先進国での"貧困"は「単なる経済的な問題」としてではなく、人間関係・社会との関係性が足りないということも含める考え方が進んでいます。
その考え方では、問題は「生きづらさを抱えた人」の側にあるのではなく、排除する側の社会や制度にある、としています。「社会的排除」に対抗する「社会的包摂」の考え方とはどのようなものでしょうか。



今回の講義は「社会的排除」の生まれた歴史やその解決への糸口について、大阪大学人間科学研究科助教の樋口麻里さんの講義をレポートします。

*この講義は、地域の課題解決を担う人材を育成することにより、地域の魅力を高め、地域の未来を創造していくことをめざした「とよなか地域創生塾」の公開講座の5回目です。講義には、樋口さんの博士論文での研究を基にしたものも含まれます。

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皆さんのイメージでは「社会的に排除されている人」「排除されやすい人」として、どのような人が思い浮かぶでしょうか。

講義の参加者からは、「ひきこもりの人」「障害者」「薬物依存症患者」「移民・難民」「ホームレス状態の人」などの声が上がりましたが、そういった人々の共通点とは何で、なぜそういった人たちが排除されやすいのかを考えました。

「社会的排除」が誕生した背景

19世紀にイギリスで貧困がどのような状態かが定義され、その定義に基づいて実数調査が行われました。この際対象となったのは、「絶対的貧困」とよばれる状態です。これは命を維持できるかどうかという状態を意味します。

その後、絶対的貧困に対処しようと、完全雇用を目指す動きが生まれ、また、完全雇用を守るために、社会保険・社会保障の制度が作られていきました。会社の倒産や解雇などで突然仕事を失うことがあっても、復職まではお金を貰える失業保険や、定年後もお金がもらえる年金保険などの仕組みが整っていったのです。この制度は、ヨーロッパを中心に広がっていき、戦後日本でも導入されていきました。ただし、完全雇用の制度は、「男性を完全雇用して、男性自身とその妻である女性、子どもの生活を賄う」ものとして設計されていました。

その制度が浸透し、ヨーロッパや戦後の日本で失業者は減少、人々の生活は豊かになり、貧困の問題は解決していくかのように思えました。ところが1980年代以降、経済・企業がグローバル化されたことによって状況は変わってしまったのです。

経済のグローバル化により、完全雇用が後退。そして生まれた「新しい貧困」

企業はより賃金の安い国に工場を作って、そこで労働者を雇うようになります。結果、ヨーロッパでは完全雇用が後退していきます。それまでは国内で正社員だった人が、アルバイトに置き換えられる、あるいは仕事そのものが無くなる現象が起き、長期間失業する人や不安定な生活を送る人が大量に発生。日本ではそうした現象は、年越し派遣村や非正規労働者のワーキングプアといった形でやや遅れて登場しました。

これまでは男性が完全雇用されることで家庭を経済的に支え、失業や病気などの働けない状況に見舞われても、社会保障制度によって救済されていました。しかし、長期間にわたる失業や雇用の不安定化に見舞われた人々は、完全雇用を前提に設計された社会保障による救済資格を得られません。そして、これらの人たちの状況をよく見ると、かつての貧困とは様子が違う。単に貧しいだけでなく、「社会関係を持っていない」、あるいは「徐々に無くしていく」という特徴があります。これらの人たちが直面している状況を表すために、「社会的排除」という言葉が誕生しました。

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©photo-ac

社会的排除は、「雨風はひとまずしのげて直ちに命の危険があるわけではないけれど、その社会で当然とみなされる生活に必要なものがなく、皆がやるような社会活動や制度に参加できず、社会の周縁に追いやられていく」という状態です。

例えば、お金が足りないことが原因で、大人が結婚式へ参加ができない、学生がスマホを持てないといったことです。結婚式もスマホも、生命の維持に直結するわけではありませんが、人間関係に支障が出たりします。その社会で当然あるいは望ましいとされる社会活動を送ることができない状態を表す言葉として、「相対的剥奪」あるいは「相対的貧困」という言葉が使われていましたが、社会的排除はその考え方を発展させたものです。人々が社会の中心的メンバーとして認められず、様々な社会活動や制度から遠ざけられ、これらに自由に参加できない点により注目しています。

参考書籍:『貧困理論の再検討: 相対的貧困から社会的排除へ』志賀 信夫 (著)/法律文化社 (2016)

「社会的包摂」は「社会的排除」に対する目標

当然とみなされている生活ができないような、社会の周縁、端っこに追いやられてしまう人をどうしたらいいか。それを考える時に使われるのが、「社会的包摂」です。社会的包摂は、平たく言うと、「誰もが社会に必要なメンバーとみなされ、生活できる状態になる」ということを表しています。 このためには貧困と社会関係の両方に対して働きかけます。お金も大事ですが、それだけではなく、失っている社会関係を結び直せるように働きかけることが重視されています。

そしてそのために重要なのが、全ての人が自由に社会参加できるように促すこと。そして、社会参加を自分で決定できることです。強制するのではなくて、行きたい所に行くという社会参加を自分で決定できるように促していくということです。このアプローチは、シティズンシップ・アプローチと言い、とりわけ労働の権利を実質的に保障することが重視されています(志賀信夫2016)。
お金のためにやりたくない仕事を強制されたり、例えば女性というだけで補助的な仕事にしか就けないといったりすることがなく、仕事を自由に自己決定できるということです。労働の権利が建前ではなく、実際に使えるものとして保障されていれば、お金を使って社会的な活動ができるだけではなく、自由に自分の生活を決定していくことができます。

完全雇用で解決しようとした時と違うのは、かつては男性を雇用することによって家族全体の所得を賄うことが目指されていましたが、今は、一人一人が労働を選び生活を自由に自分の意思に基づいて決められることを通して、社会のメンバーとして認められることが強調されています。

「人はみんな自己決定できる」という前提が排除を生む

社会的排除そのものについての研究や排除に対するアプローチの研究は前述のように発展してきました。そして、各種の政策の土台あるいは羅針盤として貢献しています。そうした貢献を踏まえつつも、私は今の考え方では、まだ社会的排除のままで取り残されてしまう人がいると考えています。

-ここからは、樋口さんの博士論文の研究より-

今の社会的包摂の考え方は、自己決定ができることが大切とされていますが、自己決定には、本人が心の中で決めることと、本人が決めたと周りがみなすことの両方が必要です。ところが、社会から排除されている人は、たとえ自己決定をしていたとしても、それを周囲の人が分かる形で伝えるのが難しいことがあります。他者が理解できる形でコミュニケーションを取ることに難しさをもっています。

その人たちは、自分の力だけでは周縁から中心へと戻りにくい状況にいます。すると、サポートする人へ伝わる形で、「私はこうしたい、あそこに行きたい、あの仕事がしたい」と意思表示をしないといけない。とはいえ、誰でも自分のしたいことを他者に伝えられるかというと、なかなか難しいところがあります。

社会は、自分の要求をうまく他者に伝えられない人を、自分で決める力が無いとみなしてしまいやすいのです。現在の社会的包摂は、「自分で決められる人を真ん中に引き寄せていく」という考えです。「自分で決める能力が無い」と周囲にみなされた人は、実際には心の中で決めているかもしれません。しかし、それが伝わらなければ、決めていないとみなされてしまう。その人たちは取り残されてしまいます。その人たちへの排除は正当化されやすくなってしまうのです。

「弱い部分、欠けた部分は誰にでもあるもの」という前提を持つことが重要

では、どうしたらいいのか。「人間のイメージをもう少し広げる」、つまり人間というのは弱い部分があると捉えた方が良いのではないか。弱い部分があることを社会全体で受け入れれば、状況は変わっていくと思います。

弱さとは、例えば、他者やモノに依存したり、あるいは他者にとっては理解し難い考え方・行動をしたり、ストレスが溜まったらつい他者に手を上げてしまうなど。

このように挙げていくと、「誰しもそういう弱い部分はある」と思うのですが、今の社会では、「弱さは無い方がいい、弱さはなるべく他人に見せてはいけない、弱い部分は克服して消していくべきだ、善良な市民の生活を脅かすものだ」とみなされているのではないでしょうか。

でも、誰でもこういう部分はある。例えば、老老介護のような場面で、自分も腰が痛いのに相手の食事の介助や洗濯をしなくてはいけない。誰も助けてくれず、状況に耐えられなくなって、つい相手にひどいことをしてしまう。そういう弱さが状況によっては誰にでもあると認める方が、私たちは、弱い部分を見せている人に対して、寛容になれると思います。

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©photo-ac

逆に、それを隠したり否定したりすると、弱さを見せる人を罰したり、排除されて当然だとみなしてしまう。そうすると結局、皆、実は弱い部分があるので、社会全体が皆にとって暮らしにくい社会になる。結局みんなちょっと息苦しくなってしまいます。

弱い部分があると認めるから、互いに許しあったり理解し合ったり、他者の苦しさを想像し共感するということができると思います。生きづらいことについて、「そうだよね、私もそれで辛かった。あなたもそうだったのか。じゃあどうやったらいいだろう」と皆で考える社会になっていくと思います。

フランスの精神障がい者の里親制度の例-「支援者への支援」の必要性

フランスでは、精神障がいを持つ大人を受け入れる里親のような制度があります。受け入れ対象は大人なので里“家庭”と言った方がいいのかもしれませんが、精神障がいの方だけでなく、薬物やアルコールなどの依存の問題を抱えて復帰したいと思っている方、そういう大人を家庭が受け入れるのです。

重要なのが、里親がいるだけでなく、里親を支えているサービスがあること。なぜかと言いますと、精神障がいや依存の問題がある大人と一緒に暮らすというのは、とても大変です。里親の人たちでも放っておいたらストレスに耐えられない。爆発して、受け入れた方を不適切な言動をしまうかもしれない。そうすると、本人も里親も、皆傷ついてしまう。だからまず、里親を支えないといけない。里親たちがストレスをため込まないように、専門家が定期的に訪問して、里親の話を聞いたり、必要であれば専門的な方法を提案したりということがされています。いくら志が高い人であっても、弱い部分があるので、支援が必要だということです。

本人と、里親と、里親を支える人の三者が揃うことで、何年も入院していたことで、電車の乗り方も分からず家の外に出るのも怖がっていた方が、何年かすると自分で街に買い物に行けるようになったというような話も聞きました。

社会的排除や社会的包摂などのものの見方を知ることは、「こういうことで困っているのかもしれない」と、他者の苦しみや大変さを想像する助けになると思います。

樋口さんの社会的排除や社会的包摂についてのオススメの本

レ・ミゼラブル』/ビクトル・ユーゴー
絶対的貧困が社会問題となっていた時代が舞台ですが、登場人物たちの生活は社会的排除という視点から読むことができます。社会的排除に対してどのようなことが必要なのか、人というものをどう見たらいいのかについて考えるきっかけの一つになるのではないかと思います。

ビッグイシュー・オンライン編集部のオススメ書籍

風になる 自閉症の僕が生きていく風景 (増補版)
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発話できない著者が文字盤で思いを伝えられるようになるまでの日常や、ありのままの自分を率直に語る。「自分の要求をうまく他者に伝えられない人」も、心の中では様々なことを考えているのでは、と気づかせてくれる。

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相対的貧困率とは何か:6人に1人が貧困ラインを下回る日本の現状

『ビッグイシュー日本版』の「排除と包摂」関連バックナンバー

THE BIG ISSUE 185号
特集:社会的包摂の時代― 貧困と社会的排除をこえて―
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社会的包摂を社会の仕組みに内在化させ、貧困状態にある人々、被災地で苦難を強いられている人々を包摂できる社会の姿を考える。
https://www.bigissue.jp/backnumber/185/


THE BIG ISSUE JAPAN208号

特集:わかもの包摂― 若者就労支援の最前線
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https://www.bigissue.jp/backnumber/208/


THE BIG ISSUE JAPAN257号
特集:包容空間、路上のいま
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https://www.bigissue.jp/backnumber/257/


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