福島第一原発事故から丸8年が経過しようとしている。しかし、事故を起こした第一原発の廃炉作業は困難に阻まれて進んでいない。作業を大きく分けると、汚染水対策、プールからの使用済燃料の取り出し、そして溶けた燃料の取り出し準備となる。汚染水問題は
いまだ移送が開始できない
使用済燃料514体、新燃料52体
4号機のプールからの燃料の取り出しはそれなりに進み、1553体の燃料の移送は2014年12月には完了している。次は3号機からの燃料の取り出しだが、これがトラブル続きで難航している。プールには使用済燃料514体と新燃料52体が貯蔵されている。これを地上の施設に移送する計画なのだが、11年12月にまとめられた「廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」では14年度中に移送するとされていたが、いまだ開始されていない。
遅れの大きな原因は瓦礫の撤去に時間がかかったこともあるが、昨年からの遅れは燃料を取り扱う機器にトラブルが集中して起きたからだった。トラブルは実に14件に上る。機器を制御するセンサーやソフトウェアの不良、防水や防塵対策の欠如、不良品の使用などが主なもので、その中で現状をよく示していると考えられるものを取り上げた。
燃料取り出しは、屋上に蒲鉾型のカバーを設置し、その中で作業を行うことになっている。カバーは18年2月23日に完成した。筆者は完成直前の状態を見学したが燃料をつり上げるクレーンには「東芝」の文字が見えていた。なお、本体には「ウェスチングハウス」の文字が刻まれていた(写真)。
電圧設定ミスや防水対策の欠如
心もとない品質管理能力
このクレーンの検査運転のために電源を入れたのが3月16日。その途端に電源回路で警報が発生、部品交換の後の5月11日に再び電源を入れたところ、クレーンの制御盤で回路が焼き切れてしまった。電圧の設定が間違っていたことが原因だったという。現場では480ボルトで使用するが、米国で製造・出荷時には380ボルトに設定されていた。
さらに国内の工場で420ボルトに設定して起動試験を行った。工場の設備の限界から480ボルトではできなかったようである。そして現場で480ボルトの電圧をかけたことから回路が過熱して焼き切れたというのだ。損傷部品を交換し、電圧設定を正しくする対策を行い、問題は解消されたが、このミスは極めて初歩的というほかない。電気を専門に扱う事業者である東電と東芝が電圧の設定ミスに気がつかない! そんなことがあってよいのだろうか。
次のトラブルは、8月8日。燃料集合体をつかみ上げる機器の試運転中に警報が鳴り、停止した。雨水が浸入してケーブル接続部分が腐食して断線したことが原因だった。当該機器は14年に輸入し、保管されていた。保管の仕方にも問題があっただろうが、本来なら防水対策がなされていなければならなかった。対策の要求はあったものの、実際には対策はなされなかった。防水対策が施されたケーブルに交換したが、品質管理能力の欠如を示すトラブルであり、他は大丈夫かと心もとない。
中でも驚くのは、クレーンの上部に雨水避けのために屋根をつけるというものだ。クレーン自体は建屋カバーの中に収まっているのだが、そのカバーが激しい降雨時に雨漏りするというのだ。カバーは8つのパートをつなぎ合わせたものだが、その接合部から雨が入るのだろう。接合部の改善をするのではなく、クレーンに雨よけの屋根を作るとは、素人目にも雑な設計としか考えられない。
3号機の燃料取り出し作業の元請け企業は東芝である。実際の作業は、その子会社の東芝エネルギーシステムズが担当している。東芝といえば「もんじゅ」を廃炉へ導いた2度の事故を起こした企業であり、その原因はいずれも設計ミスだった。東電はそのような企業に廃炉作業を任せ、さらに東芝エネルギーシステムズは設計や品質管理のベテランを配置せずに済ませていたのではないだろうか。安全で着実な廃炉は果たして実現できるのだろうか、極めて疑問である。 (伴 英幸)
(2019年3月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 354号より)
伴 英幸(ばん・ひでゆき)
1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)
http://cnic.jp/