Photo: Jamila Douhaibi
私は1953年にバンクーバーで生まれました。
東部のオンタリオ州で2、3年過ごし、60年にブリティッシュ・コロンビア州へ戻ってきました。61年に父がバーナビー市で接骨院を開業したため、基本的にはそこで育ちました。
19歳から、百貨店「シアーズ」の出荷部門で3年間働いた。それから22歳の時に米国に渡り、カリフォルニアの林業現場で2、3ヵ月仕事をする。その後、ブリティッシュ・コロンビア州に戻ると、メープル・リッジ市にある杉の植林地に職を得た。78年に結婚し、現在は3人の子どもと2人の孫がいると言う。しかし、99年の離婚前後から生活が苦しくなっていった。
私はいくつかの問題を抱えているんです。働くことはできます。時間通りに来て仕事をすることができるし、それに喜びも感じる。ただ、雇用者がフルタイムで雇いたいと思うタイプの人間ではないでしょうね。実際はそこまで重大な障害ではないし、仕事に支障をきたすこともないんですが。病気というより性格の問題かもしれません。
メープル・リッジの職場には30年間近く勤めていたというフレッド。
労働組合もあって、いい仕事でした。ただ、月1000ドルの給料から元妻に600ドルの扶養料を送っていたから、生活費はいつも足りませんでした。96年~98年と、04年~06年の合計約4年間、私はホームレス状態でした。
06年にヴィクトリア市にやって来た頃、フレッドは『メガフォン』誌の販売者を見かけていたそうだ。「収入も得られそうだし、あの団体に受け入れてもらえたら、何とかなるんじゃないかと思っていました」
ヴィクトリアには親切な人たちがたくさんいますし、便利なところです。フードバンクもあるし、半介護付き住宅に入ることもできました。
二人の息子たちには頻繁に会っているけれど、遠くに住む娘にはなかなか会えません。車がないと不便ですね。
と話す彼の今年の目標は、売り上げを増やし、子どもや孫たちともっと多く逢えるようになること。パソコン教室も中級に進んだ。
フレッドは今、この街での生活を楽しんでいる。最近では、販売者仲間を増やそうと、スカウト活動に力を入れている。趣味は写真で、彼が撮った作品が地元のホームレス支援団体「Cool Aid Society」のカレンダーに採用されたこともある。
この街が好きなんです。こじんまりとしていて、清潔なところだから。心の底ではいつも、退職したらヴィクトリアに住みたいと思っていました。
(Megaphone-CANADA /www.INSP.ngo)
*3月15日発売の307号から、毎号各地のビッグイシュー・ストリートペーパーの販売者を紹介している「今月の人」を転載しました。