自分の芸に磨きをかけていた時期もある。「80〜90年代は長い間、セントラルロンドンの近くに住んでいました。あの頃は今より家賃が安かったので、首都圏に暮らしながら、アート活動に専念できたんです」
「授業料がほとんどかからなかったので、労働者階級の子どもたちでも気軽に演劇学校に通うことができました。でも今は授業料などもバカになりませんし、そのほかの事情もからみ、演劇学校が中流階級以上の家庭の子どもたちしか通えないものになっています」と嘆く。
「これは今の社会が直面している大きな問題です。20年ほど前は、社会がもっとインクルーシブ(包摂的)だったのではないでしょうか。演劇界はそんな時代を置き去りにし、振り出しに戻ってしまいました」とも。「この時代、ロンドンのような街で暮らしながら、どうやって創造的な生活をしろというのでしょう? 仕事を見つけても、すべての時間がそれに奪われ、創造性どころではない気がします」
インクルーシブな出版界を守っていく必要性
英国で暮らす黒人女性の経験について、40年以上執筆してきた。しかし、出版界が有色人種の作家を起用し始めたのはごく最近のことだ。受賞作『Girl, Woman, Other』――12人の登場人物(その多くが黒人女性)の人生をたどった小説――が刊行されたのは、「構造的人種差別」や「白人の特権」に関する対話が転換期を迎えたのと同じタイミングだった。
「出版界がこの数年で遅れを取り戻そうとしているのは、とても興味深いことです」とエヴァリスト。「ジョージ・フロイドさんの死亡事件がターニングポイントになったと思います。あれ以降、出版界には多様性が不足しているとの主張に真剣に耳を傾け始めましたから」
だがエヴァリストは、まだまだやるべきことはあると語る。「今日の私は、より大きな希望を感じています。出版界が10年前のような状況に舞い戻ることはもうないと思います。ですが、白人ありきの業界に戻らないよう、働きかけを続ける必要があります。出版界にいろんな集団の人たちが存在し、みんなの作品が同じように出版され続けるように」
By Saskia Murphy
Courtesy of Big Issue North / International Network of Street Papers
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