5500人参加、第2回脱原発世界会議 [原発ウォッチ!]

Genpatsu

(2013年1月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 207号より)

5500人参加、第2回脱原発世界会議

脱原発世界会議が昨年12月15、16日に行われ、のべ5500人が参加した。同年1月に横浜で行われた同世界会議に続く2回目となる。この時期に行ったのは、日本政府と国際原子力機関(IAEA)が各国の閣僚と専門家を招いて「原子力安全に関する福島閣僚会議」を福島県郡山市で開催したのに対抗して、市民側からの問題提供のためだ。

現在のIAEAの事務局長は、日本人で外務省出身の天野之弥氏だ。2009年、IAEAの特別理事会での第1回目の投票で、同氏を事務局長にするのに必要な3分の2の信任が得られず、日本側はそうとう苦労した。日本としては原子力輸出に有利になることを狙っての起用だった。しかし彼の足元であり得ないはずの原発事故が起きた。

外務省の発表によれば、玄葉外務大臣(当時)の立ち会いのもと、福島県とIAEAとの間で協力文章を交わした。その内容は、放射線モニタリング、除染、人の健康、緊急事態の準備と対応の各分野で協力していくというものだ。

福島県は復興なくして県行政は成立しないと積極的だ。福島の復興なくして原子力への信頼は取り戻せないと、原子力を進めてきた人たちもきわめて積極的だ。

他方、この陰で苦しんでいる人たちがいる。移転への補助が得られず、高い放射線環境下で暮らすことを余儀なくされている。私たちは特にこの人たちに焦点を当てたかった。さらに、脱原発が私たちの願いであることを、改めて示したかった。

筆者の団体、原子力資料情報室は「原子力を規制する」の分科会を担当した。ドイツ、米国、韓国からゲストを招き、それぞれの国の実情を聞きながら、市民の安全を守るために規制を強化するための方策を探った。

具体的な内容もあるが、何よりも市民が新しく設立された原子力規制委員会の監視をし、規制委員会と対話をもっていくことが重要であることが、みなの一致した意見だった。

会議の他に、東京では日比谷公園でブース展示や集会とデモを行った。日本未来の党の嘉田由紀子代表も衆議院選挙の投票前日で超多忙にもかかわらず、デモに参加してくれた。

郡山市ではIAEAへの抗議の他、脱原発首長会議が開催され、住民の命、健康と権利を最優先に除染などの事業を行うこと、低線量被曝を過小評価しないこと、「原発事故子ども被災者支援法」に基づく被災者の現実に即した施策を行うことなどを要請する宣言文を発表した。

伴 英幸(ばん・ひでゆき)

1951年、三重県生まれ。原子力資料情報室共同代表・事務局長。79年のスリーマイル島原発事故をきっかけとして、脱原発の市民運動などにかかわる。89年脱原発法制定運動の事務局を担当し、90年より原子力資料情報室のスタッフとなる。著書『原子力政策大綱批判』(七つ森書館、2006年)