温かい食事と寝床、政治亡命者を受け入れるアムステルダム市民たち



オランダ・アムステルダムの難民キャンプに身を寄せていた政治亡命者たち。彼らに手を差し伸べたのは政府ではなく、オランダの市民たちだった。





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(デ・フルクト教会)






自由に生きる場所もなく、帰る場所もない



オランダ・アムステルダム、オスドロプ地区の難民キャンプには、国籍の異なる122人の人々が、身を寄せながら暮らしていた。彼らは亡命者としてオランダに入国したが、身元が明確でないことを理由に正式な滞在許可が下りず、このキャンプに昨年9月から滞在していた。

国籍は、ソマリア50人、スーダン18人、その他、ケニア、ギニア、コンゴ、マリ、シエラレオネ、エリトリアなど、さまざま。しかし、昨年11月30日、難民キャンプは警察の手によって撤去されるという結末を迎えた。


キャンプを追い出された難民たちは異議を申し立てたため、8時間ほど留置所に拘束された。その後 釈放されたが、警察と揉め合った2名が逮捕されてしまい、現在は刑務所にいるという。釈放された人々は、行く場所がないため、 それぞれが地元の支援者の個人宅に招かれ、暖かい食事と寝床を与えられて、数日間過ごした。


その後すぐに アムステルダムのボス・エン・ローマ地区にある、現在は使用されていない教会を、支援者グループがスクウォット(不法占拠)。難民たちの住みかとなった。




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(スーダンからの難民たち)




オランダでは2010年10月1日から、スクウォット禁止の法律が試行されており、スクウォットは違法行為とされているが、これから冬を迎えるオランダで住居がないのは大変だろうということで、教会の持ち主が2013年3月末までに限定し、滞在を許可するという契約書を特別に作成したのだ。

スクウォットされたアムステルダムの 「デ・フルクト教会」(De Vluchtkerk)で難民たちの食事の準備や身の回りの世話をしているのは、滞在許可書をもつ難民や、彼らを支援したいという一般の人たち、かつて教会の近所に住んでいた人々。現在のところ、炊き出しの食材もすべてボランティアによる持ち寄りで行われている。





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(教会の中の様子)





かつて難民としてオランダに入国し、現在は滞在許可書を持つというスーダン出身のヨーニス(Younis)さんに「デ・フルクト教会」を案内してもらった。ヨーニスさんは、難民たちを支援しているグループのリーダーであり、オランダ語も堪能なので、内と外を繋げ、ネットワークを作る大切な役割を担っている。

—現在の状況を教えて下さい。

ヨーニス:「ここにいる難民120人は3月末まではここに滞在できるので、そのあいだに何とか彼らに滞在許可が出るよう多方面に働きかけています。ここにいる人たちは犯罪者ではなく、亡命を必要とした助けを必要としているだけなのです。オランダの政治家が時々この教会を訪れますが、いわゆるここにきたという既成事実のポーズをとりにやってくるだけで、残念ながら難民たちを助けるための根本的な問題解決をしようとはしないのです」


—この状況に対し、オランダ政府はどういう対応をしているのですか?

ヨーニス:「ここにいる人たちは、身元がはっきりしないということで亡命を拒否されてしまいましたから、「帰国する」と言わない限り政府援助も申請できない状態です。ここのメンバーは政治亡命者がほとんどなので、自国に帰ると、政府に殺害されてしまう運命にあります。ここにいる人々は、自由に生きる場所もなく、帰る場所もないのです」




できるか? 生活の基盤となる時間含めた移民受け入れ




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(モハメドさん)





この教会に暮らしているスーダン出身のモハメド・アリさん(32歳) に話を聞いた。

—祖国スーダンにご家族はいらっしゃいますか?

モハメド:「父は亡くなったのですが、母はまだ健在です。私は政治亡命者なので、祖国に帰ったら殺害されてしまう……。母のことは心配ですが、帰ることはできません」

—現在の状況でオランダにいる心境をお聞かせください。

モハメド:「オランダ政府は私たちを刑務所には入れたくないし、そうかといってここで自由に生きる権利も与えられません。私たちは不法滞在者、違法な者として扱われているのです。EUの国ならどこでも自由に生きる権利があるのだと思ってここに来ましたが、まったく違っていました。この教会にいる人たちは、自分の将来を決めることが出来ないのです。私たちの将来を決めるのは、オランダ政府なのです」




欧州連合(EU)では、2001年9月11日のニューヨーク同時多発テロ事件以降、年々移民の規制を強化し、難民審査において入国管理を厳格化した。

難民申請者の多くはパスポートを持っていないが、正式に身元が確認できない限り、難民申請は受けつけられないという実情を目の当たりにし、モハメドはこう語る。

「この世界に国境や国籍は必要でしょうか? どこの国もオープンにして、各々が持っているものを、国をこえて共有できれば、世界は変わると信じています」




オランダの移民・難民政策は年々排他的になり、世論も厳しさを増している。オランダ内務省の人と移民政策について、話したエピソードを紹介したい。

「移民を受け入れるということは、就労や就学といった社会生活の面だけでなく、眠る場、余暇、祈る場所という、彼らの生活の基盤となる時間も含め、受け入れるということなのです。残念なことにオランダの移民政策は、その部分が完全に抜け落ちています。移民の受け入れにおいて、異なる文化や社会システムに生きる人々との相互理解というのは、現実的にとても難しいものです。ただ、現状で私たちができることは、移民の生き方をできるだけ尊重し、その違いを受け入れるということだけなのです」

「オランダではソフトドラック、安楽死、ゲイ&レズビアンの婚姻が法律上認められていますが、それは、彼らが彼ららしく生きることを尊重し、違いを受け入れようとした試みで、決して相互理解しているわけではないのです。大勢の方々が、オランダの社会システムや移民政策について、関心を持って下さり、あらゆる国から私を訪れて下さいますが、いつも私は『オランダのシステムを決してそのまま受け入れることはしないで下さい』と語ります。

彼らの人生の半分である、生活の基盤となる時間を受け入れることが、私たちはできなかった。この『オランダの失敗』を繰り返すのではなく、そこから何か学んで頂ければと切に願っているのです」

(写真と文 タケトモコ)




デ・フルクト教会(De Vluchtkerk)
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タケトモコ


美術家。アムステルダム在住。現地のストリート・マガジン『Z!』誌とともに、"HOMELESSHOME PROJECT"を企画するなど、あらゆるマイノリティ問題を軸に、衣食住をテーマにした創作活動を展開している。

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