(2009年7月28日発売、THE BIG ISSUE JAPAN 122号より)
演劇を日常に引きつけ、刺激的なものにしたい。「何も起こらない」日常を緊迫感をもって描く。
岡田利規さんがつくる劇団「チェルフィッチュ」の舞台には、どこかで見知っているような人物が舞台上に次々と登場する。その見おぼえのある言葉と動きが、まるで彼らの日常をのぞきこんでいるような不可思議な感覚を引き起こす。
舞台は東京、20代、しゃべり言葉。超リアル日本語演劇の旗手
舞台上の空間に、若い男女がたたずんでいる。セットもなく、派手な照明も音楽もかからない中、ふたりは淡々と会話を交わしている。5日間滞在したこのラブホテルの支払いのことや、「このホテルを出たらもう会わないだろうね、僕たち」といった何気ない会話を、取りとめもなく。
チェルフィッチュの舞台でつむぎ出される言葉は、普段私たちが交わしているしゃべり言葉に限りなく忠実だ。物語は最初から最後まで、20代の男女が普段使っている言葉で網羅されている。
第49回岸田國士戯曲賞を受賞した『三月の5日間』では、イラク戦争が勃発した2003年3月20日、その頃の5日間を渋谷のラブホテルで過ごした男女の様子を中心に描いている。イラク戦争のニュースが大々的に報道され、デモ行進も行われている渋谷。自分たちとはまるで関係ないもののようにその風景を眺めておもしろがりながら、ホテルでからだをむさぼり、何気ない会話を交わす。
その斬新な表現方法と視点に誰もが驚き、これまでの演劇の概念を完全に突き崩した。チェルフィッチュ主宰の岡田利規さんは「超リアル日本語演劇の旗手」ともいわれ、岡田さんと同年代から、少し下の世代までの言葉で表現することを徹底させている。
「年の離れた人間を描きたいかというと、その欲求が自分の中にはない。その世代ごとの言葉が、方言だっていう意識もあるんです。地域という空間的なばらつきもあるけど、時間的なばらつきもあるじゃないですか。僕たちはある限られた中にいて、生きている世代や地域がある。それは引き受けていこうと。たとえば、僕は横浜で生まれて横浜で育っているから、東京圏の言葉しか知りません。別の地方の言葉を勉強して書いたとして、『それでどの程度のものがつくれるのか?』っていう思いもやっぱりあるんですよね。すると僕の場合、舞台にするのは東京、扱う人間たちも、僕の年代に近くなる。まぁ僕は60歳くらいまでは生きられると思っているんですけど(笑)、そうなったらその年の人のことが描けるでしょうね。いつも特定の地域とか年齢層の人しか描けないことは、ネガティブにとらえられるかもしれない。でもそこを凝視した結果、生まれた普遍性のあるものが、もし獲得できるのだとしたら、おもしろいんじゃないかってね」
今ここへ、目の前にあるもの、自分たちの身体を使ったものでつくる
自分が身を置いている場所に近い人間を観察して描き出す。岡田さんは、自分が過ごしてきた時代に対して、何を感じてきたのだろう。
「僕の感覚が、自分が属している世代を代表しているとは思えない。100パーセント的はずれだっていう自信がある(笑)。多分、どっかで外れていると思うんですよね。僕の中で大きかったのは、小学校の時の高度成長期。今はGDP(国内総生産)といいますけど、僕の子どもの頃はGNP(国民総生産)と呼ばれていて、それが世界第2位という時代だったんですね。でも、そういう右肩上がりのムードは、高校生くらいから少しずつなくなっていって、完全にガレキの野原になった、みたいな気分を、自分は漠然ともっている気がします。だから、子どもの時のメンタリティを、ゼロから書き換えないといけなかった。あと、子どもの頃は『冷戦の時代』でした。『核兵器が何個落ちると地球が滅びる』とか怖がっていたけど、考えてみればある種、安定期だったともいえる。それがずっと続くと思っていたんですよね。『でも、そうではなくなった』。それに対して、自分がリアクションしたという経験があるんじゃないかなと思う」
<後編に続く>