脳を見、聞く。〝ゆらぎ〟の自発活動が脳活動の7〜8割を占める。
脳の細胞を世界最速の速度で撮影できる装置を完成させ、そこで得た最新の情報をホームページで公開もしている、脳研究者の池谷裕二さん(東京大学大学院教授)。脳研究の最前線をゆく池谷さんに、脳の〝ゆらぎ〟、無意識、直感、ひらめきについて聞く。
身体が心についていくのか?心が身体についていくのか?
池谷裕二さんの話を聞きながら、吉野弘の詩「身も心」を思い出していた。その詩は「身体は心と一緒なので心のゆくところについていく」で始まるのだが、終わりのほうで「心は身体と一緒なので身体のゆくところについていく」と変調するのだ。池谷さんの話はまさに、この詩と符合していた。
多くの人は眠いから寝るんだと思うけれど、普通は逆で、『あっ、もう12時まわってる。明日も仕事だし』と、寝室を暗くして布団にくるまって寝る体勢をつくる。そうすると、後追いで眠気が襲ってくる。眠たいから寝るんじゃなくて、横になるから眠くなるんです。だから意識より身体が先なんですよね。
むっとしている人より笑顔の人との方がコミュニケーションを取りやすかったり、ウィンドーショッピングをしていると目についたモノを買いたくなったりするのも、意識が環境に左右されていることを示しているという。
たとえば選挙も、今のように投票場までに行って投票するのと、もし将来インターネット投票ができると、投票する環境が違いますから、たぶん人の決断は変わってしまうと思うんです。だから、本人の意志って、いったい何だ?ということになりますね。
私たちは毎日、何かを選択し決断し意思決定して生きていると思っているけれど、そうではない?
池谷さんによると、去年(*2008年)イタリアで、原子力発電所建設の是非をめぐる住民投票があり、脳の研究者がその予測をしたという。投票まで1週間前の時点で意見を決めていない人は賛成、反対のどちらにまわるのか? そこで、研究者は投票とは関係のない連想ゲームをした。たとえばコーヒーといえば、何を連想しますか?というような。その答えの連想パターンを解析すると、どちらを支持するかおおむね予測できたという。「予測が100パーセント当たるわけではありませんが、結局、人の思考パターンや癖というのはほぼ決まっているんです。つまり、脳の〝ゆらぎ〟はランダムではない」というような、衝撃的な話からインタビューは始まったのである。
ニューロンの活動を可視化、世界最速、1秒に2000枚
池谷さんが手がけているのは、世界最新の脳の記録方法である「多ニューロンカルシウム画像法」の開発とそれを使っての神経回路(ニューロンのネットワーク)の研究だ。「生きた細胞をライブでとらえ、ニューロンの活動を光に変換して入力する手法です」
池谷さんは、コロンビア大学に留学、〝高速イメージング法〟を作り、帰国して2007年4月に、世界最速で撮影のできる装置を完成させた。ニューロンの大きさは約0・01〜0・02ミリ。この方法を使うと、1立方ミリメートル範囲の数千のニューロンの活動を同時に撮影でき、それぞれのニューロンが神経回路の中でどのような役割を果たしているのかを見ることができる。現在、池谷さんの研究室では1秒に2000枚程度、撮影が可能だ。
「ニューロンの活動は速くて、1000分の1秒で状況が変わってしまいます。撮り落としたくないので、全部を撮るためには、少なくともその2倍の速度が必要なんです。
しかも、今年2月には、1万個以上のニューロンが同時に撮影できたという。
実験中は、ニューロンの活動の不思議を感じる暇もないんです。コンピュータのハードディスクがすぐにいっぱいになって、あっ大変だって、てんやわんやしています。普通のデジカメ1枚でも結構重たい。あれが1秒間に2000枚なら、1分間で何枚? 2分間で何枚?(笑)と考えていくと、あと残り何秒撮れるかなと、そんなことばっかり気になる。
ニューロンの活動を聴く、脳の〝ゆらぎ〟を音楽に
池谷さんの「脳の自発活動はランダムではない」という論文は、世界有数の科学雑誌『サイエンス』に掲載された。それまで、脳の自発活動にはノイズ(雑音)が多く「ランダムである」と認識され、むしろノイズは脳の理解に不要なものと思われていた。それを、池谷さんは覆した。「論文で、私はノイズと名づけられた脳の自発活動が『一見ランダムに見えるけども、実はランダムではない』ということを言ったんです」
何もしていないように思える脳の自発活動に、エネルギーの7〜8割が使われているともいう。この脳の自発活動にみられるリズムが〝ゆらぎ〟とよばれるものなのだ。
池谷さんのホームページを開いてみると、そこにはカルシウム蛍光計測で捉えた〝発火〟するニューロンがキラキラと瞬き、「脳の〝ゆらぎ〟」という摩訶不思議な音楽が鳴っていた。音楽好きな池谷さんが、一つひとつのニューロン活動をピアノの鍵盤一つひとつに割り当ててできあがった、ニューロンのネットワーク(回路)が紡ぎ出す「自然の音楽」だ。
「ニューロンに通し番号をつけ、どのタイミングでどのニューロンが活動したのかを音に置き換えてみたんです。あるニューロンを『レ』の音と決めたら、そのニューロンが活動する時にレ、レ、レと鳴らします。次のニューロンを『ミ』と決めたらミ、ミ、ミと鳴らして、で、全体をいっぺんに音を鳴らすと、あんな音楽になったんです」
〝ゆらぎ〟のリズムのデータが音楽になっていて、何十回、何百回と聞くことで、「ドの音とレの音が、何度も同時に聞こえる」など、ニューロンの活動の相互関係を発見できることもあるという。