2021年9月、土曜日の朝6時過ぎ。ハンブルク市のとあるホテルのフロント係として働くアレクサンドラ・キュヒラー(29歳)は、早番の仕事に出ようと職場に向かって歩いていた。すると前方で、2人の男が何かに火をつけているところに出くわした。最初はスポーツバッグが燃やされているのかと思った。2人の男はその場を立ち去った。
iStockphoto/Mikhail Mironov
「またバカな奴らが火遊びをして」腹を立てたキュヒラーは、携帯電話を取り出して何枚か写真を撮った。 燃えているその物体に近づくと、恐ろしいことに、火の中で体を起こそうとしている人がいた。それは人が入った寝袋だったのだ。
まだ夢うつつな男性に駆け寄り、燃える寝袋から引きずり出した。「一瞬のためらいもありませんでした」とキュヒラーは語る。ホームレス用シェルター前の地下通気口の上で野宿していた男性だった。火を消し止めたキュヒラーが「大丈夫ですか?」と尋ねると、東欧系のその男性は片言のドイツ語で「いや、大丈夫じゃない」と答えた。前日に初めて、てんかんの発作を起こしたのだという。
自身もてんかん持ちのキュヒラーは、燃えさしに目をやりながら「大変でしたね。でももう大丈夫です」と返した。だが男性は彼女の手を離そうとせず、「君は命を救ってくれた。僕の天使だ」と繰り返すと、またすぐに発作を起こした。
「あの2人の男は、この人が死んでも構わないと思って火をつけたのだと、ようやく事態が飲み込めました」とキュヒラー。「どうせホームレスだろ、とでも思っていたのでしょう」。救急車を呼び、何があったのですかと聞かれた彼女の目には涙があふれたと言う。
警察が捜査を進めているが、火をつけた男たちはまだ見つかっていない。数メートルほど離れていたキュヒラーからは、1人の横顔がちらっと見えただけで、もう1人は後ろ姿しか見ていない。「火にばかり気をとられていました」とキュヒラーは言う。
キュヒラーが男性を助けられたのは、まったくの偶然だった。早番の出勤は2年ぶりだったし、普段はホームレス用シェルターの前を通ることもない。あれから2週間が経った今も、「今はどこで過ごしているのかな? 大丈夫かな?」と男性を心配している。警察によると、襲撃された男性は39歳のウクライナ人で、火傷などの怪我はなかったという。ハンブルクのストリート誌『ヒンツ&クンツ』でも、男性がその後どこで生活しているのかあたってみたが、手がかりは得られなかった。
ストリート誌を通じてメッセージを伝えたいと考えたキュヒラーは、数日後に『ヒンツ&クンツ』に連絡を取った。というのも、この「救出劇」の話をしたところ、友人たちからは見ず知らずの人のからだを触るなんて自分ならしない、とくに新型コロナウイルス感染症が流行している今は、と意外な反応が返ってきたのだ。「相手がどんな人であっても、応急処置をするのは当然ではないでしょうか」とキュヒラー。自分は誰もがすべきことをしただけ、何も特別なことではないと言う。
Credit: Dimitrij Leltschuk
「路上生活者は社会の中で最も弱い立場にある人たちなのだから、助けるべきです」彼女の姿勢は明確だ。「君は“浮浪者”を助けたんだってね」とある人に言われた彼女は、「あの人たちは“ホームレス”と呼ばれています。でもそれは、あなたにだって起こりうることなんですよ」と返した。
<補足>路上生活者は襲撃されるリスクが高い
記事で紹介した襲撃の数日前にも、地下鉄ハビヒトシュトラーセ駅近くで火災が発生した。10日前の夜にも、路上生活者が何週間も前から寝ていた木の小屋で火事が起きた。捜査を進めている警察は、10月中旬に「火の不始末の可能性を否定できない」との見解を示すにとどまっている。
ハンブルク市では路上生活者が犯罪に巻き込まれる件数は2018年よりも増加傾向にある。2020年に暴力被害に遭った人は147人(2018年は94人)、強盗や恐喝被害は33人(同19人)、レイプ・性的暴行を受けたホームレス女性は3人(同2人)、殺害された人は男性1人(同0人)。
By Ulrich Jonas
Translated from German by Seán Morris
Courtesy of Hinz&Kunzt / International Network of Street Papers
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