運動施設への投資で10倍のリターン!? 医療費削減、経済活性化などの効果

 史上最大の予算を計上したと言われる東京オリンピックだったが、国民がひろく得られるリターンで考えると、同じスポーツ関連予算でも、より効果の持続性が高く、意義深い投資先があるようだ。国民の「スポーツをする権利」を守ることは、人々の健康を増進し、外出や社交の機会を提供することとなり、市民・公共への投資としても大きな価値がある。ヨーロッパの動向について、ギリシャのストリート誌『Shedia』がレポートした。


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フィンランドは年間7億ユーロの投資

水曜の午後、ヘルシンキ大学内のフィンランド気象研究所に勤めるミカ・ヘイスカネンは、いつものように大学の裏手にある体育館にて同僚たちとフットサルを楽しんだ。料金は無料。印刷所だった建物をリノベーションして2000年に整備されたこの体育館、総面積は1万2600平方メートルに及ぶ。

「フィンランドにはこのような施設が約3万箇所あり、住民1人あたりの運動施設数は世界最多なんです*1」とヘイスカネンは話す。「うち70%は自治体の所有ですが、民間のスポーツクラブも一般向けに施設を開放するよう義務付けられています。自治体から補助金を受けて、あらゆる年齢層の利用登録を可能にし、各年代に合わせたスポーツプログラムを提供する。70年代に制定された法律によって、すべての地域に運動施設を確保することが定められているため、すべての人がニーズに合わせて身体を動かせるんです」

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フィンランドでは、成人の90%が週に2回以上、50%が週に4回以上運動し、20%がスポーツクラブに加入している*2。ただ、これを実現するために、自治体は、運動施設の建設および維持に、毎年7億ユーロ(約930億円)を費やしている。

*1 日本は人口1.2億人に対し、約6万の運動施設がある。フィンランドの人口は約551万人なので、1人あたりの運動施設の数は、日本の10倍弱だ。参照:文科省の資料
 *2 日本のスポーツ競技人口 参照:https://www.ssf.or.jp/thinktank/sports_life/data/index.html

Sports for Everyone ―スポーツの民主化ーのさまざまな取り組み

しかし実際のところ「Sports for Everyone (すべての人がスポーツを行えるようにする)」の公共投資は割りに合うものなのだろうか? オーストラリアのスポーツ省が発表した2018年度調査によると、州が地域の運動施設に投じた年間10億ドルに対して162億ドルの見返りがあったという。運動することで人々の生産性が向上して経済が活性化、心身の健康改善により医療費が減少したとある。

ヘイスカネンは、フィンランドの「スポーツの民主化」がもたらした功績について「ほとんどの職場や工場に運動施設が併設され、ロッカールームやシャワー・サウナも完備されています。これは、従業員団体と労働組合の合意による取り組みです。また、従業員の運動を促す企業への減税措置も実施されています」と説明した。

隣国スウェーデンでも80年代以降、大多数の企業が従業員の運動促進目的で、1人あたり年間500ユーロ程度の資金を投じている。伝説のテニス選手、ビヨン・ボルグが所有する衣料品会社でも、2年前から従業員に週に一度の運動を義務付けている。

ヨーロッパの他の国々でも、同様の活動が進められている。ベルギーのフランドル地域では、自治体の社会事業予算の5分の1を地域の運動施設の開発に充てることを義務付けている。北アイルランドでは、住民の自宅から20分以内の場所に運動施設を整備する目標を掲げている。フランスでは、2020年に制定された「スポーツと社会法」により、すべての自治体に対し、すべての住民のニーズに合わせたトレーニングプログラムの開発を義務付けている。

アイスランドの首都レイキャビクでは、子どもに3万5千アイスランド・クローナ(約3万円)分のレクリエーションカードを配布し、スポーツ活動を推進している。レイキャビク大学の心理学博士グンター・ジョンソンは、「この取り組みが始まったのは1992年です。14〜16歳の25%が喫煙し、40%が飲酒していたという調査結果を受け、運動施設の整備が進められてきました。その結果、スポーツ活動に週4回以上参加している15〜16歳の割合が、1997年の24%から2012年には42%まで増え、アルコール摂取率も5%まで減りました」

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Michal Jarmoluk/Pixabay

英国教育省も、生徒たちに放課後1時間の校内の運動施設利用を奨励しつつ、放課後は市民にも体育館を開放することを定めている*3。


*3 公共機関スポーツ・イングランドでは、コロナ終息後、学校施設の市民向け開放事業に約1千万ポンド(約15億円)の投資を発表。参照:New funding to help schools open their sports facilities(2021年2月)

金融危機以降、国家予算の削減が響くギリシャ。
自治体レベルの前向きな取り組み

あいにくギリシャの状況は、ヨーロッパ各国で見られるこのような動きに逆行している。「1983年に、国民の運動を促す施策として、学校の運動施設や体育館を放課後に地方自治体に貸し出すことが義務化されましたが、現在はもう実施されていません」とアテネ大学体育スポーツ科学部のニキタス・ニキタラス准教授は話す。「施設はあっても、活用されていないのです。大規模な運動促進プログラムも縮小され、実施している自治体はごくわずかです」

「金融危機以前は、地方自治体のプログラムに、体育の専門家が約1万人規模で雇用されていましたが、今では3000人以下に減っています。無駄な出費だ、というのが政府の言い分で、こうしたプログラムが人々の健康を支え、薬物消費も減らせるといったメリットが考慮されていません。運動習慣をつける上で重要な体育の授業も、高校3年生で週に1時間のみと、運動する機会自体が削られています」

学校の運動施設が十分に活用されていないことに加え、そもそもの施設が足りていない問題もある。「全国で体育館がある学校は、小学校の6.8%、中学校・高校の22%です。小学生の77%が運動不足で、この10年間で肥満が20%も増加しています」と体育教師のニキタス・パパパンテリスが言う。

「全市民向けの運動・スポーツプログラムも、最初の10年間は高い参加率を誇っていましたが、国家予算の削減、人々の消費パターンの変化、政治上の無関心といった要因が重なり、参加率は低下していきました」ペロポネソス大学のスポーツ社会学教授パンテリス・コンスタンティナコスも同じような事態を指摘する。

とはいえ、ギリシャの一部地域では前向きな取り組みも見られる。コルデリオス・エヴォスモス自治体では、「スポーツをすべての人に」を掲げた施策で、住民の運動習慣を促している。「約3500人の住民が、わずかな実費だけで、8つの競技場や体育館で200種類以上のスポーツプログラムに参加しています。未就学児向けの音楽運動教育やバレエから、成人・高齢者向けの体操、ピラティス、エアロビクス、ヨガまで、さまざまなプログラムが用意されています」と、施設の管理責任者を務めるパナギオタ・バラスカは語る。

「慢性疾患のある人のために、有酸素運動能力、筋力、柔軟性の向上を目的とした個別のトレーニングメニューも用意しています。住民はバスケットボールコート9面、テニスコート2面、サッカー場5面の計16の屋外運動施設、ならびに再開発されたトリツィ公園を無料で使えます。この公園には、3つの屋外ジムやハイキングコースが整備されています」

おかげで、運動に消極的だった人たちが積極的にからだを動かすようになった、とバラスカは言う。「これまで運動に興味のなかった女性が、スニーカーを履いてスーパーに買い物に行くついでに、公園で散歩や運動をしている姿をよく見かけます」。運動施設のそばを革靴で歩いていたお年寄りが、運動する人たちの姿を見るうち、自分もその一員になって運動を始めた姿が印象的だったという。「スポーツに対する考え方が変わった住民がたくさんいます。公園を使っている人を対象に行った調査では、34.3%がほぼ毎日、41.4%が週に3〜5回運動していることがわかりました」

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Stan Petersen/Pixabay

ニカイア・レンティ自治体でも、すべての年齢層向けに400以上のスポーツプログラムを少額または無料で提供し、“スポーツの民主化”を実現させている。「国のスポーツ局が負担しているのは、全プログラムの4分の1のトレーナーの給与の半分のみで、残りはすべて自治体負担です」と、スポーツ娯楽プログラム管理者のステファノス・オッカスは話す。「幼稚園児を対象とした『公園で遊ぼう』プログラムでは、市内の公園でからだを動かすいろんなゲームを行い、運動習慣をつけるとともに、環境への意識を育むことを目指しています。放課後には、小学校の校庭や体育館を開放し、地域の子どもたちが、体操、サッカー、ハンドボールなど、いろんなスポーツに挑戦できます。運動クラブに入る経済的余裕がない家庭の子どもたちも、自分はどんなスポーツが好きかを気軽に試せます。子ども向けの陸上教室もあります」

オッカスが誇らしく思っているのは、アギオス・フィリッポスの丘で行われている大人向けの『一緒に歩こう、一緒に運動しよう』プログラムだ。「50分ほどハイキングをしてから、筋肉を鍛えたり、柔軟性を高めるエクササイズを行います」。「文化遺産や植物園を訪ねるハイキングツアーも実施しています。 おかげで、ひきこもりがちだった人たちが家の外に出て、人と話すきっかけとなっています。抗うつ剤の服用をやめられた人、糖尿病や高血圧の薬を減らせた人もいるんです。失職中だった人が、ここでの出会いから仕事を見つけられたという話も聞きました」

ランナーやハイカーたちのスポーツクラブ「ファエトン」は、地域に根ざすべきスポーツが競争重視になり過ぎていることへの危機意識から2004年に誕生した。タイムを気にするあまり、運動能力を高める違法な薬物に手を出すなどの弊害が見られたのだ。クラブの責任者キモン・アポストロプロスはこう語る。「重要なのは、人間関係の構築や、友情、走る喜びです。『速く走りたければ1人で、遠くまで走りたければみんなで』が我々のモットーです。一般の人々の目線を大事にしていきたいと思っています」

スポーツとは記録を出す、身体的能力を高めるだけがすべてではない。「運動すると頭がすっきりするなど、心の浄化作用が期待できます。仕事で疲れていても、ちょっとジョギングすると、同じ問題に対して違った見方ができたり、生きやすくもなります」と笑顔で締めくくった。

By Spyros Zonakis
Translation support from Evangelia Batra, Antoniou Eva and Theodoridou Eirini
Courtesy of Shedia / INSP.ngo

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