「100時間デ名著」など、時間をかけて物事を理解する
岡山駅から高架を北上すること10分。1本脇道に入ると、まるでタイムスリップしたような趣のある長屋が目に飛び込んできた。玄関先に掲げられた鐘を鳴らすと、中から「はいーっ」と朗らかな声。「ヨノナカ実習室」を主宰するスミカオリさんが顔をのぞかせた。
趣のある長屋
「第2次世界大戦のとき、空襲で2本隣の路地まで火事になったそうなのですが、このエリアは当時の地元の人たちの必死の消火活動もあり、当時の建物がそのまま残っているんです」と教えてくださった。
「ヨノナカ実習室」とは、「調理実習や木工実習のように、対話や表現や交流の実習を楽しむ場所」。2019年に立ち上げられてから、数々のイベントに老若男女が参加してきた。
例えば、NHKの名番組「100分de名著」にヒントを得た「100時間デ名著」ではドストエフスキーの長編小説『罪と罰』を100時間かけて読むという読書会を開催。
「今やっと15時間くらいですかね」と笑う。映画を早送りで観る人や、わかりやすく要約した「ファスト映画」の視聴が増加するなか、あえて時間をかけて丹念に名著を読む場を提供している。
「省略・短縮という行為は、大事なエッセンスを失わせてしまうような気がしていまして」と語るスミさんは、実生活でもあえて乗り物に乗らず長い距離を歩いてみたり、はたまた南方熊楠が明治政府に提出した意見書を手書きで写してみたりと、時間をかけて物事を理解することを心がけているという。
主宰者、スミカオリさん
『ビッグイシュー日本版』と出合いは“偶然”
スミさんと『ビッグイシュー日本版』との出合いは大阪・御堂筋の路上で、だった。
あるデモが話題になり、『デモってどんな感じなんだろう』と気になって御堂筋に行ってみたところ、ゴール地点で目にしたのがーー。
「吉川晃司が表紙のビッグイシュー(220号)を持った販売者さんが立っていたんです。『なんでこんなところで雑誌を販売しているんだろう』ってとっても気になって、その時初めてビッグイシューを買ったんです」
ページを繰ると、ホームレスの人々の応援のために作られている雑誌だという。インタビューや特集記事も充実しており、読み応えのあるのが気に入った。
それから4年ほど経った2019年、ビッグイシュー・オンライン主催の「ソーシャル×ライティング」の教室*が岡山で開催されることを偶然知ったスミさんは、参加。その時間の心地よさから、「この媒体に何らかのかたちで関わりたい」と感じたという。
『森の生活』読書会が転機に
それは、ちょうどある読書会をきっかけに20年勤めた高校の国語の教師としての仕事を辞した時でもあった。
「その読書会で読んだのはヘンリー・デイビッド・ソローの『森の生活』で。『どうしてみんな、自分のしたいことを定年退職後まで先延ばしにするんだろう、今すればいいのに』というような一節でした」-そのフレーズが、転機となったという。
国語教師の仕事も心から愛していたが、当時の暮らしにどこか違和感も抱えていた。
「インフラが止まったら何もできない自分というものに気づいてしまった」と言い、まずは衣食住を少しずつでも自らの手に取り戻したいと、棉を栽培して糸を紡いだりもしてみた。
紡がれた糸
そんな時に、前述の読書会の主催で懇意にしていた「スロウな本屋」の店主が「うちの長屋の隣、空くらしいよ」と声をかけてくれた。「店主の自分のできることを1つ1つ丁寧にしていく仕事ぶりに感銘を受けていまして。それから定期的に読書会に参加したり、色々と相談にのってもらったりしていました。その方からの直々のお声がけだったので、その日のうちに不動産屋さんに電話して、今に至ります」と笑う。
「何かしたいことがあって場所を借りたのではなく、先に場所ができたからしたいことを考えた」というスミさん。こうして住み開きのように、生活スペースに様々な人が集う公共性も兼ね備えた「ヨノナカ実習室」が誕生した。
「ちょっと何かのついでに来て、さっきみたいに『カンカン』って鐘を鳴らしてくれたら、『おぉ、よく来たねぇ』ってお茶飲みながら、少し話をして…みたいなことをできたらいいなと思ってるんです」
本との出合いも魅力の一つ
反応が多かったのは403号「認知バイアス」特集号
以降3年半、前述の「100時間デ名著」や、「不器用な人のための編み物の会」「腕に覚えのない人のスケッチの会」など様々なイベントを開催してきた。
「無責任編集雑誌の会」では、30人の参加者をグループに分け、その30人全員が編集長として目次と台割りを組む。その目次と台割をスミさんが思い思いにグループ内の誰かに郵送。送られてきた人は、その雑誌のどこかのページを作成してまたスミさんに戻すという試みを実施。「この様子では、完成に8年程度かかる計算になります。参加者には『美人薄命の自覚の強いアナタも長生きしてください』って声をかけているんです」と笑う。
コロナ禍においても、「元気が有り余ってる小学生の会」を開催。「休校で友達との時間を失ってしまった小学生たちは、初対面でも河原で意気揚々と遊んでいましたね」と語る。
そのようにゆるやかに老若男女が集う「ヨノナカ実習室」に『ビッグイシュー日本版』も置かれている。
「でも、私は優秀な委託先ではないと思います」とスミさん。「というのも、ここから自転車で10分ほどのところにある表町商店街で販売者さんが立っておられるので『ここで買うより、表町に行ってください』と、つい言ってしまうんです」と笑う。「ここで思う存分試し読みしてから、表町で買ってくださいねってお声がけしています」
反応が多かったのは、403号の「思い込みと偏りー認知バイアス」特集だという。「こういう見落とし・記憶違い・決めつけってあるよなぁって納得しながらも目から鱗でしたね」
岡山市内の一角にあるタイムスリップしたような空間で、ファスト文化に抗うスローな時間が流れている「ヨノナカ実習室」。省略・短縮化が当たり前の世の中で、そぎ落とされてしまった“エッセンス”を感じたい人におススメだ。
(文章と写真:八鍬加容子)
ヨノナカ実習室
〒 700-0807
岡山市北区南方2-9-7
オープン時間は不定期
https://yononaka-jsh.hatenablog.com/
ビッグイシューの委託販売制度について
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