【連載第1回】危機に強い社会を作るには:エボラ危機とホームレス(岩田太郎)

(2014年12月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 第252号より転載)

エボラ危機とホームレス

米国内でエボラ出血熱の感染が疑われる人を強制隔離することが、人権侵害かどうかをめぐり、議論が続いている。路上生活者にも関係がある問題だ。
 

アフリカで感染したトーマス・ダンカン氏が10月8日、テキサス州ダラスで亡くなった後、治療に当たって二次感染した看護師たちは回復し、彼に接触した43人の観察期間も終了し、同州では終息に向かった。
知られていないのは、その43人の中に、一人のホームレスが含まれていたことだ。
 
その路上生活者、52歳のマイケル・ライブリー氏は9月25日、ダンカン氏が発熱や下痢などの症状を訴え、急患として搬送された救急車に、ダンカン氏が運ばれた直後に乗った。車内には、ダンカン氏の体液が残っていた疑いがあった。
ダンカン氏の感染が確認された後、彼と接触した人は容易に見つかって、強制隔離されたが、ライブリー氏は容態の観察中に、勝手にふらりと病院を抜け出してしまった。
 
パニックに陥ったダラス警察が市内を捜し回り、ようやく10月5日にライブリー氏を病院に強制収容し、裁判所命令で観察下に置いた。その後発病もせず、最終検査が陰性だったので、彼は観察期間が終わった後、釈放された。
強制隔離のやり方は、家のある人にとってもホームレスにとっても同様に犯罪者扱いで苦痛だが、本当の問題はここからだ。
ライブリー氏は、長年の路上生活者であり、救急車で搬送されるほど体調が悪かった。市当局者は「住居を与える」と言明したが、本当だろうか。観察期間が終わって、再び路上に支援のないまま放り出されたのではないか。
 
エボラのような疫病で、路上生活者と一般社会の関係性が明るみに出る。家もなく、医療保険もないまま放置された人たちが、放置し続けた社会への「さまよう感染源」になる恐れがあるのだ。
 
社会は、そうした路上生活者を危険視する。だが本当に危険なのは、彼らを各種制度によって追い詰め、排除して関係性を断ち、修復しない社会だ。すべての人の関係性が回復されない限り、危機に強い社会にはなれないのである。

連載の第二回はこちらより。