東日本大震災と原発事故から11年。転々と避難を続けるなかで、記憶の底にしまい込まれた震災前の生活の様子や、上の世代から引き継がれた福島県・浪江町民の歴史を語り合いながら、歴史を残すことを考えていこうという催しが、4月20日に浪江町で開かれた。催しの名称は、そのものズバリ「第一回 浪江町を語ろう!」だ。

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4月20日に浪江町で開かれた「第一回 浪江町を語ろう!」の様子

久しぶりの再会
家族連れ、若者、近隣の人々

 2022年4月20日、浪江町で「第一回 浪江町を語ろう!」が開かれた。末永福男さん(80歳/浪江町文化財調査委員会委員長・南相馬市博物館展示収集委員会副委員長)を中心に、長くJR(旧国鉄)に勤務し人々の移動を支えた大倉満さん(72歳)ら地元の住民が出演。企画したのは、歌人で浪江町出身、出版社・いりの舎の三原由起子さんだ。浪江町の地名に残る「大字」に注目して歴史調査を続ける『「大字誌浪江町権現堂」のススメ』(いりの舎)の著者・西村慎太郎さん(国文学研究資料館教授)も参加し、その研究成果を発表した。

 この日は、2020年から続く新型コロナウイルス感染症のまん延で途絶えていた人々の交流が久しぶりに戻った大型連休の序盤にあたり、故郷に帰ってきた家族連れや、浪江町で支援活動をしている若者、近隣の地域の人たちなどが訪れた。

 最初に発表した末永さんは公民館の職員として、地域の歴史資料を発掘・調査してきた。退職後も、大堀相馬焼(陶器)や古いカメラなど、民俗・歴史資料を収集保管しつつ、語り継ぐ活動を続けている。地元ではそんな末永さんを「浪江町の生き字引き」と呼ぶ人もいる。震災後の福島県二本松市での避難生活の中でも、貴重な大堀相馬焼を収集し続け、その数は70点を超えた。

末永さん
末永福男さん

子どもたちの命を救った大平山
縄文の貝塚と「でいでらぼっち」

「浪江町で生まれ、育ち、70年間住まっておりました。今は南相馬市原町区で山暮らしをしており、震災後10年ほど、まだ浪江に帰り着いておりません」。そう言って話し始めた末永さんが紹介したのは、町内の大平山地域に伝わる「でいでらぼっち」という大男の伝説だ。

 集まった人たちは、その山の名前を聞いて大きくうなずく。大平山と言えば、震災直後、海に面した請戸小学校(現在は震災遺構として整備・公開)の児童や教師が津波から逃れるために避難し、全員が助かった、忘れることのできない場所だ。

「縄文時代、人々は大平山の東端の丘陵帯に家を構え、海から獲った魚や貝を食べて生活していた。川を上るシャケ、マス、アユ、フナ、ハヤ、産卵前のウグイはアカハラと呼ばれ、そうした魚を獲って食べ、シャケは塩漬けにして生魚が食べられない時期に食べた。何百年にもわたって、食べた魚や貝、鹿、猪の骨を同じところに捨てていたので貝塚になった」とわかりやすく説明した。震災で子どもたちの命を救った山は、この地に縄文人が暮らし始めた拠点だったのだ。

「むかーし、むかし、おっきなおっきな大男が住んでいたんだと。これはでいでらぼっちって呼ばっちゃらしいなあ。大男だから、大平山に腰かけて、手を伸ばしてアサリだのハマグリだのを採って食べた。貝塚なんて言っているのが、でいでらぼっちが食った跡なんだと」

 地元の言葉でいきいきと昔語りをする末永さん。全国各地の貝塚の周辺には、こうした大男、でいでらぼっちの伝説が残るのだと説明した。

 筆者が20年に末永さんの自宅に伺った際、末永さんが獲った地元に生息する蝶の標本や、収集中だという古い大堀相馬焼の壺などを見せてもらった。その時の解説同様、この日の語り口も、聞く者を古い歴史の世界に誘うような、温かく深いものだった。

にぎやかだった浪江町の十日市
のんびりとした路線バスの旅

 大倉さんは、浪江町の人々の移動の足となった鉄道やバスの歴史を紹介した。大倉さんは77年に旧国鉄に就職するまで、鉄道やバスに乗って浪江町から出たことがほとんどなかったという。

大倉さん
大倉満さん

「歩いて請戸に遊びに行ったり、自転車を三角乗り(当時、子どもの自転車は少なく、大人の自転車に乗るため子どもが考え出した乗り方)したりして、転んだこともある」

 1988年、国鉄の分割民営化を機にJRバスに異動した時は、137あったバス停の場所と名前を苦労して覚えた。当時は、ぬかるんだ道でバスが立ち往生すると、路線にある電柱に車掌が登り、電線に電話をつないで本社や支社へ立ち往生の様子を連絡したという。乗客がバスから降りてバスの後ろから押すこともあった。今では車で1、2時間で到着できるところへも半日かけて行った、のんびりとした路線バスの旅。まるで当時の乗客の会話が聞こえてくるような、昭和の時代の空気が、大倉さんの説明から伝わってきた。

「一番のにぎやかな思い出は、浪江町で十日市があった日のこと。臨時バスが出て、乗客が合計100人ぐらい乗って満杯になりました。途中でリンゴ飴、買ったりしてね。昔はいっぱい、いっぱい、いいことがあったんです」

幕末の頃に「高野」が「浪江」に
「もっと浪江町の話が聞きたい」

 浪江町の請戸、両竹、富岡町小良ヶ浜で、「大字」の行政区ごとの歴史調査を続ける西村さん。19世紀、江戸時代から幕末の時期に書かれた3人の学者の旅日記なども調べてきた。

西村さん
西村慎太郎さん

 そこには、以前は「高野」と呼ばれていた地名が、火災が多かったために水にまつわる名称「浪江」と呼ばれるようになった背景などが綴られているのを発見する。書かれた日付から、「おそらく19世紀の早い時期には『高野』と『浪江』が併用されていて、幕末になって『浪江』に一本化されたのでしょう」と現在の名称になった由来を話した。

 参加者からは「来てよかった。もっと浪江町の話が聞きたい」「また開いて」という意見が寄せられ、現在は2回目開催の企画が進んでいる。

 この日、歌人の三原さんはこう自己紹介した。「こんにちは。乗り物センター三原の娘の、三原由起子です。私が通ったあすなろ保育園も浪江小学校も、母校がみんななくなってしまいました。どんどん変わる浪江町ですが、知らなかったこと、住んでいる時にはあまり気にしなかったこと、町を離れて新たに発見したことをこれから共有できればと思っています」

三原さん
三原由起子さん

 乗り物センター三原の建物はあるが、家族は千葉に避難し、店の再開のめどは立っていない。

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あいはら・ひろこ
福島県福島市生まれ。ジャーナリスト。被災地の現状の取材を中心に、国内外のニュース報道・取材・リサーチ・翻訳・編集などを行う。
https://www.facebook.com/hirokoaihara 


*2022年6月15日発売の『ビッグイシュー日本版』433号より「ふくしまから」を転載しました。
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