(仮設住宅の高齢者の様子や「までい」の精神について話す佐野さん)
全村避難の飯舘村、「農家民宿どうげ」経営の佐野ハツノさんは今?—「までい」の精神を支えに、仮設住宅でお年寄り支援
原発事故に伴う放射能汚染の影響で、全村避難になった福島県飯舘村。本誌172号(11/8/1)の特集「全村避難の村で見つけた人々の宝」で、避難直前に農家民宿「までい民宿 どうげ」の前で撮影に応じてくれた佐野ハツノさん。
現在、福島市松川町で、村の依頼で仮設住宅の管理人を務めながら、「こんなことでは負けられない。みんなに笑顔を取り戻したい」と、お年寄りの交流や支援をしている。12年11月30日、福島市内であった「福島を語り学ぶ女性たちの集い」で現在の避難生活の様子を語った。
仮設住宅は、115世帯のうち4割の48世帯が70歳以上の独居高齢者。避難や慣れない生活のストレスで、認知症やうつ状態の高齢者が急増した。
「みんなで助け合って生きていかないと。私たちには『までい』の精神があるから、がんばれる」
佐野さんは班長に毎日ミーティングを開催するよう提案、問題を話し合うようになると状況が改善してきた。全国から寄せられた着物のリメイクや布草履、小物制作も入居高齢者とともにスタート。首都圏の総合デパートや海外での販売会も実現した。
佐野さんは飯舘村に生まれ育ち、8代目の専業農家の夫と結婚。
「飯舘村は貧しくても心が豊かで、『丁寧に』『心根のよい』という意味の『までい』の精神で助け合ってきた。代々『子や孫の世代をよくするため、身を粉にして働こう』と農業を営んできた」
1989年、女性のリーダーを育成する海外研修「若妻の翼」1期生として欧州を視察、刺激を受け、「豊かな暮らしは自分たちの手で築くものだ」と実感した。息子に農業を譲った後、村外の人に飯舘村独自の豊かなスローライフ「までい」な暮らしを体験してもらおうと農家民宿「どうげ」を始めた。それが、昨年の原発事故と全村避難で大きく崩れた。
「私たちまで避難しないといけないのかと思ったとたん、頭の中が真っ白になった。孫に『この母屋も、後ろの山も田んぼもいずれお前のものになるんだよ。いつか村に戻って農業をやってくれな。それまでじいちゃん、ばあちゃんたちが守っていくからな』と言うと、孫は無邪気に『うん、わかったよ』と言ってくれた。その時は涙が止まらなかった」
「までい」の精神を心の支えにしながら、佐野さんは今日も活動を続けている。
(文と写真 藍原寛子)
(2013年1月1日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 206号より)