編集部より:10月22日に開催されたシンポジウム「1つのボールが人生を変える」の講演第2部のパネルディスカッションの模様を書き起こし形式でご共有いたします。
※主催:NPO法人ビッグイシュー基金/スポーツフォーソーシャルインクルージョン実行委員会
選手たちの人生を変えるホームレス・ワールドカップ/シンポジウム「1つのボールが人生を変える」第一部レポート(1/4)

シンポジウム「1つのボールが人生を変える」第一部レポート(2/4)

スポーツイベントというメディアで、社会問題に明るく楽しく切り込む…シンポジウム「1つのボールが人生を変える」第二部レポート(3/4)

パネルディスカッション

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写真(横関一浩):野武士ジャパンの蛭間芳樹さん

蛭間: みなさん、ありがとうございました。では、ここから色々議論していきたいと思います。
これまでの皆さんのお話を私なりに整理させていただきますと、まず田嶋会長の冒頭の挨拶のところで、「サッカーファミリー」という言葉は私たちにとってすごくうれしかったですね。

それから私自身響いた言葉が2つほどありました。まずは「サッカーの可能性」という言葉です。もちろん競技性を追求することもスポーツの魅力としてあるんですが、社会のいろいろな問題、紛争、貧困などいろんなテーマに対して、その解決の技術に使えるんじゃないかとそういう意味ではサッカーには、我々が気がついていない、ものすごい社会的な価値があるんじゃないのかと。

それから、もう一つは「包摂や多様性」という言葉。レイチェルさんのお話しにもありましたし、私も本に書きましたが、この概念を社会実装する挑戦を我々はしているのかもしれません。私自身も気づかないうちに、社会を超偏見で捉えているんですよね。みんな、事実を自己解釈して、自分が一番評価されるフィルターを持って生きています。例えば、ホームレスっていうのは集団名詞でしかなくて、お一人お一人人生があるわけですよね。その一人ひとりを包摂していく、しかも世界のアジェンダとして、応援していく・エンカレッジしていくというは本当に素晴らしいことだと思います。

国内では先ほど日比野さんからもありましたけど、サッカーを文化としてとらえると、そこにもやはり新しいサッカーの可能性に出会う。サッカーを活用した創意工夫といいますか、そこの豊かさを試されているんだと思います。もちろん日本も頑張っているんですけど、やっぱりヨーロッパと比べてみると、そもそもの社会とサッカーの付き合い方はやっぱり違うなというのは感じましたね。我々野武士ジャパンの公式フラッグを作りたいと思います。

 それから糸数さんの取り組みは最近知ったのですが、とてもエッジが立っていて面白い。ターゲットやコンセプトが明確ですよね。規模もすごいですし。それから気付いたキーワードが「全世代」「家族」。それから「余暇」ってキーワードも使われていましたよね。余暇としてスポーツをどう使うかというのは面白い視点ですよね。それから情報・人をマッチングする場にサッカーを使っているというのはとても勉強になりました。

 それから長谷川さんからは我々のチームがホームレス・ワールドカップからダイバーシティカップというものにしていったんですけれども、我々自身、日本社会自身が抱えている問題は日々変わっているので、ダイバーシティというものを模索しながら、日々進まんとしているという話だったかと思います。

私の感想はここまでで、では、パネルのテーマの一つ、「スポーツの可能性」について議論したいと思います。いろんな可能性があるんじゃないかと。その観点から皆さんにお話しを伺えればと思います。まずはレイチェルさんから。

テーマ①スポーツの可能性について

必ずしもサッカーでなくてもいい。その地域の特性を生かした、スポーツの活用

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レイチェル:
ダイバーシティということを考えるにあたって、いろんな働きかけ方が考えられるのではないかと。どういう人たちにどういうアプローチが求められているのかということが大事になってくる。アートだったり、お母さまが子供と一緒にだったりとか、いろんな視点があり、いろんな要素を包括的に横軸で見れるのがスポーツの良さではないかと思います。

日本におけるサッカー文化は南米やヨーロッパに比べると浸透していないかもしれません。ただ、スポーツの可能性について私の経験でいうと、インドではクリケットがすごく盛んで、クリケットを使うという方法もあり得るのではないか。その地域にすでに根付いているものを使ったアクションもアプローチもあると思うし、それは広い意味でのスポーツの可能性といえるのではないかと考えています。本当に世の中ではいろんな取り組みがあり、スケートボードだったり、バレーボールだったり。何か政治的メッセージを伝えるためのマラソン大会があったり。それぞれが多くの社会問題を抱える中で、スポーツを通じて活動していくということが大事だと思います。

蛭間:ありがとうございます。同じ問いで、日比野さんお願いします。

人を集め、豊かな副産物を生むスポーツ

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写真(横関一浩):アーティスト、日本サッカー協会社会貢献委員会・委員長の日比野克彦氏

日比野:スポーツというと競技。例えばオリンピックとワールドカップの話をさせてもらいます。オリンピックではいろんな種目があって、一都市が招致するけど、ワールドカップはサッカー1つの競技で国が招致する。オリンピックの企画を作った人はすごいなと思うんですよね。オリンピックの企画書って「一つの競技が一つの街に集まる。」本当に20文字くらいなんですよね。でもそれでも集まれるのは、ルールがしっかりあるから。「みんな、集まれ~」って言っても「どのみんな?」ってなっちゃう。サッカーやってる人集まって、バレーボールやってる人集まって、って。スポーツのいいところは、ルールがあるところ。ホームレス・ワールドカップも独自のルールがある。そして同じルールだから、差が出てくる。違いがあるからその地域らしさが生まれる。国民性や地域性。そして特性が見えてくる。ルールから差が見える。サッカー大会を通じて、例えばホームレスの人が集まるんじゃなくて、サッカーチームが集まる、その結果背景にある情報共有ができたりすることが副産物になる。スポーツって人を集めやすくて、それが目的になるんじゃなくて、それが副産物というのがいいなと。より表面的じゃない、腹を割った話ができたり。いろいろなものをつないでくれる役割がスポーツの可能性としてあるんじゃないのかなと。

同じルールだから、属性が無効化される

蛭間:ルールというところでいうと、ホームレス・ワールドカップは独特なルールがあってかなり攻撃側に有利なルールなんです。野武士の練習もいろいろルールを変えて実験しているんですけど、例えば「走っちゃいけない」とか「目つぶってみよう」とか。ルールが変わると、活躍する人が変わる。ルールはある意味その社会をとらえる軸というか価値観で、それはいっぱいあった方がいいなっていうのは実感しているんですよね。その中でも私の気付きとしては、そこから生まれてくる差は優劣ではなく個性なんですよね、その人、そのチームの。そういう捉え方やアジェンダ設定ができるような取り組みをダイバーシティカップとしてやりたいなと思っています。

糸数:スポーツの可能性についてですね。
まず、レイチェルさんが言っていたように、「地域性」という点で、沖縄という土地柄では「フットサル」が最適だったんです。沖縄は、女子サッカー人口が日本で3番目、九州では一番多い地域です。それにもかかわらず高校卒業後のエンジョイ大会やチームという受け皿がなかった。そういう意味では潜在的にニーズがあるような気がしたんです。私たちは「土着性」という観点から、気候、ニーズ、ターゲットにマッチしたものを探した結果、フットサルになったんですけど、沖縄で屋外スポーツを採用すると、お母さんたち日焼け嫌がるし、子ども熱中症なるし、絶対来ない!(笑)そうなると、屋内でできること、それから道具も少ない方がいい、そして何よりルールは分かりやすい方がいいし、声をかけて集めるメンバー数は少ない方がいい、女性を集めるならおしゃれの方がいいし…。そういったことを考えて、私たちが考えているターゲットに対してどういった種目がいいのか、そして沖縄という立地・気候を考えたときに何が有効なのかと考えていった結果、フットサルが一番都合がよかったんです。

次に、ルールが決まっているというのは本当にいいなと思っていて。ゲーム中は、その人の属性が無効化されフラットになる。私が大学院卒とか、あの人社長だよねっていうのはピッチの中では関係ない。チームの中にいてくれて、その人の人柄とかチームへの貢献とか居心地のよさみたいなことの方が大事だったりする。そして、ルールが設定されていることで、個人の努力が目に見えてわかるし、個人の頑張りに対して声掛けをしてあげられる要素がすごく大きい。エンパワメントされるし、「ここにまた来たいな」という気持ちを可視化できる。そういった場を作っていきたいなと。誰でも参加しやすい、みんなを包摂するというところに可能性を感じています。

蛭間:ありがとうございます。次は長谷川さん。皆さんがおっしゃるように、サッカーと社会の関係って、それをとらえる私たち側の問題なんだなと思います。この点については長谷川さんが一番考えていると思います。「ダイバーシティ」というのが我々に対してどういう意味があるのかというところもお話ししてもらえればと思います。

テーマ②スポーツが持つ、社会的な意味・意義

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チャレンジも失敗も許容されるスポーツの場

長谷川:スポーツの重要なところは、チャレンジと失敗ができるというところだと思います。私自身、うつ病を患っていたときがあって、日常生活で何かチャレンジするとか、人と話すとか、一つ一つが怖いんです。その時にスポーツの場においては、シュートを外しても、「ナイスシュー!よくやった!」という声をかけてもらったり、たまたま立っていた場所が良くてパス取れちゃったとか。チャレンジも失敗も許容される。その人の人生が否定されるわけではなく、プレイが評価されるというのがすごく魅力的なことなのではないかなと思っています。

「なんでホームレスの人がサッカーするの?」:その価値を許容し、応援できる社会へ

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写真(横関一浩):第二部パネルトーク

一方で、スポーツは人を排除するものだとも思っています。私は運動神経が悪いので、学校の体育とかで跳び箱なんかして、みんなと同じ尺度で図られると、圧倒的に五段階評価の1とか2なわけですよ。100メートルだったら…とか数字になるから、結果だけ見ちゃうとすごく怖いし、スポーツには人を排除する側面もある。なので、結果だけじゃなくてプロセスを見ることがとても大事だと思っています。例えば練習に来なかった人が来るようになるとか、今まではシュートできない、パスを求めることすらできなかった人が声を出せるようになるとか、そうした意味を今スポーツ界に関わっている人、メディア、市民側が理解しないと、スポーツが文化として根付くということはいつまで経っても難しいんだろうなと思っています。

例えば、ホームレス・ワールドカップでメキシコチームの母数は3万人なんです。3万人から8人を選ぶ国内大会があって、こないだのホームレス・ワールドカップは男女ともにメキシコチームが優勝しました。それは単純にホームレスの数が多いから優勝したということではなく、ホームレスサッカーやスポーツの場を応援してくれる企業などの存在がすごく大きいのではないかなと思うんです。同時にメキシコは、いわゆるサッカーのワールドカップでも強くなっています。一方、日本はワールドカップに出る手前のアジアでの戦いでも苦戦しています。大丈夫かな?と正直思っています。サッカーが文化として根付くというのは、ただ母数が増えるだけじゃなくて、それを応援してくれる人の許容度が上がることなのではないかと思っています。

今は、まだ「なんでホームレスの人がサッカーするの?」とか「ひきこもりの人がサッカーしているの?それなら就職活動とかしなさいよ」っていう声もありますが、サッカーをすることでコミュニティを持てて、お互いが切磋琢磨できる場があることが大事なのではないかと思っています。今日、うちの野武士チームのキャプテンが来ていますけど、キャプテンすごいんですよ。60歳越えて、ホームレスを抜け出して、内幸町の建築現場で働いてるんです。以前は路上生活をしていて、それを脱して、仕事について、今何の社会保障も受けずに暮らしている。キャプテンの頑張りは、他の選手にもボランティアの人にとっても本当に刺激になりますよね。 スポーツの可能性について一言では語れませんが、私が気づいていない無限の数の可能性があると思います。 

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蛭間:長谷川さんがお話してくれたように、我々の活動でも色々な喜怒哀楽のストーリーがあります。私もいろんな人たちに「なんでホームレスの人がサッカーしているの?」っていう質問を100%受けます。じゃあ「ホームレスの人たちはサッカーしたらいけないの?」って聞きたくなっちゃうんです。一般の社会からするとそういうとらえ方なんですよね。かくいう私も昔はそうでした。今は、いろんな人たちの活動を許容しないと社会をミスリードすると最近強く認識しています。

レイチェルさん、長谷川さんの意見に対して、いかがですか?

Football is cheap and rich.:手軽であり、かつ豊かさを持つサッカー

レイチェル:長谷川さんの話のように、結果ではなく過程を見ること大事だと思います。一流のサッカー選手、コーチに話を聞いたとしても、継続性や目標を設定するということは大切であると答えるでしょう。そういう意味でスポーツの価値があるのではないかと。サッカーというのは、割と安く、ボール1つでゲームが成立します。でもサッカーである必要もなくて、ダンスや音楽など他のスポーツの選択肢が増えても良いと思います。ただ、現状としてはホームレス・ワールドカップファウンデーションとしては、サッカーのすそ野の広さや、参加者・社会の変化など一定の成果を上げているので、サッカーを採用しています。

蛭間:ありがとうございます。では日比野さんや糸数さんにお聞きしたいんですが、サッカーを社会との関係性で捉えた時にどのような解釈があるのか。あるいは、意味を与えるのか。我々もどこまでがスポーツか、文化か、ということはわかっていなくて、そういった観点からそれぞれの活動についてお話しいただければと思います。

プロでもアマでも、子どもでも、同じように「感動」する:感情・感動を共有するスポーツの力

日比野:先ほどの映像で、ホームレス・ワールドカップの様子を見たときに、スタンドがあって、タッチラインがなくて壁のあるコートで、あの形式でスタンドがちゃんと囲われているというのがいいなと。あれができればさっきの段ボールの僕の大会でもそうだけど、開会式もちゃんとやる。選手宣誓をして、星取表をつくって、表彰をする。そのフレームがあるから、感動できる。人間って、負けたら悔しい、ある意味動物的な戦いに対して感動するっていうのがあると思っていて、それがスポーツの面白さですよね。身体的にも視覚的にわかりやすい。美術でも感動するんだけど、名画の前で「イェーイ!」っていう人あまりいないよね。ピカソの前で「うぇ~い!」っていう人もいないですよね。岡本太郎くらいかな(笑)まぁクラシックでとかライブとかで、感動することはあるんだけど、スポーツが一番感動して、プロでもアマチュアでも、子どものサッカー大会でも、一流のワールドカップでも、同じように感動があります。開会式・試合・表彰・閉会式というちゃんとしたフレームによってみんなで感動を共有できる、それがスポーツの大きな意味のあるところで、それを共有できるという意味では、美術よりも音楽よりもスポーツが優れているのかなと。感動するっていうのが一番共有しやすい表現方法として、スポーツは社会的に大きな意味があるし、そこにみんなが共有できるからこそ、支援団体がくる、支援企業がくる、メディアがくる、そうやっていろんなところに派生していって、経済効果であるとか外交の一つのツールになるのかなぁと。

蛭間:同じ問いを糸数さんお願いします。

「貧困なら、サッカーしてる暇なんてないんじゃないの?」:だからこそ「余暇」にこだわって活動する

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写真(横関一浩):第二部パネルトーク


糸数:先ほどの「どうしてホームレスがサッカーを?」という話がありましたが、それに関連したお話しをしたいと思います。

2012年に大会のスポンサー回りをしていたときに「沖縄に貧困ってあるの?路上に寝ている人、どれだけいるの?」というような反応をもらうことがしばしばありました。沖縄の平均所得が日本で一番低いということは、よく知られており、当時すでにメディアでは格差問題や若者の困難についても取り上げられていて、のちに貧困問題へとシフトしていく大きな社会課題の兆しであることは示されていました。それでもそういった認識でした。

ただ、2016年になって今「子どもの貧困」がホットな話題になっていて、連日のように子供の貧困がメディアに取り上げられる状態です。そこで最近スポンサーの新規開拓をしていると、「沖縄の貧困ってすごいらしいね」という反応が返ってくるようになりました。同時に、「そんなに困っているんだったら、こんなサッカーなんてしている暇ないんじゃないの?」と言われるんです。それはホームレスの人への言葉ともつながるんですけど、私たちがスポーツを使うもう一つ大きな理由は、「余暇の時間をどう使うの?」というところにあって。確かに、格差を乗り越えるためには、その原因に対してアプローチしないといけません。先ほど申し上げたようにスポーツはコートの中では個人の属性を無効化します。その一方で、コートの外では、子どもたちの体力、学力が家庭階層によって差があるということが明らかになっています。このような課題に対してアプローチすることは別方向で必要なのですが、他方でいろんな活動に言えることですが、直接的な阻害要因を取り払ってしまえばスポーツや学習や進路決定ができるのかというと、きっとそれだけでは不十分だと考えています。

「そんなことしている暇あったら…」って言っている人が支援する側に存在している以上、当事者はそれ以外の活動ができない。そうした余裕のない状態で、自分自身を追い詰め、ギリギリの選択を迫り、失敗したら自己責任となじられる。そういった環境を変えていくために、社会的な意味・意義として、スポーツの持っている特性を活かして社会的包摂への可能性を探るべく、私たちは余暇にこだわって活動をしています。

蛭間:ありがとうございます。やっぱり沖縄行くしかないですね!それでは残りの時間で会場からの質疑応答をしたいと思います。

質疑応答

質問1:
スポーツが持つ社会的な意味・意義について、メリットを中心にお話ししてもらったのですが、現実そんなに甘くないと思うんですけど。
デメリットもあると思っていて、そこを解決しないといけないのではないか。スポーツの欠点を挙げてもらえたらと思います。
長谷川:一つは、先ほども言ったようにスポーツは競技性を持っているので、評価の仕方を間違えると排除が生まれるものになる、傷つけてしまうことになる。そして同時に、ビッグイシューの販売者がサッカーをするということは、つまりビッグイシューの販売する時間を削って練習に参加するということ。そうするとい1日20冊売っていたところが、少し休みたいとか、ごはんを食べたいということで、生活が大変になることもあるとは思います。でも逆に考えれば、それが楽しみだから2週間頑張れますという人もいると思います。なんの保障もないままやると、「好きでやってるんでしょ」っていう風に言われてしまう。私自身は本音を言えば、サッカーに参加することに対価があってもいいんじゃないかなと思ったりもします。

日比野:スポーツはいろんな人の利益を生んだり、企業に優位になったりするというのは、逆にひっくり返せば、スポーツが手段として使われるという危険性もありますよね。スポーツというものが、穢れなきものだということを背景にして、違うことが動いていたりとか。もっと身近なところでいえば、地域の中でサッカークラブに入ろうとすると、保護者の役割があって、母子家庭だとなかなか参加しにくかったり。そうなってくると、時間的な余裕、裕福な子しかサッカーができないとか。スポーツがあることによって疎外感を受けてしまう、きれいな事ばかりではないですよね。でもすべて完璧なものはないので、どうその都度対応して、社会がどういう答えを出し、対応していくのかというのは、継続して議論すべきですね。
質問2:
糸数さんにご質問ですが、ダイモンカップの取り組みがママさんバレーボールと似ているなと思っていて、1960年代のオリンピックから広がっていったのかなと思ったんですけど、それと食い合うことはありませんでしたか。
糸数:ママさんバレーって今高年齢化しているんですよね。なので、ある程度住み分けができているのかなと。そうした年齢的なこと、あとはバレーボールは競技人口が多いんですよね。私たちがサッカーを選んだ理由として、「めちゃくちゃ上手い人」があんまりいない種目というところも大事で。バレーやバスケはほとんどの学校で部活があるから、「めちゃくちゃうまい人」がごろごろいる可能性が高くて、はじめての人が参加しにくい。でもサッカーだとそういう人はほとんどいない。スポンサーについては、若干の食い合いは存在するかもしれませんが、スポンサーがお金を出す意義、お金を出すメリットは、ちゃんと向こうも考えているんですよね。ちゃんと考えてお金を出しているから「お母さんがスポーツやるからどっちに出す?」っていう食い合いはほとんどないんじゃないかなと思います。それよりも何に共感してお金を出してくれているのかだと思います逆にダイバーシティはどうなのかなっていうのは気になりますね。教えてほしいです。

長谷川:ダイバーシティカップは企業からのお金は一切もらったことがないので、わからないというのが正直なところです。今はクラウドファンディングで一般の方に応援をしてもらっています。第1回で103名、第2回で97名の方に応援してもらいました。なので、大会や活動の趣旨に賛同してもらって共感してもらっているのかなと思います。それが今は市民の方に応援の輪が広がってきているのを感じていて、今後は企業やサッカー協会などにも応援してもらえれば心強いなと思っています。

蛭間:本日のイベントのチラシに趣旨・目的を書かせて頂きましたが、2020年のオリパラに向けて、社会的なムーブメントとしてスポーツとか文化とか、色々と考える時期になると思っています。私たちもその中の一つの活動でしかないんですけど、今日こうやって日本サッカー協会、ダイモンカップの皆様とつながれたことがすごく嬉しく思います。ただ、我々も活動していく中で、「ダイバーシティって何?」ということには答えは出ていないんです。その中で私たちの正義というか、私たちが向いている方向だけを見ていると、ある種「ムラ化」してしまうので、それは避けたいと思っています。世界から、日本国内から、いろんな人たちと連携しながらダイバーシティカップ、そして野武士ジャパンの活動を継続していきたいと思っています。

最後に日比野さん、お願いします。

日比野:ダイバーシティ、多様性ということで、turnというアートプログラムがありまして、オリンピックの文化プログラムのリーディングとして昨年から始めました。きっかけは、多様性ということで知的障害の方のアートが色々とあって、それから障害のあるなしに関わらず、LGBT、高齢者とか、施設にアーティストが滞在しながら、そこの特性を生かして成果物を作っていこうというものなんです。それをこないだサンパウロの障がい者施設で、アーティストが3か月くらい滞在して、その成果物をリオで展示してワークショップをしたりしています。東京でも3日間だけ展示しています。多様性、ダイバーシティをどうやって展開していくかというのもそうですし、そうしたキーワードによって、いろんな人たちの声が聞こえるようになってきたというのは事実。そうした声が聞こえて、社会に届くようになる、そうしたことが大事だよねって認識する社会になっているのかなと。アートの中でもダイバーシティはそういう感じで、シルクロードのように西から東に伝わっていくような伝わり方じゃないと思うんです。世界の各地域、いろんな人の人間性が同時に世界で声をあげるようにある、言葉も超えて、国も超えて。その時にスポーツ、アートがつなぎ役になるのではないかなと思います。ぜひ一緒にできればと思います。

長谷川:本当にアートとスポーツが通じる部分は大きいのかなと思います。今一つやりたいなと思っていることがあて、ダイバーシティカップのカップを作りたいと思っています。大会にはカップが必要で、ダイバーシティカップのカップは今まで普通にネットで注文していたんですけど、それぞれに違いがあっていいんじゃないかと思っていて。今度山谷地域という、いわゆるホームレスの人が多い地域で、「野点(のだて)」という活動でカップを作ろうと思っています。人の手が作るカップでは同じものは絶対にできないので多様性があって良いなと。

皆さん11/3に、みんなで路上でカラオケをしたり、カップを作ったり色々なことをします。スポーツとアートは一見別のものに見えるんですけど、新しい接続を模索していけたらと思っています。

蛭間:ありがとうございます。では、これで第2部のパネルディスカッションを終えたいと思います。会場の皆様、ありがとうございました!







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ビッグイシューは1991年ロンドンで生まれ、日本では2003年9月に創刊したストリートペーパーです。

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