1996年から1998年の約2年間、新宿には「新宿ダンボール村」と呼ばれる、野宿状態になった人たちの緊急避難所として機能した場所があった。
30年経った今、写真家・迫川尚子さんがそこに住んでいた人と関係を築きながら撮りためた写真と資料を展示、メモや記録とともに当時を振り返るトークイベントが、2026年1月に吉祥寺espace Á L. L.(エスパス・オール)で開催された。

国を支えてきた日雇い労働者がバブル崩壊で行き場をなくした
1990年初頭のバブル崩壊により、日本では大量のリストラが行われ、数百万もの人々が同時期に仕事を失った。さらに住まいまでも失い、行き場をなくした日雇い労働者たちは、雨風をしのぐため新宿駅から都庁に向かう通路にダンボールハウスを建てるようになった。それを快く思わなかった東京都がダンボールハウスを撤去しては、また再建される…という攻防がしばらく続いた。そんな中、1996年1月24日早朝、都は強制排除を試みた。
国の成長を支えてきた70歳の心の声
この圧力に当事者・支援者たちが強く抵抗したことはニュースとなった。そのニュースを見て現場に駆け付けた写真家・迫川尚子さんが見たのは、柱に貼られた手書きの訴えだった。

私は70才のとしよりです
32才の時より、都庁の建設や、京王プラザホテル、命綱一本 働いて生きてきました。
亡くなった友も居ます。
その都庁舎の役人が 年を取った働けないホームレスに なぜ西口で生きねばならぬ?前回の事、今回の件、二度、はだかの大将に成りました。
お金で買へぬ 私の身分証書、住民証、保険証、役人が取上げ、役人が追出す。
福祉へ日参し、職安へ行っても受付けずでは?どうして生きていく。西口の仲間とささやかに生きて居るとしよりを死ねと言ふ行政。
戦争で生き残り、皆様に御めいわくかけてた身、此の身お役に立ててくださればうれしく 私の心は此の気持ち一つです
日本人の眞の心、親からもらった一つの命、みんなが幸せになるなら、此の老いぼれの命をつかってくれ
迫川さんはこの文章に強い衝撃を受け、以降約2年間、新宿西口に移転した「新宿ダンボール村」に通い続け、人々と話を交わしながら、写真を撮影し続けた。

村の中で出会った人たちのエピソード
日雇い労働者の多くが建築関係の仕事をしていたからか、ダンボールで作られた“家”は、複数の人が住めるような大きなものや、丈夫な作りになっているものもあった。手先の器用な人たちの中には、自分の家だけでなく仲間の家もつくってあげることもあったという。

強制排除を試みる人たちからは「不法占拠をしているホームレス」と一括りにされがちだったが、本当に、いろんな人がいたという。迫川さんは、一人ひとりの写真を示しながら、細やかなエピソードとともに人となりを紹介していった。
「昨日も来てたよね」と最初に声をかけてくれたのは、コーヒーが好きでグルメ、人懐っこく明るい“スポークスマン”的存在のS藤さん。群馬県出身の当時37歳。どうやら父親は立場のある人間で、思想が合わず家出をしたのだそう。

S藤さんが次に紹介してくれたのは、東北出身で元内装業の45歳、O川さん。足場から落ち、腰を痛めてからホームレス状態に。「まさか自分がダンボールに住むとは思わなかった」と語っていた。3匹の猫を赤ちゃんの頃から大切に育てていた。

同棲してた女性がいなくなり、探し回ったが見つからず、やる気を失った42歳、北海道出身。田舎はあるが、自分が帰るときょうだいの配偶者にも迷惑がかかると言っていた。
北海道出身の40代の男性、自衛隊の経験がある。心臓の病気があり、仕事を辞めた。ダンボールハウス作りの名人、よく人の家まで作ってあげていた。北海道では山や湖の写真を撮ってたそう。

「Rさん」も猫を飼っていた。通行人に「ホームレスのくせに猫なんか買うな」と言われて、「俺はいいんだ。 でもこいつにもちゃんと食べさせてあげたいんだ」と落ち込んでいた。
東北出身の刺青びっしりの元ヤクザ、Nさん。貧しい家の出身だったようで、「今一番思い出すのが小さい頃のこと。すきま風で運ばれてきた雪が、朝になると蚊帳の上に積もっているんだ。 貧乏でさ、親父は早くに死んだ」と語っていた。
無口な40代の女性。両親が不仲で家出した。よくお茶やすいとんをふるまってくれた。
中国語がとても上手なSさん。建設現場で働いてるときに、アジア各国からの同僚と話すうちに中国語を覚えたと言っていた。絵も描いていて、1997年には個展も開催。
このSさんをモデルにして、歌手の寺尾紗穂さんは「アジアの汗」という曲を作ったんです。

2年間、迫川さんが毎日のように通ったダンボール村で交わした、何十人ものとのエピソードが、次から次へと紹介される。そのエピソードのどれもが、様々な背景を持った“村人”たちがそこに生きていたということを実感させてくれる。
そして1998年2月7日、ダンボール村で火災が起きた。この火災で、4人が死亡。このことがきっかけで、ダンボール村の住人たちは“自主解散”を決めた――。

30年ぶりとなった写真展の背景、反応
当時村人たちには、「写真に撮って自分たちがここにいたことをみんなに知らせてくれって言われたので、本当はもっと早くちゃんと本にしたり、展示したりしてまとめなきゃいけなかったんだけど」と迫川さんは、それから約30年経っての写真展となった理由を話した。
「あの火事が起こって、人が亡くなってしまったっていうのがすごくショックで。その当時ダンボール村に関わっていた支援の方たちもみんな、心に傷を負った感じになってしまった。みんなその時のことを深く話すことがなかなかできなくて。
写真としてまとめるのも、なんか見るのもちょっとつらい時期もあって、火事から13年経ってやっと、写真集ができたんです。
その本を出した後に、例えば紀伊國屋書店のギャラリーや、有楽町の外国人記者クラブの最上階レストランで展示させてもらってたり、(迫川さんが副店長を務める)新宿ベルクでも壁で展示をしたりしていました。それから長い間外に出ていなかったのですが、今回、ビッグイシューさんからお声かけていただいて本当に久しぶりに外に出てきました。
今回の写真展については、東京新聞さんと毎日新聞さん、あとTIME OUT Tokyoさんが取材に来てくださったおかげでこうやってたくさんの方に来ていただくことができました。
来場してくださる方は、外国の方が今回とても多いんですが、皆さん“ありがとう”って言ってくださるんですよ。 まさか30年経ってありがとうって言われるとは思いもしなかったので、ちょっと不思議な感じします。本当にありがたいです。」

4月から金沢21世紀美術館ではじまる特別展「路上、お邪魔ですか?」でも、迫川さんの作品が一部展示されます。
開催概要
会期 2026年4月25日(土)~2026年9月6日(日)
会場 金沢21世紀美術館 Google Map
住所 石川県金沢市広坂1-2-1
https://www.artagenda.jp/museum/detail/166
迫川尚子さん プロフィール
新宿ベルク副店長。写真家。種子島生まれ。女子美術短期大学服飾デザイン科、現代写真研究所卒業。テキスタイルデザイン、絵本美術出版の編集を経て、1990年から「BEER & CAFE BERG(ベルク)」の共同経営に参加。商品開発や人事を担当。唎酒師、調理師等の資格を持つ。写真集に『新宿ダンボール村』(DUBOOKS)、『日計り』(新宿書房)がある。森山大道いわく「新宿のヴァージニア・ウルフ」。
