オンライン授業に出席するウィーンの小学生(2020年3月25日)。
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「親は自らも不安な状況にあるなかで子どもへの伝え方を考えなくてはならないわけだが、よくないのは子どもたちへの “隠しごと” 」というのが、多くの専門家たち(児童心理学者、心的外傷や再起力の研究者、ユニセフ関係者など)の意見だ。
とはいえ、親としては子どもたちを恐怖や不安から守るべきなのでは? 色々なことが不確かな状況の中で子どもたちの「無邪気さ」が失われてしまうのではないか、そう懸念する親もいるかもしれない。
「子どもの成長」が研究テーマである筆者は、“子どもは無邪気であるべき” という社会通念が北米の社会慣習にどう影響しているかを調べている。“子どもは不安や苦労を知らなくていい” とされがちな中では、パンデミック(感染症の世界的流行)の現実を子どもにどこまで話すべきか不安に思う親もいるだろう。
そこに、子どもには勉強、運動、遊びの機会をたっぷり与えるべきとの社会的プレッシャーも加わる。子どもたちを悲しみ、恐怖、絶望から守り抜き、無邪気かつおとぎ話のような子ども時代を用意してあげなければと感じる親も少なくないかもしれない。
xusenru/pixabay
「無邪気な子ども」は一部の特権階級にしか許されない誤った社会通念
「無邪気な子ども時代」という考えは、ジャン=ジャック・ルソー(1712-78)など近世の哲学者らの思想から大きな影響を受けて、近代になってつくられたもの。しかしルソーたちの考えというのは、白人・中産階級・ヨーロッパ中心主義・異性愛者たちによる男性支配的世界観に根ざしたもので、特権階級以外の人々の現実は考慮されていない。
1833年出版『The Gallery Of Portraits With Memoirs Encyclopedia』に掲載されたジャン=ジャック・ルソーの肖像画 (Shutterstock)
そのため、社会の片隅に追いやられてきた子どもたちが経験する “困難な生活” はあたかも“異常なもの(abnormal)” として扱われ、 “未熟(inexperience)で世間知らず” な子どもたちの権利を考えることこそが重要と考えられた。「子どもは無邪気であるべき」という考えは、当時も今も、恵まれた人々の間でしか通用しない、誤った社会通念にすぎない。
子どもというのは、時期や程度の差はあれど、悲しみ/苦しさ/恐ろしさ/失望を感じたことがある。病気や天災、貧困、ホームレス状態、難民状態、トラウマなどを経験、あるいは人種差別を受けてきた黒人や先住民の子どもたちにとっては、今回のパンデミックは初めて体験する “逆境” ではない。いくつもの “弱さ” や“生きづらさ”を併せ持つ子どもたちはなおさらだ。
年齢に関係なくすべての人が社会的孤立・病気・死という現実に向き合わざるを得ない新型コロナウイルスの危機だが、もしかすると「無邪気であることが子ども時代の普遍的理想」とする西洋的思想を考え直すチャンスにもなるのではないか。子どもが持つ権利や潜在能力について、もっとオープンに議論できる場をつくっていくこともできるのではないだろうか。
パンデミックがあらためて突きつける格差の問題
と同時に、困難は万人に平等に降りかかるわけではない、ということも実感させられる。ソーシャルディスタンスを実践するため慣れない在宅勤務でストレスを感じている家庭も多いだろうが、それよりはるかに厳しい現実を突きつけられているのは、医療の最前線や、“生活に欠かせない” サービスに従事する人たち、すでに仕事を解雇された人たち、それからホームレス状態にあってシェルター(緊急一時宿泊施設)などで生活している人たちなのだから。
こうした「格差」は危機的状況の中でより鮮明になるが、何も今に始まったことではない。世界のどこでも、子どもたちは「格差」に起因する何らかの差別を日々味わっている。子どもの無邪気さを守ろうとするばかりに逆境から遠ざけてしまうと、困難な経験やそれに伴って湧き起こる複雑な感情を抑えつけることになる。さらには、世の中の “不当な扱い” に知らん顔することを教え込む危険性だってある。
子どもは疑問や不安に向き合ってもらう権利がある
このような不透明な時代、子どもたちの健康・幸福を案じるのは当然のこと。しかし子どもたちの「人権」を守り抜くというなら、子どもたちが抱く疑問や不安、潜在能力に真剣に向き合う必要がある。
世界的リーダーの中に、この考えを実践している者がいる。ノルウェーのエルナ・ソルベルグ首相は、新型コロナウイルスに関する「子ども向け記者会見」を開いた*。
*3月16日、ソルベルグ首相は子どもたちから寄せられた質問に答えるためだけの記者会見を開催。「怖いと思って当然です」と語りかけた。
‘It’s OK to be scared,’ Norway PM says at kids-only coronavirus briefing
カナダのジャスティン・トルドー首相は、8歳の少年から届いた手書きの手紙にTwitter で返事を投稿。さらに会見の中で子どもたちに語りかけ、恐い、不安、失望といった気持ちになることは当然だと共感を示し、”ソーシャルディスタンス” への協力に感謝の思いを伝えた。さらにカナダ連邦政府として非営利組織「Kids Help Phone」に750万カナダドル(約5億8千万円)の支援も発表、休校措置による子どもたちへのメンタル支援を充実させる狙いだ。
子どもたちの痛烈で切実な言葉が語るもの
こうした取り組みは「児童の権利に関する条約(United Nations Convention on the Rights of the Child)*」の理念に沿うものでもある。同条約には、“意見を述べることは子どもたちの根本的権利であり、大人たちはその意見に耳を傾け、真剣に取り合う必要がある” (第12条)、“子どもには物事を知り、それについての思いを共有する権利がある”(第13条)と定められている。
2019年には、条約発効から30周年を記念して「The Republic of Childhood*」がカナダの首都オタワで開催された。171人もの若き物書きたちが集い、彼ら彼女らが日々直面している課題(気候変動、健康や幸福、アイデンティティなど)について考えを共有し合う場となった。
*初回は2017年、「世界子どもの日」である11月20日に開催された。子どもの書いて表現する力をサポートすることが狙い。The Republic Childhood
一人の若者が書いた一節を紹介しよう。
幼いままでいろ 何も言うな 子どもらしくしろ
僕らはこんな風に言われてきた。おまえは幼すぎる、大人になれば分かる
僕らの意見は取るに足らないと。でも僕らにだって意見がある。
若き作家たちが綴った心を打つ切実な言葉の数々から、子どもたちに自己表現する機会を与えること、子どもたちの意見にしっかり耳を傾けることの大切さをまざまざと見せつけられることとなった。
新型コロナウイルス感染症に関しては、子どもも大人と同じように感染拡大を抑える役割を担っている。恐ろしく大変な時期ではあるが、“子どもは無邪気” という通念にしがみついていても、事態解決にはつながらない。
パラグアイ政府は新型コロナウイルス感染抑止のため外出制限措置を発令。首都アスンシオンにて、 「子どもたちの食べ物がないので私は外出します」と書いたダンボールを貼り、再利用できるごみを集めてまわる女性(2020年3月23日)
AP Photo/Jorge Saenz
大人たちはこの機会を逆手に取り、他者を思いやるお手本を子どもたちに示し、世の中の「特権」や「格差」といったものにもしっかり目を向け話題にし、それぞれが果たすべき社会的責任を実践する場にしていくこともできるはずだ。
※ こちらは『The Conversation』の元記事(2020年4月7日掲載)を著者の承諾のもとに翻訳・転載しています。
Julie Garlen Associate Professor, Childhood and Youth Studies, Carleton University
参考)新型コロナウイルスについて子どもへの話し方について解説(英語)
How to Talk to Kids About the Coronavirus by Child Mind Institute
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