家庭内暴力(DV)というと、加害者は男性で被害者は女性─そんな構図で語られることが多い。しかし、スイス国内でDV被害者の4人に1人は男性だ。男性の被害者保護に特有の課題とは? ベルンにある男性保護施設を訪ねた。
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男性の被害、70%は心理的暴力
友人の心ない言葉に相談できず 「自分はダメな人間」と感じる
40代半ば、電気技師として働くダニエル(仮名)は、ある時からそのことを友人に話すのをやめた。「前向きに考えてみないか。彼女はまだお前を愛しているってことだろ」と理解してもらえなかったり、別の友人には「男性用の保護施設に行くべきかもね」とからかわれたりした。親友でさえ、ダニエルのことを少々恥ずかしく思っているようで「自分で自分を守れないのかい」と問いかけてきた。 「嫌だ」とダニエルは思った。「できない。保護施設には行きたくない。でも、そうするべきだろうか――?」彼のようなケースは稀ではない。あまり話題にならないが、2017年に発表された統計によるとスイス国内のDV被害者1万人のうち、4人に1人が男性だ。男性が被害者となったDV事件の70%以上は、脅しや言葉による虐待などの心理的暴力で「軽度の暴力」とみなされている。女性被害者の多くが受ける肉体的な「深刻な暴力」とは対照的だ。ダニエルの場合も、彼の生活は妻からの心理的な恐怖にさらされていた。
また、被害を受けた男性は自分をダメな人間だと感じてしまいがちだ。その背景には「本物の男なら自己防衛するべきだ」「暴力に屈するのは臆病者だ」といった「男らしさ」にまつわる固定観念が存在する。ダニエルも、自身を守れない自分を責めてしまうという。学校生活では日常的にいじめを受けた経験があり、軍隊ではエンジンオイルを塗りつけられた。躁うつ病を患っていた最初の妻にもなじられた。「どういうわけか、そういったものを引き付けてしまうのです」と話す。
男性向け保護施設 公的資金なく、寄付に頼る運営
子ども連れの保護も受け入れ
DV問題では男性を加害者、女性を被害者とする認識が一般的である中、男性が被害者であるというケースは従来の見方を根本から覆す。スイス・ベルンにある男性向け保護施設「ツヴュシェハルト」の所長ジークリンデ・クリーメンは、こうしたDVに対処する際の課題を指摘する。「ツヴュシェハルト(Zwüschehalt)」所長のクリーメン Photos: Klaus Petrus
「被害者男性はたいていの場合、周囲から真剣に向き合ってもらえていないと感じています。男性には自分の体験を話したり、助けを求めたりする勇気がありません。彼らは孤立しているのです」 社会的にも、男性向け保護施設の必要性は十分に理解されているとは言えない。この施設では利用者が数週間~数ヵ月間、自腹で支払えるようにと比較的低料金で宿泊費を設定しているが、維持費や人件費は寄付に頼っている。多くの女性保護施設とは異なり、公的資金は受け取っていない。
ダニエルが施設に避難したのは17年暮れのことだった。妻が支配的な態度をエスカレートさせ、彼の携帯電話やメール、人づき合いを監視するようになり、もう耐えられないと決心した。朝は仕事に出かけ、夜は保護施設に帰り、自らの状況についてクリーメンと話す日々。安息できる場所を求め、多くの時間を自室で過ごした。「ここに着いて気が楽になりました」とダニエルは話す。「ゆっくりと回復する時間を持てたからです。頭の中で問題が常に渦巻いている状態から脱して、正常な状態に戻りたかった」。保護施設に電話をかける人たちは、ひどく疲れ切っていて、これ以上何をすべきかわからない状態だ。「このような男性たちは、まず心を休める必要があるのです」とクリーメンは言う。
子連れ利用者のために、施設内の個室にはベビーベッドもある。
一泊の値段は35~120スイスフラン(約3900~13400円)
同施設は子ども連れの保護も受け入れており、ダニエルも娘を連れていった。これまでに二度、妻は怒りに任せて「娘を殺して自殺する」と脅したことがあったからだ。
暴力を振るい合う関係 奥底に「強い依存関係」も。
距離を置くことが不可欠
DVの被害者となる男性は、加害者であることも多い。男性被害者の4人に3人は、カップル双方が暴力を振るい合う関係にあり、こうした暴力の引き金は妻やパートナーの過剰な支配ということがよくある。クリーメンによれば、男性が「ツヴュシェハルト」に保護を求めたと知ると、女性はたいてい激しく反応するという。暴力を振るい合う関係の奥底には、強い依存関係もあるからだ。「こうしたカップルがお互い相手から離れようとすることはめったにありません」。実際、暴力を受けた男性の半数以上は一時的にしかパートナーや家族と離れていない。男性たちが施設に滞在するのは平均2ヵ月間で「この期間に夫婦関係で起こりうる『いつものパターン』に気づいてほしい」と言う。喧嘩を引き起こす出来事や言動、いつもの言い合い、収束のしかた――こうしたコミュニケーションはある程度までは正常なものだが、肉体的・精神的な暴力の問題につながる可能性もある。その場合、距離を置くことが不可欠だと彼女は確信している。
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ダニエルも数週間の滞在の後、妻のもとに帰ったが、時間が経つとこれまでの関係――嫉妬心から攻撃的になる妻に対して、彼が引き下がり、服従するような――に戻ってしまった。妻は彼のメールを引っかき回し始め、何時間も質問攻めにして彼を眠らせなかった。ダニエルが「君の支配的な行動が僕の自尊心を壊しているんだ。やめてくれ、さもないと、もう出て行く」と言うと、妻は「いつもそう! 最初のトラブルの時から、そうやって距離を置こうとする。あなたのせいなんだから!」と返した。今回、彼は妻を黙らせようと思わず声を荒げたが、手を上げたことは一度もない。
このように、被害者と加害者を明確に区別することが難しいケースもある。行政や警察は被害者と加害者を分ける必要に迫られるが、現実はもっと複雑なのだ。「カップルの一方が受け身になってしまい、言いなりになればなるほど、相手の攻撃をますます助長させてしまうのです」。その結果、被害を受ける方は暴力の連鎖に巻き込まれていく。統計を嫌というほどよく知るクリーメンだが、DVの実態は一般化できないと強調する。
手は尽くした、とダニエルは言う。しかし、妻は彼に自由を与えず、嫉妬心をコントロールすることもできなかった。ついに呼吸困難や吐き気がして眠れなくなったダニエルは、再び保護施設に戻った。どのくらいの滞在期間になるかはまだわからない。「僕は妻を愛しています」と彼は言う。 「でも、彼女の中にいるモンスターを愛しているわけではないのです」
(Klaus Petrus, Surprise / INSP / 編集部)
※ 日本では、内閣府の調査(平成30年報告)によれば、配偶者からの暴力を受けたことのある女性は約3人に1人、男性は約5人に1人だった。また、被害を受けた女性の6割は相談しているのに対し、男性の約7割はどこにも相談していなかった。男性向けの相談窓口を設置している地方自治体や、男性用保護施設を提供している民間団体もある。
※上記は『ビッグイシュー日本版』358号(現在はSOLDOUT)からの抜粋です。
関連リンク
配偶者からの暴力被害者支援情報 > 相談機関一覧(男女共同参画局) http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/soudankikan/index.html
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