匿名性を描く。ヒーローやヒロインを生みたい欲求がない:岡田利規さんの演劇世界

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 岡田さんが高校・大学生の頃に、バブル景気が終息を迎える。社会に出るまでまだまだ間があるという時にその時代を過ごしたことは、今の岡田さんにとっても重要な意味をもつという。

「もともとは、きらびやかなものへの趣向というのが、僕なりにあったような気がするんです。今みたいな方針で自分がものをつくるようになったきっかけになったのは、たぶん『エヴァンゲリオン』の影響ですね。うん、意外ですよね。そういういわゆるサブカルみたいなもの、それまでは割と嫌いだったのに、すごく惹きつけられた。そして、ものすごくドラスティックに自分を変えられちゃった感じがある。ポジティブな意味での『貧しい表現』というか。自分がそっちを受け入れて、引っ越しをした感覚があります。たとえば言葉にしても、いわゆる綺麗な言葉への志向がなくなった。今自分たちが生活で用いている言葉が綺麗かどうかはわからない、貧しいのかもしれない。けれど、自分たちの言葉を、言葉だけでなく、目の前の身体とか、生活とかを、肯定してものをつくるんだ、という意識になったんですね」

匿名性を描く。ヒーローやヒロインを生みたい欲求がない

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 そうしてリアリティを獲得した岡田さんの作品群は大きな評価を受け、チェルフィッチュは海外でのフェスティバルにも進出を果たしている。劇団員にも「演じる」という衣を脱ぐよう説明し、稽古場のほとんどの時間を使って徹底的に説明する。私たちが普段、どこかで見知っているような人物が舞台上に次々と登場する。おぼえのある言葉と動き。まるで日常をのぞきこんでいるような、不可思議な感覚に陥り、ついつい引き込まれてしまう。

「よくいわれるのは『匿名性』ということ。どこにでもいる、特別じゃない人が出てくる。僕自身がまず、匿名じゃない人、つまりヒーローとかヒロインみたいなものを生み出せる資質をもっていないし、そもそも欲求がない。欲求というのが最大の資質だと思うんですけど、それがない。たとえば人がある強い意志をもっていて、状況を変えるために戦ってみるとか。そういった人を描いたことがない。だから観ている人は、ある種のいら立ちみたいなものを覚えると思うんですよね。別にいいと思うんです。それはあなただってそうでしょ、って。そこで自分と無関係に、さっき言ったようなヒーローみたいなものが出てきて、自分ができないことをやってくれたっていうカタルシスを得ても、そこから何かが生まれるとは、僕は思うことができないんです。スカッと気持ちいい、ということなんだったら、ビールでも飲んでた方がいいでしょ、っていう(笑)」

 とはいえ、「何も起こらない」日常を描いているのに、ある種の緊迫感をもって迫ってくる岡田さんの演劇は、創作感バリバリのアクションやホラーより、よほどインパクトがあり、鬼気迫るものすら感じる。

「演劇と日常って、あまりに無関係なところで、接点のなさゆえに関心をもたれない。だから日常に引きつけることで、演劇を刺激的なものにしていこう、という動きが日本の小劇場で起こっていた頃、僕は演劇を始めているんですよね。だから、その影響を受けて、自分も、普段自分たちが生活している、まったく同じような人間が舞台上にいるということを目指してつくってきました。でも最近は、日常の程度に留まる必要性を徐々に感じなくなってきて、それを増幅してみせるということへの関心もあって。結局、舞台は日常じゃない、という袋小路が、一昨年くらいから僕の中で芽生えてきた」

「特定の方法論をもつことはしない」と言う岡田さんの作品は、これからも変容をとげていくのだろう。きっとゆっくりとさりげなく、空気を吸うような何気なさで。

 (中島さなえ)

Photo:高松英昭(プロフィール写真)

Photos:佐藤暢隆(舞台写真)

おかだ・としき

1973年、横浜生まれ。劇作家・演出家・小説家。97年に「チェルフィッチュ」を結成、横浜を拠点に活動。04年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞受賞。07年2月『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。05年9月、横浜文化賞・文化芸術奨励賞受賞。07年10月神奈川文化賞・スポーツ賞において文化賞未来賞を受賞。