(2013年10月15日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 225号より)

今も生きている牛たち。原発から14キロ、牛を殺処分しない「希望の牧場」



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「経済優先で、命が切り捨てられていいのか。いや、命をつないでいかねばならない。これはベコ屋(畜産家)としての意地だ」

東京電力福島第一原発から14キロの浪江町、旧・警戒区域にある和牛繁殖と肥育のエム牧場・浪江農場(希望の牧場)。国が決めた牛の殺処分に反対し、現在も同農場で「ベコ屋」を続ける農場長の吉沢正巳さんの講演会が、9月14日、福島市のコラッセふくしまで開かれた。

吉沢さんは原発事故後、友人や支援者と非営利一般社団法人「希望の牧場ふくしま」プロジェクトを発足。畜産を継続しながら、見学者の受け入れ、講演会、大学や研究機関による牛の被曝調査への協力などで、今回の原発事故で失われた人々の生活や、さまざまな命の問題を訴えている。9月14日から16日まで、同会場で牧場の写真展も開催された。

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「希望の牧場」は、福島第一原発の排気塔が見える場所に位置しており、2011年3月12日の最初の原発爆発前には、福島県警の通信部隊に災害映像中継基地として場所を提供した。その夕方、県警は「国は情報を隠しているから、牧場にいない方がいい」と言い残して撤退した。吉沢さんは「牛がいるのに牧場を離れられない」と牛とともに牧場に残るなかで、3月14日には3号機の爆発音を2度聞いた。

被災時330頭の牛がいたが、牧場経営の村田淳社長が「全部終わりだ」と話すのを聞き、立っていられないほどの失望感を抱いたという。

間もなくして、「東電が原発から撤退する」と聞き、3月18日から1週間、軽トラックで上京し、東電を訪ね、原発周辺の高線量地域に家畜や人間が食料も水もままならないなかで取り残されている現状を訴えた。

5月、国は地元自治体に対して警戒区域内の家畜の殺処分を指示したが、吉沢さんら牧場関係者は殺処分に同意しなかった。今も13軒の畜産農家が残された牛の肥育を続けている。

「牛たちは被曝して移動も出荷もできず、『売り物ではなくなった。経済的に価値がなくなった』とされている。しかし、牛たちは今も生きている。そして私たちは餌を与えている。原発事故の中で命をどう考えるか。私自身、今までも考えてきたし、今も悩んでいる」と苦悩を語った。

そして「東京では福島で作った電気を使い、福島の犠牲の上で成り立っているのに、何も考えない人が多すぎる。しかし、東京の人と福島の人が一緒にこれからを考え、希望に向かって進んでいきたい。希望の牧場は、『絶望のために生きるのではない。希望のために生きようよ』と思える場所にしていきたい」と訴えた。

(文と写真 藍原寛子)