英国の自然科学者チャールズ・ダーウィン(1809-1882年)は、歴史に残る「自然淘汰」理論を提唱し、「種の進化」について世に広めた人物だ。しかし彼の業績はそれだけではない。ダーウィンには『人及び動物の表情について』という著書もあり、150年前に出版された本ながら、人間の行動をより深く知りたい者たちにとって有益な知恵が詰まっている。2020年に『Darwin’s Psychology(ダーウィンの心理学)』を著した豪チャールズスタート大学の心理学名誉教授ベン・ブラッドリーが解説する。
行動への着目
1940年代以降、進化論者たちは自然選択説を“当てのない”プロセスととらえてきた。つまり、遺伝的変異がランダムに発生し、そこに環境変化が偶然起こり、もっとも有利な(適合した)生物が生き残るのだと。「ただの偶然」ではなく、「生物の行動」まで考慮すべきと生物学者たちが考えるようになったのは近年になってからのことだ。
ダーウィンは、種の生存争いを含む、あらゆる動物の不可解な行動を説明するには、生物の主体性が重要な手がかりになると考えた。行動は反応を引き起こす。生物が行動すれば、それ自身やまわりの環境に何かしらの「影響」をもたらす。そして、これらの影響が次なる行動をかたちづくり、ゆくゆくは、子孫の進化を決定づけていく。
こういった影響の中には、有害なものや命にかかわるものもあれば、すぐにそうとは分からなくても結果的にその生物を長生きさせるものもある。例えば、森の木とミツバチは、互いに助け合う関係にあることで、それぞれの種の仲間たちが恩恵にあずかっている。ダーウィンはこの主体性の考え方を、彼が「最も社会的な種」と呼んだわれわれ人間に当てはめた。
表情が持つ意味
ダーウィンは、顔の表情とジェスチャーに関する70種類以上の構成要素と種類を詳しく分析した。そして、笑顔や泣き顔など「表情」と呼ばれる動きは、コミュニケーションのために進化したわけではない、心の奥底で生じる感情的な意味づけに入り込んでいるものが、神経系のしくみなどによってうっかり体の表面にあらわれていると解釈した。
ダーウィンは顔の表情のしくみを詳しく研究した / Wikimedia
「表情」とは他者がそれをどう解釈するかではじめて意味を持つため、「感情表現」は、状況や相手によって意味合いが異なる。そう考えたダーウィンは、「表情」だけでなく「表情を読み取る力」も、車の両輪のような関係で本能として進化してきたと説いた。そして、人間は生まれながらにして顔の表情やジェスチャーを読み取れる生き物だと主張している。
ダーウィンは、被験者の顔の筋肉に電極を取り付けていろんな表情を作り出した神経学者ギヨーム・デュシェンヌによる顔写真を研究に用いた/Wikimedia
ダーウィンによる感情研究
この主張を裏づけるべく、ダーウィンは最初の息子ウィリアムの行動を細かく観察した。生後4ヶ月の息子に、“妙な声を上げて、しかめっ面をする”を何度もしたが、息子は怖がるどころか、それらを「おもしろい冗談」と受け止めた。なぜなら、その動作の前後にダーウィンが笑顔を見せたから。笑顔の意味を理解している息子は、父が恐ろしいうなり声やしかめ面をしようとも、それらの動作を面白がったのだ。そして、生後まもない頃から、ウィリアムは世話をしてくれる大人たちが示す感情の意味合いを、その顔の表情から理解していることが分かった。
赤ちゃんも他者の顔の表情を解釈できるとのダーウィンの説は、近年の研究により確証されている/Shutterstock
赤ん坊は生まれながらにして相手に共感し、気持ちを伝えあう能力が備わっていることは近代の心理学の発見とされているが、ダーウィンは1世紀以上も前にこのような所見を報告していたのだ。
当時の感情研究といえば、なぜ微笑んでいるのか、何に怒っているのかを人々に尋ねるという方法が一般的だったが、ダーウィンは他人の表情をどのように理解しているかを質問するという正反対の手法を用いた。
海外在住のヨーロッパ人たちに協力してもらい、「ヨーロッパ人とほとんど関わったことのない」その土地の人たちが、感情表現にどんな動作をしているかを調査した。また、20人ほどの教養人たちに11枚の顔写真を見せて、どんな意味合いを感じ取るかを尋ね、回答者の意見が一致した写真のみ「本物」の表情とした。すると、「恐怖」「悲しみ」「笑顔」の写真には全員が同じ反応を示したが、「憎しみ」など他の写真については意見が分かれた。
さまざまな感情表現/Wikimedia
この本では「赤面」についても多くのページを割いて解説されている。赤面は「他者が自分のことをどう思っているか」との思いから生じるもので、自分が悪いことをしていなくても誰かに責められると想像するだけで赤面する、と述べている*1。
*1 他者の態度を読み取ってその人の行動がかたちづくられるというこの結論は、ダーウィンの過去の著作『人間の進化と性淘汰』(1871年)で触れられている良心や道徳、性的誘惑、文化の扱いを裏づける。また、社会心理学者ジョージ・ハーバート・ミードにもインスピレーションを与え、人間のあらゆる行動は属する集団内によって形成されるという「シンボリック相互作用論」の発明につながった。
150年前に刊行されたダーウィンの著書『人及び動物の表情について』は、生態学における最新理論を予見する以上のものであり、進化心理学の土台となっている。
著者
Ben Bradley
Professor Emeritus (Psychology), Charles Sturt University
※本記事は『The Conversation』掲載記事(2022年2月7日)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
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